第15話『バレンツ島にて村民防衛』
「トルクは……死ねば良い」
ミーナが冷淡に呟く。カイトとルマは凝視するが、トルクに殴られた左頬が赤く腫れているのを見て黙り込む。ミーナがトルクを恨んでいてもおかしくはない。二度も本気の拳を受けているのだから。
「だーれが死ねば良いだ、こら」
ミーナの声に反応して、トルクの声が響く。濃霧の中から疲れ切った顔をしたトルクが弓矢を持ってやって来た。カイトとルマ、そしてスノウはホッとして胸を撫で下ろす。
「まだ生きてたんだ。てっきり死んじゃったかと思ったけど」
「まだ毒舌吐けるか。てっきりネタ切れしたかと思ったがな」
トルクとミーナがそれぞれに皮肉って、それから笑顔で笑い始めた。二人にしか分からない空気に、カイトたちは首を傾げる。ただ、笑い合える仲のままなんだと、カイトは少しホッとしていた。
赤や黄色の葉が風にそよぎ、宙を舞って世界を暖色で染め上げる。そんな美しい紅葉の森が広がる中に一軒の木屋があった。入口は地面より一メートルほど離れていて、階段が設けられている。その階段に二人の人間が秋色に染まる森を眺めながら会話を交わしていた。緑髪の少年と金髪を後ろで纏めた女性の二人。
「師匠は何でそんなに強いんすか? 秘訣とか、あるっすか?」
緑髪の少年が尋ね、女性はしばし景色を眺めながら黙考する。
「……簡単ですよ? 他人を考えること」
「何すか、それ?」
「他人の行動を考え、常に先んじて行動に出る。だから、他人よりも上手を取れる、だけですかね?」
何ともないかのように、師匠と呼ばれた金髪の女性は答える。
「それだけって……それができれば苦労しないっすよ、師匠」
「……覚えておきなさい。味方であっても常に敵だと認識しておくこと。そして、いつも半信半疑でいなければ、いつか足元掬われますよ?」
師匠は屈託ない笑顔を振りまいて言う。緑髪の少年は、
「はは……師匠が言うと自分が危ういんじゃないかって思うっすよ」
青い顔で笑っていた。
「――ク? トルク? おーい」
「はっ! な、なな何だ?!」
何か考え事でボーッとしていたトルクはスノウの言葉で自我を取り戻す。
「ボーッとしてないでよ。それよりほら! あれって人間だよね?!」
濃霧の中、スノウが指差す方角、およそ五メートルのところに人影らしきものが動いているのが確認できる。そして、あちら側も気づいたようで、こっちに近づいてきた。近づいてきて、ようやく人間であって、どんな外装をしているのかがはっきりしてきた。
「やぁ! こんなところで奇遇だね! 君たちも旅人なんだろう? 全く濃霧で何も見えなくて困ったものだよ。今日はもうそろそろ休もうかと思って寝床を探しているところだったんだ。そしたら、君たちの影を見つけた。驚いたよ、本当に! こんなところに人がいたなんて!」
興奮気味に話す一人の旅人だ。全身毛皮の重装備で、背中には茶色のリュックを背負っていた。茶髪で高背な男。こんな環境下で彼らに出会ったのに、この男は全く警戒すらもしない。人類みな兄弟という考えを持っているのだろうか。六人も別に争いを好むわけじゃないので、ここはフレンドリーに接することに。
「……やぁー、こんにちは。珍しく旅人に出会ったのに、天候はそれとは相対して晴れないよね?」
普段の二倍増しの明るさでスノウが男へと挨拶をする。
「そうだねー。猛獣に出会ったらどうしようとか考えていたら、君たちを見つけた。これはちょっとした奇跡か偶然か何かだろうね。僕はね、この先にあるっていう、とある村を目指しているんだ。情報によれば、その村は個人個人に距離を開けて生活をしているとか……。争いを間逃れる一番の方法だとか何とか……。そんな変な村はなかったかい?」
男は淡々とそう説明する。一番最初にピンときたのは当然、ディノだった。自分たちの村のことだろうと理解し、そして敵意が湧き出てきた。一番最後尾にいたディノは前へと歩み出ていく。
「おい、お前……バレンツ村に何しにいくんだ?」
乱暴な口調でディノは尋ねる。明らかに敵意むき出しで目つきは鋭い。男はそれを分かっていて、あえて笑顔のまんま、言葉を放った。
「君がそれを知る意味はないんだよね」
「俺の村だから訊いてんだよっ!」
「……君が、あの村の出身者……。じゃあ、教えてくれないかな、バレンツ村の場所を?」
男は敵意むき出しのディノに怯むことなく尋ね、ディノが激怒して殴りかかろうとしたのをトルクが引き止めた。
「ここで争いは無用物だぞ?」
「じゃあ、こいつを野放しにしろってか、あぁ?! こいつがバレンツ村を襲撃するかもしれねぇのによっ!」
「まだそう決まったわけじゃな――」
「しますよ、襲撃」
「はぁ? え?! えぇ?! 何で自分からバラしてんだ、お前!」
驚愕して唖然としているトルクの腕を振り払い、ディノは男へと駆け出していった。トルクが気づいて捕まえようとするが、それは遅く、ディノの拳は男の左頬を捉え、身体ごと吹っ飛ばした。
「てめぇはやっぱりここで殺すっ!」
ディノはそう叫ぶと、緑色の弓を手に毒矢を番えた。刺されば一撃であの世へと送れる凶悪な毒矢。狙いを一秒足らずで、倒れる男の頭部に合わせる。そして右手を離す、その直前、スノウがタックルをディノに決めて、ディノの放った毒矢は空を裂いてどこか明後日の方向へと飛翔していった。
「何するんだ、てめぇ!」
「落ち着きなよっ! こいつを殺す必要もない、むしろ尋問して情報を得る方がお得だとは思わないわけ?! この先、ディノも私たちも知らない世界が広がってるわけじゃん! こいつはその情報を持つ者……殺すのは情報を取ってからでも良いじゃん」
必死の形相でそう提案したスノウに、トルクは悪寒を感じて顔をしかめた。
「うわ、お前も随分とエグい思考できるんだな、感心したぜ」
「シリアスなんだから、そこに反応しないでよ」
スノウがトルクの肩を軽く殴ってそう呟く。ディノはというと、立ち上がって無言で男を睨みつけていた。その前で、男はリュックから一本の鉄の棒を取り出す。スノウとトルクがいつも通りの言い争いをする中、ディノは静かに落ちた弓矢を持ち構えた。
「何するつもりかは一目瞭然だが、一応訊いておくぜ。アンタ、今から何するつもりだ?」
少し冷静になったディノがそう尋ね、男は行動で答えた。突然、ディノ目掛けて走り出したのだ! ディノは躊躇なく毒矢を放つ。だが、その矢は男の持つ鉄パイプの一撃によって叩き落とされた!
「んなっ、化物かぁっ?!」
ディノが驚愕して動きを止めたその刹那、男の鉄パイプの一撃がディノの腹部を捉える。カイトとルマ、そしてミーナの三人が見ている中で、ディノの身体が吹っ飛んで横切り、白い濃霧の中へと消えていった。カイトがすぐさまディノへと駆け寄るそのタイミングで、男は背を向けたカイトに鉄パイプを食らわせ、ディノとは別の方角へとぶっ飛ばした。五秒もしない内に、二人の人間が白い濃霧の中へと消えてしまった。ようやく事態に気づいたスノウとトルクが警戒態勢を取ろうとした時、二人の頭部に鉄器の一撃が入る。それは男が腰から取り出したブーメラン。腕を軽く振って投げ飛ばしたそれは、濃霧を切り裂きながら弧を描き、やがてトルクとスノウの間、両方の頭部に激突した。鉄でできたそれの破壊力は抜群で、二人を沈めるのには申し分の無い武器だった。二人は意識を失い倒れてしまう。
「だだだ、大丈夫っ?!」
ルマがカイトとディノの両方の心配をし、どちらに行けば良いか迷って動けない中、男は悠々と滑走してルマの背後へ。首に重い一撃を与え、同じくして意識を飛ばさせる。
「さて、残りは――」
「動かないで」
男が残りの一人であるミーナの姿を確認すべく振り向く。いつの間にか男の背後に回ったミーナが、弓に矢を番えた状態で立っていた。男はニコニコ顔のまま、平然と尋ねる。
「良いのかい? 無防備だった僕を殺す唯一のタイミングだったのに」
男は躊躇せずに足を踏み出し、ミーナへと突撃していく。それにやや驚いたミーナは矢を放つが、それは男が見極めてパイプで弾き飛ばした。そして驚き顔のミーナを鉄パイプで叩くわけではなく、普通に蹴り倒した。
「濃霧で先ほどは分からなかっただろう? 僕がディノという輩の矢を叩き落としたことに。君はやはり、あの時に僕を殺しておくべきだった」
男は倒れるミーナに上から見下して言うと、ミーナの右目の位置に合わせて鉄パイプを構えた。そして一言、
「その曖昧な観察眼を取り除いてあげよう」
そう言ってから、男は持っていた鉄パイプでミーナの右目を潰――
「させるかよ!」
突如、濃霧から飛び出してきたディノのタックルで鉄パイプが弾かれる。鉄パイプが地面に落ちて音を反響させた。ディノのタックルによってできた隙に、ミーナは起き上がって即座に弓矢を拾い上げた。ただ、男はディノのタックルに合わせて濃霧へと遁走して視界から消えてしまった。ディノとミーナの二人はそれぞれ背中を合わせて陣取る。どの方角から来ても対処できるように。
「ちっ! 濃霧といい、突撃魔といい、今度は旅人襲撃ときたか……。もうお前らの悪運にはウンザリだ!」
「……」
二人はそれから黙り込む。突如として辺りが静まり返って、何の物音もしなくなった。足音一つすらしない。ディノとミーナは常に矢を番えた状態で弓を持ち、男の姿を見つけたら問答無用で撃ち殺すつもりでいる。ただひたすらに、静かにその場で立ち尽くし、獲物を捉えようとする野生のタイガーのような鋭い眼光で濃霧を睨む。距離にして五メートルほどでようやく人影を認識できるレベル。男かどうかを判断するにはもう少し距離が近くなければならない。一方の男は誰であっても無差別に攻撃を仕掛ける。距離五メートルの時点で、男の方が一本上手の状況。
そして人間の人影を認識するミーナ。その人影は子供サイズ。男の陰ではないのにひと安心する。どうやらカイトらしい。手には小さな弓矢を持つ。
「二人共! 無事で良かった」
「カイトか。お前の仲間、まだ生きてるか?」
ディノの素直な質問に、カイトはただ分からないとしか答えられなかった。
「ただ、今やるべきことは仲間の心配、よりも敵の討伐、だよね? ディノ、ミーナ……僕らで男をはめてやるんだ。正直、一対一では勝てる相手じゃないと僕は思う。だから、策がある」
「ほほぅ、聞こうじゃねぇか」
カイトの鋭くも希望に満ちた瞳に、ディノは少しばかし期待を寄せていた。
緊迫した空気の中、男は濃霧を巨大な円を描くように移動していた。その手には鉄パイプが一本握られている。足音を消しての移動あって、移動速度は歩行とほぼ変わらず。ゆったりと獲物を刈る虎のような悠々としている。男はある程度、六人の居場所を把握していた。一人ずつ、着実に殺傷していくためにまずは拡散させたのだった。そして、彼は一人目の人間が倒れているのを見つける。小さな身体で茶色の長髪が乱れて顔を隠していた。おそらくそれはルマの姿。先ほど、男が気絶させておいたのだ。倒れるルマの前に立ち、男は笑顔で鉄パイプを持ち上げた。
「その綺麗なお顔にお花を咲かせてあげよう。心配しなくても一撃だから痛みは感じない」
気絶状態のルマには当然聞こえていないのを知っていて、男は笑顔でそう呟いた。そして振り上げた鉄パイプを叩きつける、その瞬間、左腕に一本の矢が突き刺さった! 男が痛みで顔を歪め、持っていた鉄パイプをその場に落としてしまった。金属音が反響する。
「なぜ位置が分かるんだぁっ?!」
矢を放った張本人に向かっての絶叫。次の瞬間、同時に三本の矢が濃霧を切り裂いて飛翔してきた! 男は反応できずに左腹部、左肩、左太ももに矢を貰い受ける。激痛と共に服に鮮血を染み込ませた。男が再び口を開いて何かを叫ぼうとした時、男の視界が暗転し、彼は力尽きて倒れ、二度と立ち上がることなく、息を引き取った。
「……なぜか、教えて欲しいか?」
そんな言葉を吐いて、ディノは男の前へ。弓矢を構えて男の死体を睨む。
「濃霧だから気づかなかっただろう?」
ディノは男の右足首の辺りを掴む。そして引っ張ると、うっすらと一本の極細の釣り糸が。その糸はどこかへと伸びていた。
「こいつがトリックだ。ネットワークを張ったわけだ、俺らは。まんまと引っかかったどこぞのバカが足を動かすたびに、釣り糸に振動が伝わって位置が把握できる。あとは問答無用で矢を数撃って当てるだけってわけだぜ。仲間を撃ち殺す心配はない。他の三人は仲良く意識を飛ばしちゃってるからな。良く覚えておけ――ってもう覚えるだけの頭はないか。死人が覚えるのは死の味だけだ。どうだ? それが死の味だ」
ディノは死体へと無意味な捨て台詞を吐くと、ついでに唾を吐きつけた。
ドレライト柱状節理を横断して夜、彼らは誰も傷つくことなく無事に端までたどり着くことができた。その頃には濃霧は晴れて空には曇り一つない満点の星空が広がっていた。美しくて儚くて、それでいて悲しい景色だ。
カイト、ルマ、スノウ、トルク、ミーナの五人はディノの案内で、絶景の見える崖にテントを張ることに。その際、またしてもスノウとトルクの口喧嘩が始まった。毎回毎回、なぜそこまでテント張りが下手なのか。それを楽しげに見るカイトとルマ。仕方ないとディノが口喧嘩の仲裁に入ろうとして、そして口喧嘩グループの仲間入りとなった。結局、三人がそれぞれ言いたい放題言って、冷静なカイトが一人でテントを立て切った。今夜は絶景を見ながらの就寝ということになる。そして翌朝、このドレライト柱状節理ともバイバイし、新たなる島目指して出発の予定。
「あんたら、次は何島を目指すつもりだよ?」
崖で足をぶらぶらさせているディノが、背後で無言で立って水平線を眺めるトルクへと尋ねる。トルクはスノウへ尋ねて、スノウが答える。
「ここから北東にある北東島だよ」
「……あんたらはとことん運のない人間らしいが、最後ぐらいは神が運気アップを図ってくれたみてぇだな。あんたらは島へ行く時、当然だが舟を使うだろ? そこでだ、俺がたまたま停めていた簡易的な舟を一隻を使わせてやっても良いぜ?」
ディノがやや照れくさそうに目線を泳がせて呟き、彼らは一隻の舟を手に入れる。性能やサイズはともかく、島へと渡れるならば問題はなかった。
翌日、彼らはドレライト柱状節理から降りて北東の海岸線へ。水平線から昇る煌々とした朝日に目を眩ませながら、浅瀬に留められている一隻のボートへ。木製で作られた、長さおよそ六メートル、幅一メートルほどの細長い形状をした大型の木船だった。二メートル間隔で横木の支えが取り付けられていて、ロープが巻きつけてあった。そして船底には組み立てれば帆になるだろう木材と布、そして船中心部には帆を差し込むための四角い穴が作られていた。帆の高さはおよそ二メートル。最後部には一本のレバーのようなものがあり、おそらく方角を変更するための舵が設置されている。かなり精巧に作られた木造船だ。ディノは非常に慣れた手つきで船内に置かれた分解済みの帆を組み立て、そして穴へと差し込んだ。北東への追い風が帆を膨らませている。あとは船に取り付けられた固定用ロープを外せば、風力で陸を離れて勝手に北東へと流れていく。
「これをディノさんは一人で作ったの?」
頭に包帯を巻いたルマがディノへと尋ね、ディノは照れ恥ずかしそうに明後日を向いて、
「まぁな……これぐらいできねぇと一人前の男にはなれねぇしな」
なんてお調子発言をした。
彼らはディノに誘導されて船へ。五人がゆっくりと転けて落ちないように乗り込む。最後部の舵の操作役のために、トルクは一番最後に乗った。それからディノが固定用ロープを岸の岩から外そうとして、
「ちょっと待って!」
不安定な揺れる足場で、カイトが立ち上がって呼び止めた。その際、ふらついて海に落下しそうになったのでとっさに帆を掴んで身体を安定させた。
「何だ? まだ俺に用でもあるか?」
「お礼、してないから。これじゃあ、まだ行くに行けない」
「はぁ? 何だそれ?」
カイトは腰に手を回し、コートに隠れていた一本の弓と、コンパクトサイズの矢の入った小さな筒を手に取り、その二つをディノへと投げ渡した。普段、カイトが使用する弓とは別の、予備の隠し弓矢だった。
「お前、これは――」
「お礼としてそれをあげます。いつもの歪な矢じゃあ、狙いも定まらないなって思って。しっかりと直線の矢を使えばもっともっと上手だと思いました。だから、それを」
「……ふんっ、いらねぇ気回しやがって……まぁ、貰えるものは貰っておくぜ。じゃあ、ロープを外すぞ?」
ディノは次こそ固定用のロープを外した。船がロープを引きずりながらゆっくりと岸から離れていく。五人はディノへと別れの挨拶として手を振り、ディノは渋々、でもやや嬉しそうに手を振り返した。そして船は北東の風に煽られながら次なる島『北東島』へと流れていく。




