第5話『プリンス・カール・フォーランド島にて』
その島は海面から突き出るような山脈を持つ、寒々しい白き無人島だった。剥き出しの岩肌の上から白化粧のように雪が積もっていて、頂上部付近のみが白い雪に包まれている。曇天の空が日光を遮り、地上に暗い雰囲気を漂わせていた。気温が氷点下を下回る過酷な地だけあって、その島には人が暮らすことはない。そんな高山脈に三人の人間の姿があった。一人は灰褐色のくせっ毛を持つ少年で、暗緑色の外套を羽織っている。その外套に隠れて見えていないが、腰部には小型の弓矢を潜ませている。もう一人は翡翠石のように美しき瞳を持つ少女。フカフカな毛皮で作られた外套を着込み寒さ対策をしていた。最後の一人は一番身長が高く、年上に見受けられる。白い毛皮の外套を着ていて、髪色は珍しい緑色。背景が暗色だからか、緑髪が膨張したような錯覚を覚える。
彼らはなぜか皆、雨が降ってもいないというのに全身びしょ濡れな格好をしていた。皆、不機嫌な表情を浮かべて、ただ無言で山脈を横断するために登山しているのだった。
数時間前の事、彼ら三人はこの島を目指して流氷の船を漕いでいた。しかし、この島に着く寸前で氷の耐久値が限界に達してしまい、大破損して沈没してしまった。それゆえに、彼らは泳ぐことを強いられ、全身びしょ濡れになって上陸したということだった。
「……あー、泳いだので体力のほとんどを消費したよ、もー」
灰褐色の髪の少年はため息を吐く。
「災難だったね、カイト」
翡翠色の瞳の少女は灰褐色の髪の少年を慰めていた。
「ルマだって病弱な身体なのに良くここまで……僕なんかよりよっぽど頑張ったでしょ? 体力は大丈夫?」
カイトと呼ぶ少年は少女へと心配そうに尋ねる。ルマと呼ばれた少女はぎこちない笑顔で首を横に振っていた。
「んにしてもよ、暖かい土地で良かったな。凍死することはないだろうぜ」
緑髪の男は笑顔で言う。この島の気温は氷点下で極寒地帯なのだが、彼らはさらに過酷なツンドラ地帯で生活してきたためか、この島の気温を暖かく感じるらしい。
「トルクさんは大人で体力あるから余裕ですけど、僕たちにはちょっと応えます……」
「そんな弱音吐いてるとこの先やっていけねぇーぞ?」
トルクと呼ばれた緑髪の男はカイトの頭をワシャワシャと撫で回す。海水に濡れた髪が乱雑な形になった。
弱音を吐くものの、カイトはしっかりとついて行っていた。虚弱なルマも必死にすがりついている。そしてトルクはというと、至って平然で普段から登山でもしているような軽快な足取りだった。
歩き続けて夜に入る頃、三人は山頂へとたどり着いた。山脈の最北端にいるようで、山脈は南東へと斜めに伸びているのが見えていた。
もう時間が時間だと三人は野宿の準備を始める。毛皮の布やロープなどを駆使し、即席の中型テントを一つ作り出した。毛皮で作られたテントは保温性抜群で、中に温もりを閉じ込めて凍傷・凍死を防ぐ作り。
三人は早速、中へと入って荷物類を端に寄せて置いた。皆のリュックが全て入るだけのスペースがしっかりと確保されていることに、カイトは少し安心した。
トルクは荷物の中から、非常食用の乾燥肉を取り出して二人に分ける。カイトは綺麗な地面の氷を砕いてお湯を作っているところだった。炎を起こすのに全力を費やし、かなり疲れている模様。ルマはというと、何か手伝うことがあるか二人に尋ねたところ、
「火起こしは男のやる事だよ。ルマは休憩してて良いから」
と、カイトには断られ、
「んあ? やることって言ってもよ、別にないんだから休んでいれば良いんじゃねぇか?」
と、トルクに指摘された。なので、仕方なくただ見守っていることにした。
しばらくしてお湯も湧き、乾燥魚肉で出汁を取って完成した、簡易的な汁物。それを三等分して分け与えた。
今日の夜ご飯は乾燥肉と汁物ということになる。それぞれに食べ始め、あっという間に完食すると、残るのは狭苦しい静寂だけだった。
「……なぁ、カイト」
トルクが最初に口を開いて話の起点を作り出した。
「今夜は野宿だろう? この狭苦しいテント内で……俺ら三人で寝るんだよな?」
なぜか小声で尋ねるトルクに、カイトは首を傾げる。
「それはそうだけど……どうかしたの?」
「だからさ、問題があるだろ?」
「んー……狭いから寝相が悪くて蹴り飛ばしちゃうとか?」
「いやちげぇーよ! いや、寝相の方はそうかもしれないけど!」
トルクはどうやら寝相が悪いらしい。
カイトが黙考する中、今度はルマが気づいて答える。
「あ! 見張り役が必要とかだよね! 夜は危ないですから!」
「それも違くて――」
「――枕がないからですか?」
「じゃなくてさ――」
「――寒くて寝れないからでしょうか?」
「でもないんだけど!」
そこまで言い尽くすと、ルマもカイトと同様に考え出した。そんな二人を見ていてトルクは呆れたと首を左右に振る。
「ルマは良いのかよ、これで?」
「ふぇ?」
急に話を振られたのに意表を突かれたのか、変な返事で反応をするルマ。その顔にはただ疑問符しか浮かんでいない。
「……俺もカイトも、その……異性、だろ? 一緒に寝るっつーのも、どうかと思うぜ……。夫婦、じゃないんだしよぉ……」
トルクが顔を逸らしてボソボソと呟く。ルマは『夫婦』という言葉に反応して顔を真っ赤に染めた。
「そそ、そんな、そんなこと……わ、私は気に、しないけど!」
今にも煙が出るのではというぐらいに顔を赤くしているのが分かる。両手をバタつかせて何か意思表示をしようとしてるけど、完全にパニック状態だった。
「まままま、まぁ、落ち着いてよ、ルマ! そんな意識しなくて良いんだよ? いつも通りのルマであってよ」
「いつも通りってことは、ひょっとしてお前ら一緒に寝てるとか?」
トルクが変な想像をしてニヤニヤとヤラしい目で二人を見る。その通りなのだが、意味合いが違うためか、カイトとルマはそれぞれ顔を合わせ、赤面して目線を逸らした。
「あぁ、分かるよ、分かる。俺も一時期そんな時代があったよ。青春まっしぐら的な?」
「「そそ、そんなんじゃないって!」」
と、見事なシンクロ率で身を乗り出し声をハモらせた二人はまたしても恥ずかしそうに距離を取っていた。二人同時に身を乗り出してきたものだから、トルクはその気迫に少し身を引いていた。
「……まぁ……まぁ、どちらにせよ、テントは一つしかないんだ……。ただ確認のためにした質問だったんだよ。別段深入りするつもりもない。いつも通りならいつも通りで頼む。ただ、俺も一応、テントに入れてくれよ」
「旅仲間なのに除外はしませんよ!」「一人にするつもりなんかないです!」
二人は同タイミングでトルクへと言い寄り、トルクは両方共聞き取れなかった様子。
「……さーてと、徹夜をするつもりはねぇから、そろそろ寝ることにすっかー」
と、一人大きなあくびをしてテント端で横になって背を向けた。急に静かになり、聞こえる音が外の風音だけになって、カイトとルマはお互いに顔を見合わせる。そして気恥ずかしそうに顔を逸らした。
「……あの、そのさ、おやすみ、ルマ……」
「あ、うん。そ、そうだね、おやすみ、カイト……」
なぜか気まずそうに挨拶を交わして二人も横になる。そんな会話を眠りながらトルクは聞き入って、そしてやや複雑な顔をしていた。
太陽が昇り始めて白い山頂の雪を美しく反射させる。風は穏やかで、地吹雪が発生する心配もなし。青々とした空と点々と浮かぶ白雲。今日の天候は良好だった。
そんな朝一番に起き上がったのはルマだった。起き上がって小さくあくびをしてから、座ったままの状態で伸びをした。それから辺りを見回し、カイトとトルクが眠っているのを確認する。つい、近くで眠っているカイトの寝顔に目が入ってしまい、すぐに我に返って一人で恥ずかしがっていた。
それからルマは起き上がると、静かに朝食の準備を始め出した。二人がぐっすりと眠っている間に準備は完了し、あとは起きるのみだった。いつもなら揺さぶって起こすのだけれど、今日ぐらいはと一人、ちょっと付近を散歩する。
昨夜は暗くて確認できてはなかったけれど、朝になってその光景が鮮明に目に入るようになっていた。美しく白化粧された山脈が東南へと伸びている。太陽の光を美しく反射して銀世界を創り出していた。遠くではやや雲がなびいているのも見える。左右に水平線があり、東方向には巨大な島も確認できた。うっすらと白がかっている。
「……これからどんな旅が始まるんだろう? ワクワクしちゃう」
ルマはまだ見ぬ地への旅に高揚して独り言ちる。
そんな時、ルマはあるものを目撃する。それは峠一つ先の山頂付近から上がる白煙だった。風になびいて東へと伸びている。明らかに人が存在することの証明だった。おそらく暖を取るための焚き火か何かの煙なのだろう。
人がいるのを発見し、ルマは歓喜しながら報告するためにテントへと駆ける。テント内ではカイトとトルクが未だに夢の中。寝相の悪いトルクの足がカイトの頭部を蹴り飛ばした形で固まって眠っていた。ルマはカイトを揺さぶって起こす。
「……あ……おはよ、ルマ……」
「起こして早速だけど報告! 人を見つけたの!」
ルマが笑顔で報告し、寝起きのカイトは自分が寝ぼけているんだと勘違いした。
「……朝から元気だね……」
「じゃなくて! 本当の事なんだから!」
ルマは頬を膨らませて明る様に怒ると、寝起きのカイトの手を取って無理やり引き起こし、そのまま先ほどの崖まで引っ張っていく。カイトは急な事で驚き、足を滑らせて崖から落ちそうになっていた。
「ほら、あれ!」
ルマが遠くになびく白煙を指差し、カイトが寝ぼけ眼を擦って凝視する。
「……あっ! 本当だ!」
「無人島なんかじゃなかったね! こんな地帯でもやっぱり人って暮らしてるもんなんだよ!」
「早速、出発しよう! ……朝食を取ってから」
一番寝起きの悪いトルクを何とか引き起こし、三人は朝食を取った。トルクは寝起きが悪くて不機嫌そうな顔をしていて、緑髪は変な形で寝癖がついていた。一方のルマはスッキリとしていた。カイトはまだ眠いのか大きくあくびをする。
朝食を終えると、カイトとルマは先ほどの情報をトルクへと説明する。トルクはおかしいと深く考え込んでるようだったけど、とりあえず見に行くだけ行こうということで進むことにした。南東へと伸びる山脈に沿って峠を越える。その先に人間がいるはずだ。
昨日建てたテントを分解してリュックに纏めて詰め込み、それぞれ支度を済ます。テントなどが収納された一番重量のあるリュックは大人のトルクが背負う。
「さて、出発するか!」
「……あの、髪型直したりとかは?」
「ん? これか? いつもの事だよ。そのうち直る、気にするな」
「……はぁ」
トルクの髪型は依然として寝癖状態で、特に直す気配はない。緑色ということもあって、頭部に草原が生えたかのような外見をしている。
「……二人してこっちをじっと見て……今、失礼な事でも考えてたろ?」
「じゃ、行こうか、ルマ」
「そうだね、カイト」
「無視か、おい」
今日の天候は晴れ。背後、北西方向に雲海が伸びているのが確認できる。風が東よりに吹いているため、おそらく夕方は雲が空を覆うことが予測できる。なので、今日はできるだけ急ぎ目で移動することにしたようだ。
「そのさ、一つ聞いて良いか……?」
目的地へと向かう最中、トルクが突如口を開いてカイトへと尋ねてきた。
「お前らと旅するのは俺は構わないことなんだがよぉ……お前らには両親がいるだろう? そこんところは大丈夫かなって思ってさ。ま、単なる確認みたいなもんだよ。結局、ここまで来ちまったんだから今頃引き返そうとかは思ってないだろ?」
トルクの質問に、カイトは暗い表情を浮かべ、後ろで聞いていたルマも顔を明後日の方角へと向けた。トルクは一瞬、何か変な事でも訊いたのかと心配になる。
「……その、両親はですね……今はどこか別の世界を放浪してるらしくて、戻ってはきてないです。トルクさんの師匠と同じです」
「おぉ、そうか! なんか親近感湧いてきたぜ、カイト!」
そう言ってトルクはカイトの頭を乱雑に撫で回した。先ほど寝癖を整えたばかりの髪がボサボサになってしまい、カイトは苦笑いをした。一方、ルマはカイトの嘘を見抜いていて、寂しそうな表情でカイトを見つめていた。
峠を越えた頃にはすっかり辺りは真っ暗になってしまい、これ以上は進めない状況に陥っていた。だけれど、目前に炎の灯りを確認したため、三人は無理をしててでも進んでいき、今日中に目的の場所まで着くことができた。そこは山脈の中でも平地になった場所で、西側から吹く寒風は山脈の絶壁が守ってくれているために、風害は一切なかった。ちょっとした集落のようになっていて、どこから集めたのか木材を使用した小さな家がいくつか建てられていて、中央部には巨大な焚き火が燃えている。人の姿は見えていなかった。
「確かに……人がいるな、これは」
「大丈夫、かな? ……攻撃されたりとかしないかな?」
「大丈夫だよ、ルマ。心配しないで。もしも、攻撃されるようだったら、あの時みたいに僕が守るから。今回は弓術の上級者のトルクさんもいるんだよ、大丈夫」
「なーんか、無駄にハードル高いような……」
一応、いざという時に動けるよう、カイトは腰に隠している弓に右手を触れながら進んでいく。トルクも周囲を警戒しながら進んでいく。ルマはカイトのそばに寄って守ってもらっていた。誰の姿も確認できないまま、中央の巨大焚き火の前までやってくる。その焚き火は、隙間ができるように木材を周囲に重ねて積み上げて作られていて、中で燃やした炎が隙間から入る風によって煽られて火度を上げる仕組みらしい。まだ五メートル以内でもないのに熱が空気を通して伝わってきていた。暗い夜空に赤い火の粉が良く目立っている。
「……相当な技術だと思わないか?」
呆然と眺める三人の背後から、そんな声がして驚いて振り返る。そこには一人の老人が杖を持って立っていた。髪と髭が真っ白でつながって見える。
「あんたは?」
「わしはこの村の長老。君らはどう見ても旅人じゃね? ようこそ、我が村へ。敵意がなさそうだし、問題なく歓迎する」
長老はシワを寄せて笑顔で挨拶する。三人は困惑しながらもとりあえず挨拶し返した。それからトルクは長老に焚き火についてを尋ねてみた。
「これはじゃな……とある一人の旅人によってもたらされた技術でな。この巨大な焚き火のおかげでこの村は肉眼で生活することが可能となっている。まるで賢者のような男じゃった」
長老がどこか懐古するように説明してくれた。
それから彼らは長老に連れられて、集会場なる場所へと案内された。扉を開いて中へと入ると、広い空間の中に数十名という民族が集まって何か話し合っているのが目に入る。旅人の彼らを見て、その話し合いは数秒間だけ静寂に潰されるが、すぐに元に戻っていた。長老は枯れた声で叫び、集会場内の全員の視線を集める。それから、彼ら三人を紹介してくれた。皆、それぞれで反応は違い、興味深げに観察する者、冷淡でどうでもよさそうな者、憧れの目を向けている者などそれぞれ。その中で一人だけ、異様な雰囲気を漂わせる者がいた。陽の光を透過した、純度百パーセントの氷のように美しい蒼色の髪をした少女だった。キラリと輝く瞳を向けて何やら叫んでいるようで、隣に居座る友人らしき人が引いているのが見て取れるほど凄い暴走気味だ。
「ねぇねぇ、あれはまさかだけど! 自らの足を犠牲にしてでも歩き続け、悠遠たる未開の地を探求すべく己の全てを自然に捧ぐ、あの伝説のアレだよね!」
「……アンタのイメージおかしくない? 要は『旅人』だって言いたい訳でしょう? 何からしい言い方して決めたような顔するのが腹立つわよ」
と、友人に酷い言われ様をしている彼女。とてつもない存在感を放っている。遠目で見ていても激しく伝わってきた。
「長老……あのバカっぽいのは何だ? あそこだけ民族違いか?」
「おぉ、彼女はなぁ『異業の頭脳』を持つ者じゃよ」
「聞こえてます、長老! 普段は『滑舌大災害』と噂の長老の声が、今日だけはこんなに離れているのにも関わらず、肌に染み渡るごとく聞こえていますです! 非常に冷たい北風のように私の心が凍えていく音がしますよ! 『異業の頭脳』って遠回しにバカって言ってるよね?! 今まで『異業』って『偉業』の方かと思ってましたよ! そんな自分に恥ずかしいんですけどぉ!」
長老の言葉一つで、激流のごとく勢いで突っ込まれてしまう。それもそれで引いてしまうところがあるのが残念だと、トルクは呆れて首を横に振った。
「あの齢にして、この村のハンターを務めてくれている貴重な存在なんじゃ。ちょいと欠陥品な所があるのが難点じゃな」
長老が笑いながらそう説明してくれる傍ら、
「余分な説明どーも! 欠陥品なんてこの世にはないんだって私は信じてますよ! どんなものだってきっと、意味があってこの世に生まれてきたんだから。だからこそ私は誰にもブレるつもりなんてないんですからね! 欠陥品な所が難点ってことはきっとないんだから!」
蒼髪の少女は必死に自己主張してくれる。
「うん、確かにこれは欠陥品だな」
と、トルクが長老のノリに乗っていく。それに彼女は反応して言い返したり、すぐに他の人間に言われ返されたりと騒がしくなってきた。先ほどまでの寒々しい集会場とは違って、今は暖かい雰囲気に包み込まれている。
「何か、良い人たちで良かったね、カイト」
「うん……どこでもこんな人たちっているもんなんだね」
カイトとルマは入口部で集会場を見学する。祭騒ぎの集会場を通して、しっかりと目に焼き付けておく。
この時は誰も想像はしなかった。まさか、あの問題児な彼女が今後、彼ら三人に多大な影響を及ぼすこととなることは。