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第一章 ふたつ名の写楽絵〈6〉

「そもそも、役者絵に厳正なる歌舞伎の記録や資料と云う意図はない。今で云うアイドルの安価な〈キャラクター・グッズ〉でしかなかったんだ。すくなくとも当時の人々が問題の作品を「二代目岩井(いわい)喜代太郎(きよたろう)」の役者絵として購入した可能性は皆無と云っていい」


「どうしてですか?」


 まどかクンがたずねた。


「かんたんなことさ。華響院、なんの予備知識もなくこの浮世絵を見て、これが「勾当内侍(こうとうないじ)」だとわかるか?」


「さすがに、それはムリ」


 華響院が肩をすくめた。


「つまり、くだんの作品は当時の人々にとって、描かれた家紋や顔から、まず「二代目小佐川(おさがわ)常世(つねよ)」の役者絵であったはずなんだ」


「道理ね」


「それに「勾当内侍(こうとうないじ)」が「(しばらく)」や「助六」あるいは「バットマン」や「スパイダーマン」級のキャラクターであれば、役者がだれかを問うことなく、そのキャラクターめあてに浮世絵を買う人もいるだろう。しかし「バットマン」からスピンオフされた「キャットウーマン」ほどの知名度もない「勾当内侍(こうとうないじ)」と云うキャラクターだけをめあてに浮世絵を買う人はいないよ。そうだろう?」


「そっか……」


 私の視線をうけてまどかクンがうなづいた。


「もっとわかりやすい例をあげよう」


 私は話をつづけた。


「日本絵画には古くから松の(こずえ)にとまる鶴の絵がある」


「『松上白鶴(しょうじょうはっかく)図』とか?」


「長寿や繁栄を象徴する縁起のよい画題ですね」


「そうそう。しかし、鳥類学的に云うと、鶴が松の(こずえ)にとまることはありえないそうだ。松の(こずえ)にとまるのは鶴ではなくてコウノトリなんだって」


「コウノトリがこのとおり~」


「茶化すな、華響院。……松の(こずえ)に鶴がとまることはありえない。だから日本絵画の『松上白鶴図』はすべて『松上白鸛(コウノトリ)図』とよばなければならない、なんて主張する美術史家がでてきたらどう思う?」


「アホよね」


 華響院が即答する。


「そうだろう? 写楽についてもおなじさ。問題の作品に描かれている人物を「二代目岩井(いわい)喜代太郎(きよたろう)」とする研究者は、史実に目がくらんで肝心の絵を観ていないのだから、絵について語る資格はない。おれに云わせれば写楽にたいする冒涜(ぼうとく)だよ」


「あら。めずらしく過激な発言」


 華響院が皮肉っぽい笑みをうかべて私の言葉をたしなめた。


「こりゃ失敬。……だけど、総合的に解釈すると、ふたつの題名はどちらも正しくないことになる。作品に即して正しい題名をつけるのであれば『二代目小佐川(おさがわ)常世(つねよ)勾当内侍(こうとうないじ)』が適当だろう」


 描かれている役者は二代目小佐川(おさがわ)常世(つねよ)


 演じている役は三郎の妻「児島(こじま)」ではなく「勾当内侍(こうとうないじ)」。


 これでいいのだ。ハンタイのサンセイなのだ。


「……それはそれで、ややこしくありませんか?」


 まどかクンの指摘に私もうなづいた。


「たしかに史実としてはありえない。キチンとした解説も必要だ。それでもカモメはカモメ、絵画は絵画さ。「描かれている内容」そのもので解釈すべきだろう。すくなくとも、絵の中の「二代目小佐川(おさがわ)常世(つねよ)」は「勾当内侍(こうとうないじ)」を演じているのだから」


「そう云う解釈もアリか」


 華響院が小さくうなづいた。


「むしろ、絵画でしか表現しえないファンタジーくらいに思って楽しんでほしいな」


「ファンタジーですか?」


 まどかクンがキョトンとした表情でききかえす。


「そうさ。おれは写楽の描きまちがいだと思っているけど、ひょっとしたら写楽の願望で意図的に絵の中の二代目小佐川(おさがわ)常世(つねよ)に「勾当内侍(こうとうないじ)」を演じさせたのかもしれない。描きまちがいでないとするなら、当初の予定では小佐川(おさがわ)常世(つねよ)が「勾当内侍(こうとうないじ)」を演じることになっていたのかもしれない」


「そっか。〈見立(みたて)〉ならありうるわけね」


「可能性はひくいけど」


見立(みたて)?」


 得心する華響院とはうらはらにまどかクンが首をかしげた。


見立(みたて)〉とは、浮世絵師が実際の舞台を見ずに描いた役者絵のことだ。一方、実際の舞台を見て描いたものを〈中見(なかみ)〉と云ったらしい。


「あるいは、史実の闇にかくれてしまったが、本当に「1日だけ」なんらかの事情で、二代目小佐川(おさがわ)常世(つねよ)が「勾当内侍(こうとうないじ)」を演じたのかもしれない」


「そうですかあ?」


「案外ここにミステリがかくされているのかもしれないよ。役がすりかわっている間に、どこかで殺人事件がおこっているんだ。それと知らずにアリバイ工作の証拠を描きこんでしまった写楽が、今度はだれかに命をねらわれて、最終的に写楽失踪のナゾへつながっていくとか……」


「ないわよ、そんなの」


 華響院が炎髪灼眼(えんぱつしゃくがん)の討ち手みたいな早業で私の戯言(ざれごと)を一刀両断した。


「コホン。ところで、まどかクン」


 私はわざとらしくせきばらいして編集点をつくるとまどかクンへ問いかけた。


「なんですか?」


「写楽の画集を数冊ながめて、気がついたのはこれだけかい?」


「はい?」


「じゃあ、菊之丞のナゾについては気づいていないんだね?」


「菊之丞のナゾ……ですか?」


「そう。なんの予備知識がなくても、ていねいに作品を観ていればだれでも気がつくことなんだけど、そっか気づいてないか。チミもまだまだそこら辺の自称・写楽ファンや美術史家とかわらんねえ。カッハッハッ」


 私はわざとイヂワルな表情をうかべて挑発した。(はた)できいていた華響院が苦笑しながら私をいさめる。


「なに思春期の中学生みたいにイヂワルな云い方してんの? まどかちゃん、菊之丞のナゾについては、ユキちゃんのブログ記事に書いてあるから、あとで読んでみると……」


 華響院の言葉をみなまで云わせず、まどかクンが()えた。


「ぜっったい読みません! 私、自分でそのナゾをつきとめてみせます。アッタマきた! 友紀(ともき)さん、勝負ですっ!」


 まどかクンは、そう云いながら大股でツカツカ冷蔵庫へちかづくと、冷蔵庫の中から魚肉ソーセージを1本とりだした。


「これ、もらっていきますからねっ!」


「はあ、どうぞ」


 あっけにとられた私を尻目に、まどかクンは魚肉ソーセージをカバンへしまいながら部屋をよこぎった。


 画廊の扉の前で私たちへむきなおると、


「首が飛んでも動いてみせらぁ!」


 意味不明の捨てゼリフをのこして去っていった。


「あ~あ、まどかちゃん怒らせちゃった。……でも、あのセリフのつかいどころはまちがっているわね」


 華響院が楽しげにクスクスと笑い、


「なんの勝負なんだろね?」


 私も小さく笑いながら、のこりの牛丼へふたたび手をのばした。


 外の雨足はますます強まっているようで、窓ガラスを滝のような雨がつたっていた。私はじわじわと水没していく街をながめているような錯覚におちいった。


(……このぶんだと、今日の来廊者はもうないだろうな)


 ざんねんなことに、そのとおりとなった。

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