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残存ツンドラ旅行記Ⅰ  作者: 星野夜
19/23

第18話『北東島にて』

 剥き出しの岩と氷帽でできた不毛な景観。辺りに草木が生えているところはほとんどない。天候は曇りで風がやや強い。乾燥した風が吹き抜ける。何もないだろう、その大地を五人の旅人が歩いていた。

 灰褐色の髪を持つ少年、カイト。防寒対策の保温性のあるコートを着ていて、腰部に小さな弓矢を隠し持つ。大きめのリュックを背負っていて、体格とリュックのサイズが合ってないためか、時折後ろに倒れそうになっていた。

 その脇を歩くのは茶色の長髪を持ち、翡翠のような美しい眼をしている少女。名前をルマという。彼女はカイトの妹であり、そして幼なじみである。彼女もカイト同様にフカフカした毛皮の外套を羽織っている。ただ、力はないため、荷物は少ない。

 そして一番前を歩くのがトルク。五人の中で唯一の大人であり、カイトたちの引率役をしている。彼もカイトのように巨大なリュックを背負っていた。緑髪なので、時折『コケ頭』と罵られたりする。

 一番最後部を歩くのはスノウとミーナ。スノウは深海のように深い蒼色のミドルの髪をしていて、瞳は怪しい紫色に光る。毛皮の上着、毛皮のズボン、毛皮の首巻き、毛皮の手袋で寒さ対策に重装備。毛皮の下には一本のナイフが隠されている。一方のミーナは、ルマと同様に茶色の長髪で瞳は同色。灰色のコートとシャツ、ズボンを履き、肩にかけているのは質の良い弓矢。

 彼らはあてもなくただ歩く。ただ、カイトやルマには明確な目的があった。同じ種族であるツンドラ族のハグレに会いにいくこと。だけど急いでいるわけでもないため、カイトの提案でこのように島巡りをしているのだった。ツンドラ族の場所についての情報はスノウが知っている。

「今更だけどさ、こんな不毛な大地を観光する意味あるのかな?」

 と、疲れ果てたカイトが自分の提案に疑念を持ち始めた。

「それは……お前自分でしたいって言ったんだろうが」

 トルクが後ろ歩きでカイトの前を歩いて、そう言い返した。

「分かってるよ。分かってるけど……せっかくディノから良い舟を借りたのに、それを乗り捨ててまた別の舟って……。そんなコスト高い旅はうんざりだよ」

「まぁ、確かにな。俺ら、毎回毎回舟作ったり借りたりしてここまで来たからな」

 今まで巡ってきた島。その間、全部で四つの舟を使用した。

 まず、北極からプリンス・カール・フォーランド島へと氷の造船。ちなみに、これはプリンス島(略)に上陸寸前で大破。

 次にプリンス(略)からスピッツベルゲン島への舟。これは仲間となったスノウに借りたもの。正確にはスノウのものではなく、スノウの仲間たち『プリンス族』の木舟だ。

 その次はスピッツベルゲン島からバレンツ島へ。木舟を一隻作った。

 そして現在いる島、北東島に来るための舟をバレンツ族のディノから借り受けた。今までの舟の中で一番高性能で頑丈な舟だ。

「そんな舟を容易に乗り捨てなんてできる? それにあれは借り物でしょ? もらったんじゃない。いずれディノのいるバレンツ島へと戻って返しに行く」

 カイトは自論をトルクに言いつけ、トルクは正論だと思ってしまい言葉を失う。そんな二人の背後、スノウとミーナが、

「ちょっとミーナさん、見てくださいあの人。頭にコケなんか生やしてますよ、下劣ですねー」

「本当ですわね。曇りなのに日光を取り込む自意識過剰宣言ですわよ。そもそも日光取り込んで何になるのかしら?」

「あ! 分かりました! おそらく彼は人であることを拒んできたんですよ! だからコケになんてなろうとして……人間も落ちるとこまで落ちるとあんなコケみたいになるんですね」

「ちょっと、スノウさん。声が大きいわよ、彼に聞こえちゃう」

 わざわざ聞こえるように、最後部の二人は会話を交わす。トルクはそんな二人の声に反応する。

「おいっ、そこのクソガキども! 今、誰の話してたんだ、おい?」

「あらどうしましょう? バレてしまいましたわ、スノウさん」

 全く慌てふためく口調ではなく棒読みのミーナ。

「言いのよ、植物に攻撃力はありませんのよ?」

 と、スノウは余裕そうに呟いて嘲笑した。ミーナも一緒になって嘲笑う。

「てめぇら……随分と俺をコケにしてくれるもんだ……」

「「何を言ってるんです? コケにしたのはあなた自身でしょう?」」

 完全に息ピッタシの二人からの罵倒に、トルクがカイトとルマの間を縫って二人のところへ。スノウとミーナは嘲笑しながら二方向に散っていった。それをトルクがスノウから狙って追いかけ始めた。

「ふふふ、本当に面白い人たちだね、カイト」

 ルマが笑顔でその光景を眺め、

「あの、結局舟の件は?」

 カイトは小さくため息を吐き、子供のように走り回るトルクと、笑いながら逃げ回るスノウとミーナを見てちょっとだけ笑った。


 カイトとルマはゆったりとした足取りで不毛な大地を歩いていく。その二人を囲むように逃げ回るスノウとミーナ、そしてその二人を追い掛け回すトルクという構図で、彼らは着実に進んでいた。その最中、

「クソガキ、てめぇ! ここでやっぱり処罰すべきだ!」

「あっはははっ! トルクは弓矢で来ると良いよ! 私は断然ナイフ使いなんですけどね。でも、トルクじゃ私には勝てないよ? 処罰されるのはコケ頭一人で十分なんだから」

「こんのっ!」

「あっははははっ!」

 トルクを嘲笑いながら逃走するスノウの姿が次の瞬間、視界から消えた!

「あっ、わぁぁっ! きゃ――」

 スノウの絶叫がして、その声は途中で途切れる。トルクがすぐさまスノウのいた場所へと駆け寄ると、そこには直径六十センチほどの大穴が空いていた。スノウはトルクを見ながら走っていたため、この大穴が見えなかったのだろう。ドジって穴の中へと落ちていってしまったらしい。カイトとルマ、そして先ほどまで逃げていたミーナもその穴を確認する。

「これは……随分と大きな穴だね……。スノウは大丈夫かな?」

 その大穴は真っ暗で底は見えない。不思議なことに、その大穴はまるで研磨されたように綺麗な壁をしていた。突出物がない方がスノウへのダメージが減るものの、これは人工的に作られたようにしか見えない。とりあえず、トルクは上からスノウを呼びかけてみる。反応はない。

「……こいつはマズイな……。どうするか?」

「紐、使って……降りる?」

 ミーナが紐を既に用意して尋ねる。トルクは首を振った。

「いや、紐は使わなくて良い……。この穴、人が作ったと見る。だったら、入口がこんな粗末な作りなわけねぇ。他にも入口があるはずだ。時間がかかるかもしれねぇが、それを探そう!」

 こうして北東島でのやるべきことが決定した。


 わずかではあるが聞こえてくる声に反応して、全身ズタボロのスノウは目を覚ます。あちこちを打ち付けて痛めていた。ぼやける視界で場所の確認をする。どこか暗くて冷たい場所にいるらしい。うっすらと闇の奥で炎の光が見えていた。スノウは立ち上がろうと腕に力を入れて――その手は動かなかった。見ると、両腕両足に固く紐が結えられていた。スノウはどうにもならないと、その場で倒れたままでいると、松明を持った男が目の前へとやって来た。先ほどの炎の光の正体だ。

「よー、お目覚めか?」

 男の渋い声がして、スノウは何も答えない。男がスノウの頬に数回ビンタをかます。スノウは無言で男を睨みつけた。ビンタをされて頬が赤くなっている。

「起きてるなら起きてると言えよ。……お前、誰だ?」

 スノウは答えない。すると、男はスノウの腹部を蹴りつけた! 腹部に衝撃を受け、必然的にスノウは声を上げた。痛みをこらえ、スノウは男を睨む。松明で逆光になり、男の顔は確認できない。

「質問に答えようか? あ、答えなければ――」

 男は再び、無防備なスノウの腹部を蹴り飛ばした。スノウは叫び声とうめき声の中間のような濁った声を上げる。

「こうなるわけだ。まぁ、安心しろ。腹部の内はまだ軽いほうだ。可愛いお顔じゃなくて良かったなぁ。まぁ、答えなければそのうち、その顔面も見るも無惨な姿になるんだろうけどな。さぁ、始めようか。……お前は誰だ?」


 日が落ちて夜になる。月夜の中、カイト、ルマ、トルク、ミーナの四人がどこかへ入口を探し回っている頃。スノウはどこだか分からない空間に倒れていた。両手足は紐で拘束されて動けない。拷問役の男が一定周期でスノウのところに来ては拷問を繰り返し、そして二桁ほどの回数拷問を受けたスノウ。吐血していて、その血液が地面に流れて溜まって、蒼い髪の毛を赤く染めていた。食事を取ってないため、腹痛と空腹に苛まされている。

「……カイト、ルマ、トルク、ミーナ……私……どう、すれば……?」

 スノウの悲痛の声は枯れてほとんど何を言っているのかも分からない。

 スノウは目をつぶり、今までの楽しい日々を考え始めた。カイト、ルマ、トルクの三人の仲間になって旅を始めたこと。懐古の中、スノウは思い出す。腰に隠し持つ一本の刃物に。普段から腰に隠し持っている護身用のナイフだ。ただ、手を紐で固定されている今の状況では取るに取れない。

(……どうにかして取れさえすれば……)

 スノウは辺りを見回す。男が置いていった松明の薄明かりを頼りに、どういう環境下なのかを確認する。地面は氷でできていた。正確には雪が凝縮して作られた融解しづらい氷、絶対凍土の氷だ。天井部は岩、うっすらとで正確には把握できないが、天井部は滑らかに削られているらしい。落ちてきた穴は見当たらない。松明で見えるのは周囲三メートルが限界。その奥は闇のみ。今いる場所がどれほど広いのかも不明。ただ、男は松明の置かれた方向からしか来ていない。スノウの方向感覚は松明一本で支えられていた。目だけに頼らず耳を澄ましてみるが、聞こえるのは松明の燃える音だけ。

(……もしかして、見てる?)

 スノウの目線の先、松明との直線上の闇の奥。スノウは闇に紛れて男の視線に恐怖していた。仮に見られたとして、この状況下で脱走なんて試みれば、罰が課せられることだろう。今の状態でも限界に近いスノウ。これ以上の罰なんて受けていられなかった。男曰く、まだ序の口だとか。これから先、時間が経てば経つほどに拷問は過激さを増していくことだろう。すれば、スノウの精神も肉体も崩壊するのは秒読みだ。そして、崩壊したら最期、二度と仲間には出会えない。スノウはそんなことを考えて青ざめる。

(ナイフさえ取れれば……)

 ナイフは激しい動きでも外れないようにしっかりと取り付けられているため、ちょっとやそっとの動きでは外すことはできないだろう。

「……みんな……私に、力を……」

 スノウは掠れた声で呟き、それから口内に溜まった血液を吐き出すと、意を決して行動に出る。


 月光が虚空の闇を照らし、不毛な大地を切ない景色に変えている。蒼白い空と灰色の地面の境界線が周囲を取り囲んでいた。

「みんな! こっちに洞穴がある!」

 カイトが洞穴を見つけ、皆に声をかける。大急ぎで揃った彼らが見たのは、直径二メートルほどの洞穴。真っ暗闇がどこまでも続いていて奥は見ることはできない。どこかに通じている証拠に、風が吹き抜けてカイトの灰褐色の髪を揺らしていた。耳鳴りのような高音が鳴り響く。

「動物にしては綺麗に掘られてるな。こいつは人間が研磨したんだろう。良くやった、カイト! もしかすると、スノウはこの先にいるのかもしれない」

 トルクが希望に目を輝かせている中、

「……既に殺されてることも、考えられる。生きてるかどうかは分からない……」

 ミーナが素っ気なく呟き、トルクが反論しようと口を開く前に、口を開いて続ける。

「それに……洞穴の中へ向かうということは……相手から逆光……。こっちは進行方向に暗闇しか見とれない。相手に見つかれば最期……」

「それでも行くしかないんだ! 例え死んでいようとも! せべて死んでしまったなら、俺たちの手で土葬してやりたい!」

 トルクがそこまでを一息で言い切ると、

「じゃあ、決まり……行こう」

 ミーナが断然やる気でトルクの背中をバシッと強く叩いた。


 松明の赤色で洞穴を照らしながらずっと直進していく。未だに分岐点は訪れず、ただただ真っ直ぐな道が続いているだけだった。四人の足音が狭い洞窟に反響して奥まで届いている。奥に人間がいるなら、いつバレても不思議ではない状況だった。武器を持たないルマを除き、全員がいつでも反撃に出れるように武器に手をかけていた。足枷となる旅荷物は全て洞穴入口に放置しているため、今彼らが持つのは松明数本とそれに火を付けるための火打石。弓矢やナイフなどの武器類。武器を持たないルマが持つ治療用具だけ。

「……スノウ、大丈夫かな?」

 三番目を歩くルマが尋ね、

「きっと大丈夫だよ」

 最後尾のカイトが答えた。それに追従し、最前を歩くトルクが口を開く。

「みんなに……ちょっと訊きたい事があるんだが……。あの穴、何のためだと、思う?」

 トルクのその問いのあと、皆が数秒間黙り込んで、それから口々に、

「通気口、じゃない?」

 と、二番目に歩くミーナが。

「……煙突?」

 と、ミーナの後ろのルマが。

「あれは、物資を地下へと送る道とかじゃないかな」

 と、ルマの後ろを歩くカイトがそう答えた。

 トルクはそれぞれの答えを聞き、そして悩む。

「俺はさー、どーしてもあれが『落とし穴』には見えないんだ」

 なんて妙な返しをしたトルク。

「「「落とし穴?」」」

「あぁ、スノウが落ちたように落とし穴かとは考えた。けど、やっぱり落とし穴にしては表面が綺麗に作られすぎだ。あれだとまるで、落とした物に傷をつけたくないようなあ感じだ。ひょっとすると、あの穴は入口だったのかもしれない。地下にある住処に一瞬でたどり着くための穴だ。だから、奥底が見えなかった。いや、正確には穴は直線で落ちるわけじゃなく、途中から傾斜が付いて最後は緩やかになってるのかもな。スノウのやつもあまり傷ついてないとみたぜ。ルマ、お前は自分が思ったより心配性なんだよ。人は見た目以上に頑丈なんだぜ。あのクソガキの頑固さは俺が星を上げても良いほどだからな。どーせ、今頃腹減ったとか何とか考えてんだろ?」

 トルクはトルクなりにルマを励ました。トルクが人を励ますなんて珍しいことである。ルマは二人の励ましで元気づいて笑顔になった。それを確認した二人も希望を胸に抱く。その様子を間で見ていたミーナは無表情だったが、内面では微笑んだりしていた。彼らはスノウの無事を祈ってただひたすらに闇の奥へと突き進む。この先にある狂気に気づくものは誰一人としていなかった。

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