第一章 ふたつ名の写楽絵〈5〉
「どう云うことですか?」
まどかクンが怪訝な表情できいてきた。
「絵から解釈すると、作品の題名は『二代目小佐川常世の三郎妻・児島』になるし、歌舞伎史的に解釈すると『二代目岩井喜代太郎の勾当内侍』になると云うわけ」
「……なるほど。そう云うことね」
華響院はあっさり得心したが、まどかクンの頭上にでっかいハテナマークがゆれている。私は解説をつづけた。
「まずは参考までにこちらの絵を見てほしい」
私は図録をめくると写楽〈第1期〉の作品から2枚の大判大首絵を見せた。顔がメインの半身像である。
1枚が『二代目|二代目小佐川常世の竹村定之進妻・桜木』。
もう1枚が『二代目岩井喜代太郎の鷺坂左内妻・藤波と坂東善次の鷲塚官太夫妻・小笹』。
二代目岩井喜代太郎は〈第2期〉にも1枚だけ細判で全身像が描かれているものの、くだんの作品以外で二代目岩井喜代太郎の描かれた作品はない。
一方、二代目小佐川常世は、くだんの作品以外にも3枚描かれている。
「写楽ほど歌舞伎役者の顔を描き分けた浮世絵師がいないことは知っているよね?」
写楽と同時代の初代歌川豊国が台頭するまで、役者絵はさほど顔の描き分けができておらず、役の扮装と着物に描かれる家紋で歌舞伎役者と役名を判断するしかなかった。
もっとも、下位の役者まで差別することなく大首絵に描いた写楽とは異なり、ふつうの浮世絵師は人気役者しか描いていないため、描かれた役者を判断するのにムチャクチャなやむことはない。
しかし、写楽は有名無名にかかわらず、興のおもむくままに筆を走らせ、歌舞伎役者の顔を描き分けた。
それでも着物に役者の紋を描きこむことは忘れていない。役者の判別に家紋は必要不可欠なのだ。
「問題の二代目小佐川常世、あるい二代目岩井喜代太郎と云われる作品の家紋に注目してほしい。華響院、わかるか?」
「丸に三つ蔦の葉。なるほど〈第1期〉の作品に描かれている二代目小佐川常世の家紋と云うわけね」
「まどかクン、岩井喜代太郎の家紋は?」
「……丸に三つ扇。しかも中央に「喜代」ですか? 文字が書きこまれていますね」
たとえば、歌舞伎役者の瀬川姓(一門)の家紋が「丸に結び綿」であるように、岩井姓の家紋は「丸に三つ扇」なのである。
「つまり、家紋からくだんの作品に描かれているのは、二代目岩井喜代太郎ではなく、二代目小佐川常世であることがわかる」
さらに二代目小佐川常世の描かれた3枚の役者絵の「顔」を比較したまどかクンと華響院が声をそろえて納得した。
「たしかに」
「このように絵だけで判断すると、描かれているのは二代目小佐川常世にまちがいない。しかし、歌舞伎史の見地からすると、この絵の中に二代目小佐川常世がいるのはおかしい、……と云う話になる」
「どうしてですか?」
まどかクンが小首をかしげた。
問題の作品は常磐津『神楽月祝紅葉衣』を描いた3連作の1枚である。
『四代目岩井半四郎の兼好妹・千早』『二代目市川高麗蔵の新田義貞』そしてくだんの作品へとつづく。
演目から解釈すると、この場面に登場するのは二代目小佐川常世の演じた三郎の妻「児島」ではなく「勾当内侍」でなければならない。
私も諸資料をひっくりかえしてみたが、たしかに演目から解釈するとこの場面に登場するのは「勾当内侍」である方が妥当と云えよう。
そのため、描かれた役者の顔も家紋も「二代目小佐川常世」とわかっている上で、この作品の題名を『二代目岩井喜代太郎の勾当内侍』と主張する研究者がいるのだ。
そう主張するのは、絵画や美術史の専門家ではなく、あくまで歌舞伎史あがりの研究者である。
「……そう云った歌舞伎史研究者の気もちもわからないではないけど、それでも顔や紋がちがうのに「二代目岩井喜代太郎」と明記するのはムチャよね」
華響院があきれたようすでつぶやいた。
「でも、三郎妻「児島」と云う役である可能性もひくいんでしょう? 結局、なにが正しいんですか?」
「とどのつまりは、写楽が描きまちがえたんだ。そこを認めないことにはなにもはじまらない」
本来「二代目岩井喜代太郎」でなければならないところを「二代目小佐川常世」の姿に描きまちがえたと云うわけだ。