天間明の二日目 その2
「アシュタンガヨガはどうでした?」
ケイは血行が良くなって赤らんだ頬をしていた。
薄っすら汗ばんでいる。
「こんなハードなんもあるんやな。めっちゃ疲れたわ」
明はそう言って、無理やり笑顔を作ってみた。
本音を言えば少しの間は動きたくない。
体中のあちらこちらで内乱が起こっているかのようだ。
シャツは汗でぐっしょりだった。
更衣室で汗を拭いてから着替える。
デートの初めに汗だくになってしまったが、臭いは大丈夫だろうか?
スポーツで流した汗は臭くないと信じて、気にしないことにした。
ヨガスタジオを出て、朝食を取ることにした。
とはいえ、まだ時間は九時ぐらいなので、開いている店が少ない。
「あ、松屋に入りません?」
ケイが松屋を見つけると嬉しそうに言った。
「いいよ。ケイさん、松屋好きなの?」
「気になっていたんですけど食べたことないんですよ」
「ほんま。じゃあ入ろうか」
毎日のように松屋に入っている明としては、何も考えずにメニューを選べたが、ケイは券販売機の前でけっこう悩んでいた。
「けっこうメニューあるんですね。へえ、牛丼だけじゃないんだ。ううん、どうしようかな?」
三分ほど悩んでケイは牛飯の大盛りの券を買っていた。
「やっぱり牛丼屋に来たんだからまずは牛丼ですよね」とケイは嬉しそうに言う。
松屋は牛丼と言わず牛飯と言うのだけど、細かいことを指摘する小さい男と思われたくないので、明は聞き流すことにした。
ケイは牛飯の大盛りとぺろりと平らげると「コーヒー飲みたくないですか?」というのでドトールに行くことにした。
ドトールでコーヒーを飲んで、一息ついたときにそう言えばケイのボディーガードをしていることを明は思い出す。
本来の目的をアシュタンガヨガで完全に忘れていた。
頭を空っぽにして無を体感し、悟りを啓くのが本来のヨガの目的らしいので、プログラムを造ったパタビ・ジョイス師の思惑通りなのかもしれない。
次に明はケイを多摩川競艇場に連れていった。
明が競艇をやり始めたのは、予知能力を取り戻すきっかけになるかなと思ったからだ。
真剣に予想をしていれば、そのうち競艇の結果を予知夢で見られるかもしれない。
それに競艇ならその予知夢が本物かどうか、簡単に判断できると考えたのだ。
実際に久しぶりに予知夢を見たら、本来の夢との違和感が相当あったので、予知夢かどうかを確かめると言う点ではあまり意味はなかった。
でも競艇に興味を持っていなかったら、おそらく競艇の結果は予知できていなかったと思う。
今回のように人に予知夢の正しさを証明するのにはとても便利だ。
ケイは競艇場に来たことがないどころか、競艇が何なのかも良く知らないようだった。
それにしてもケイは競艇場が似合わないなと明は思った。
服装がワンピースのためもあるかもしれないが、狼の群れに混じった白鳥のようなイメージを受ける。
ケイと話していると何だか昨日より予知を信用されていない気がした。
まあ、信用されないのが普通だとは思うのだけど、昨日は本当に命を狙われたのに、どういった心境の変化だろうか?
女心はわからない。
第一レースを的中させて千円が二万六千円になると、ケイはとても驚いていた。
まるで手品を始めてみた子供のようなリアクションある。
「何でそんなに一生懸命に予知の力を取り戻そうとしていたのですか?」
二レースが始まるのを待っていたときに、ケイが不思議そうに聞いてきた。
そう聞かれても明確な答えは明もわかっていなかった。
どうしても取り戻さないといけないと胸に刻み込んだのに、そのときの感情以外は忘却してしまっている。
家族を失い、胸を引き裂かれるような悲しみと予知を取り戻さないといけないと言う焦り。
予知の力を取り戻すために生きる。
そんな想いが幼い頃の明にはあった。
何のために予知の力を取り戻さないといけないのか。
予知の力を取り戻して、自分はどう生きたいのだろう?
力を得て、成長して、自分は何を得たいのだろう?
「生きる目的にしていたからかな」
明は思い出す。
両親と鈴音が死んで、過ぎる日々に絶望していた頃のことを。
心の支えは予知の力を取り戻すことと、五十鈴の存在だけだった。
極寒の中でその二つだけを心の暖として生きてきた。
実際にはおばあちゃんとおじいちゃんが、物言わぬ衣服のような暖かさで、自分を寒さから救ってくれたのだが、あの頃はそのありがたさに気が付かなかった。




