第10話『スピッツベルゲン島にて分散孤立』
西の海岸線に木舟が一隻停められていて、そこに四人の姿があった。彼らはそれぞれ外套を羽織って寒さの対策をしている。
「では、改めて説明する!」
上下が毛皮で作られた服を着ていて、首に毛皮のマフラー、手には毛皮の手袋を付けた十六ぐらいの少女が胸を張ってそう叫ぶ。その声に他の三人は彼女を注視する。
「ここはスピッツベルゲン島! スヴァールバル九島の中で最も広大な島です!」
そこまで説明した少女に、緑色の髪の男が挙手して止める。
「ちょいと待て、スノウ。それは初耳なんだが、ここは九島もあるのか?!」
訊かれた、スノウという少女は頷いて答える。
「全島に上陸したことがあるわけじゃないけど、それなりに情報なら持ってるけど?」
「あのさ……どうせなら、観光でも、イテテ……」
身体中に包帯を巻いて傷だらけの少年がそう提案をする。そんな少年は翡翠色の瞳を持つ少女の肩を借りていた。
「その負傷で良く言えたもんだぜ、カイト……。だけれど、その案、悪くない」
緑髪の男はちょっと楽しげに提案に乗っかる。スノウもその案には賛成という感じだった。
「何も旅はただ目的地へと向かうだけじゃないからね。旅路を楽しむのもアリだよね♪」
ただ、一人だけ反対派がいた。負傷しているカイトという少年に肩を貸している少女だ。
「カイトはこんなに負傷してるんだし、道を引き伸ばすのはやめようよー」
「問題ないぜ、ルマ。なぜかって? おそらくはツンドラ族のハグレのとこまで着くのに、直線距離でもそれなりの日数になるからな。そのうちに結局はカイトの傷口は塞がっちまうからよ。どっちにしてもカイトが歩くだけの体力が戻るなら、問題はないんだ」
緑髪の男はルマと呼んだ反対派の少女にそう説得をする。ルマは心配そうな顔で一度、カイトの顔を見つめる。その視線に気づいたカイトがルマへと振り向いた。
「心配してくれてるんだよね、ルマ? 僕なら……大丈夫、だからさ。楽しくない旅なんて、それは旅じゃなくて……ただの派遣になっちゃうから。ちょっとぐらいの息抜き、しても良いんじゃない? そうでしょ、トルクさん?」
カイトもルマを説得し、トルクと呼ばれた緑髪の男も何度も頷いて賛成していた。
そういうことで、東へ向かうはずだったが、彼らは観光するとのことで、スノウを案内人に南東方向へと進んでいく。
ただ残念なことに、先程まで晴れていた天候が一転、突如吹雪に襲われてしまう。視界一メートルが真っ白になるほどの猛吹雪に、彼らはかなり苦戦する。トルク、スノウ、カイトとルマの順番で一列になり、ゆっくりと進んでいく。その最中、突風が吹き荒れて彼ら全員をめちゃくちゃに吹き飛ばした。それが原因となり、それぞれがはぐれてしまう。
次に吹雪が晴れた頃には、それぞれが孤立して別々の場所に立っていた。一面真っ白銀世界の中、仲間を探しての旅が始まったのだった。
――その日の夜――
夜空に翡翠色のオーロラが波打っている美しい光景の下、同じくして緑色系の髪の男、トルクはバッグを肩にかけながら、とある一つの山脈の峠を下っていた。他には誰もいなくて一人だった。ほとんどの道具が入れてあるリュックはどこかに落としてしまい、今持ち合わせているのは肩にかけてぶら下げるタイプのバッグで、必要最低限の道具だけが詰められているだけだった。得意の弓矢は別のバッグで、今持っている武器は何もない。トルクは十数分前に長くて険しい崖道を越えてきたばかりで、悪態を吐きながら何度か雪の積もった地面を蹴り散らしたりしていた。
トルクの持つバッグの中には二日分の乾燥食、サバイバルナイフ一本、火起こし用の燃やし木、包帯が一ロールだけ。夕方に休息を取った際、食料を一日分ほど消費したため、乾燥食は明日の分だけになっていた。
「くっそ! 休息ぐらい取らせてくれたって良いじゃないか! 何も吹雪まで呼ぶ必要はねぇーだろうが!」
明るい夜空と相反して暗い峠道で一人叫ぶトルク。脇に生え渡る雑草を踏み潰して八つ当たりしている。
周囲はひっそりと静まり返っているために、その憤激の声は良く響いている。それに反応してか、どこからか動物の鳴き声が聞こえ始める。それは遠吠え。おそらく狼の一種だろう。
「……狼、か……」
狼というキーワードで死んだフェンリルを思い出し、少し泣きそうになって押し留めた。
「……孤独だからってふてくされる俺じゃないぞ……」
自分に言い聞かせるようにして何度か呟いた。今まではカイトやルマ、スノウ、そしてフェンリルがリュックの中で休息を取っていた。いつも、近くには誰かいた。ただ、今日は違う。
「はぁー、もー……柄じゃないな、全く……。さぁ! 行くぜ、トルク!」
無理やり落ち込んだ自分に活気つけて、トルクは足早に雪を踏みしめて峠を下っていった。
峠を下る最中だった。進路の先に炎の光を見つける。暗い峠ではどんなに油断していても見つけられるほどの光量を放っていた。トルクは嬉々としながら、でも警戒を怠らずに慎重に確認をする。視界が広がる崖の前、そこに一人の少女が座っていた。周囲には不思議と草木は生えてない。真っ黒に染まった水平線と夜空に浮かぶ満点の星の煌きが一望できる絶景スポットだった。少女の脇には焚き火の炎が小さく揺らめく。危険度はなさそうだと判断したトルクは、少女に距離を置いたまんまで言葉を投げる。
「……その――」
「ひゃぁっ!」
トルクの声に、少女は驚いて飛び上がり、崖から危うく落ちそうになった。そこからすぐに後ろを振り向いて警戒姿勢を取る少女。トルクはゆっくりと少女の前へ。怪訝そうに見る少女に、自分が誰でどういう経緯でここにいるのかを一応説明して安心させる。
「うん……分かったよ。見つかると良いね。……私のような道を辿らず、無事に仲間の元へとたどり着けますように」
少女は星空を眺めてそんなことをお願いした。
「何してんだ?」
意味不明な行為にトルクは首を傾げる。少女はちょっと寂しげに、説明してくれた。
「星に願うと叶うって、昔から言われてるから。私、何回か願い事をこの峠で呟いたことがあるの……。叶ったって人はいるみたい。だけど、本当に必要な時だけだっておばあちゃんが言ってたから……これで三回目のお願い」
「ふーん……そんなこともあるんだな。俺も今度からはそうしてみるか……」
トルクも少女と同じくして星空を見上げる。
「ここ、絶景でしょ? 妹が一度は行きたい場所だって言ってた。でもね、私は妹にこれを見せたくはないんだ、意地悪でしょ?」
少女が笑顔で、でも寂しそうな顔でトルクへと尋ねる。トルクは視線を少女から水平線の向こうへと逸らす。
「……いや、別にそうは思わないけど? 誰だって何かしらの理由があってそうするからな。俺から見れば、アンタは悪人には見えないぜ? 何かあったんだろ?」
トルクは逆に少女へと尋ねる。それが必中したらしく、少女は涙を堪えているようだった。けれど、なぜか笑顔は絶やさない。
「……やっぱり旅人って感が鋭いね……。少し長くなるけれど、訊いてくれる?」
「あぁ、ちょうど暇してたし、歩き疲れていたところだった」
トルクは少女の座る脇に座って、星空を眺め始める。その横で少女も同じくして星を眺めながら、口を開いて話し始める。
私はとある雪原に佇む小さな村に暮らしている。両親は既に他界してしまって、今は妹と二人きりで生活している。両親は昔、ハンターという仕事をしていて、それを私は誇りにしていた。ハンターは危ない仕事で、でも村を救うための立派な仕事だった。だから、その仕事で死んでしまった両親の思いを乗せて、私はハンターになることを誓った。そして私はハンターになったの。十二歳以上の人間はハンターになれる。ハンターは村からの外出ができるようになり、外の世界で食料を確保したり、木材を採取したりする。
そんなある時に、私はこの絶景の見える崖を見つけた。まだハンターになりたてだった私はそれを見て感動してしまった。そしてその時に初めて、『海』を知ったのだった。妹にそれを伝えると、妹は明るい表情で、
「私もいつか、そんな景色が見てみたいなー」
なんて言ってた。私はそんな妹を撫でて、ハンターになったら一緒に行こうねって誓い合った。
だけど、その約束が破れてしまうのは安易だった。ある日、村長が生贄を決めるための会議を開いたの。この村では一年に一度、子供を一人生贄に捧げることで、厄災を取り祓う儀式がある。そして運悪く、妹がその対象者として選ばれた。それを二人で聞いてしまい、妹は目を丸くしてショックを受けてるようだったんだけど、すぐに笑顔で振り向いて、
「そ、そんな大きな仕事ができるなんて……私、嬉しいよ、お姉ちゃん」
なんて言ってた。私はそんな妹に抱きつき、ずっと一緒にいたいよって、まるで私が妹みたいになってて。そんな私を今度は妹が撫でてくれた。
妹が生贄になると決まっても、私はハンターの仕事をしっかりとやり遂げて村へと帰っていった。むしろ、もっともっと頑張った。
そんなある時に、ハンター仲間の一人に聞いた。この絶景の見える崖の森が、なぜこんなにも切り開かれているのかを。この崖は生贄を突き落とすための断崖なのでした。それを知ってから、私は妹に絶対にここに行かせたくないと思った。だから、星にこうお願いしたの。
「あの村が生贄を必要としない村になりますように」
だけれど、そのお願いはおそらく叶わない。明日の夜中、妹はこの崖から飛び降りて生贄になるから。
「――こういうこと。無力な私は何もしてあげられない、自分の妹なのに……。やっぱり悪人でしょ、私?」
少女は屈託の無い、矛盾した笑顔で尋ねる。トルクは目線を水平線から真下の崖へと向ける。断崖の岩肌が剥き出しで構えられていて、斜面がほぼ垂直だからか雪が積もってはいない。下には雪原が見えていた。
「……純粋ゆえに残酷ってわけか……」
トルクが悔しげにギリギリと歯を食い縛る音が聞こえる。少女は笑顔で景色を眺めていた。
「その笑顔をやめろ……。強がったって、妹は助からないんだぞ……」
「じゃあ、どうしろというの? 私に何ができるの?」
少女は笑顔でそう尋ねる。その頬には涙がうっすらと伝っていた。トルクはそんな少女の問いに答えることができずに黙りこくる。
「だから、こうして少しでも笑顔でいてあげたいの。心配しないように」
トルクはその場から立ち上がり、峠を下る道へと出る。それから振り返って呟いた。
「……じゃあ、星にでも願うか……。どうか、妹が助かりますようにってな」
トルクのその言葉に、不意を突かれた少女は一瞬ポカンとしたような表情になってから、笑顔に戻って手を振って見送ってくれた。ただ、その時の笑顔は素直な感情のように思えたトルクだった。
そんなトルクがカイトとスノウに合流したのは夜がふける頃だった。その日の日暮れ刻にはルマとも無事に合流できた。
(確かに、お前の言うとおり、願い事が叶ったな……。ただ、まだ俺の願い事、叶えきってないぜ?)
「カイト、ルマ、スノウ! ちょっとだけ、俺に騙されたと思ってついてきてくれないか?」




