第三章 そもそも写楽(写楽の研究Ⅰ)〈13〉
階段のあかりはまだついているので不審者が身をひそめるところはないが、私は用心のためカギをかけると、まどかクンを先導するかたちでおりた。
私のはいたサンダルのペタンパタンと云う音が熊よけの鈴みたいに階段へひびく。
「……腕、痛くないんですか?」
「ガツガツ歩いたり走ったりするとさすがにひびくけど、枕をぶつけたりされなきゃ問題ないかな?」
「それは……ちゃんとあやまったじゃないですか。友紀さん、男のくせにしつこい」
私の冗談にまどかクンがむくれた。私は笑いながらおどり場からのぞく階下の不審な光景をとらえていた。通りのむかいへたたずむずんぐりむっくりした黒い影が角のむこうへそそくさと姿を消した……気がした。
私はまどかクンに気どられぬよう話をつづけた。
「あ~、今日は佳純がいろいろとごめん」
「私、友紀さんの妹さん苦手です」
まどかクンがヤレヤレと嘆息した。至極もっともではあるが、私は一応フォローしておいた。
「あれで悪意はないし、竹を割ったような性格だから、なれるとあんまし気になんないよ」
「……」
私の言葉にまどかクンが沈黙をもってこたえた。
ミニスカポリスでありながら凧のような自由人の佳純と、新進気鋭の女優でありながら杓子定規なところのあるまどかクンのふたりは絵に描いたような水と油だ。このふたりを乳化・融合させるのはJOJO苑の奇妙なサラダドレッシング以上にむずかしそうだ。
「そう云えば、伽耶さんの写楽絵についておくったメール、伽耶さんへつたえてくれた?」
「ええ。撮影現場で一緒になった時、一応つたえておきました」
「伽耶さんもう仕事復帰してるんだ? 彼女のようす、どうだった?」
「ふだんからものしずかなかたなんであれですけど、なんか仕事のあるほうが気がまぎれてよいみたいです。さいしょは現場の人たちのそこはかとなく気をつかっている空気がいたたまれなかったんですけど、伽耶さんの役への集中がハンパないんで、むしろ今では伽耶さんのしずかな闘志に現場がひっぱられてる感じです」
哀しみにうちひしがれ、なにも手につかない状態なのではないかと心配していたのだが、たおやかに見えても芯のつよい人であるらしい。
私たちは中央通りへでた。『KKビルヂング』前の通りは人通りもなくうす暗く、ゴーストタウンのようなたたずまいをみせていたが、中央通りはしらじらしい映画のセットみたいにあかるかった。人通りこそすくないものの往来するタクシーの数は多い。
「それじゃ気をつけて」
「友紀さんこそお大事に」
私とまどかクンは東京メトロの地下へおりる階段のところでわかれた。私は階段をおりるまどかクンの背中を見とどけると、中央通りのぐるりを見まわした。先に目撃したあやしい人影がこちらをうかがっているかもしれないと思ったからだ。
私の用心は杞憂におわった。かんがえてみれば、写楽絵をねらう犯人(?)が、まどかクンをつけねらう必要はない。
華響院から呪いのようにすりこまれた「写楽絵をねらう犯人」と云う虚像におどらされている気がしてバカバカしくなった。こんなの都市伝説の〈口裂け女〉におびえる子どもとかわらない。
先に上から見た人影も私の疑心暗鬼が生んだペガッサ星人だったにちがいない。そう思いながらも一応、かえりに不審な人影を見たところをまわってみると、足元にペガッサ星人の足跡……ではなく、タバコのすいがらが何本もつもっていた。
そこは立ちならぶビルの小さなでっぱりが街灯のかげになる暗いすきまで、人との待ちあわせにはむいてない。警察がピッキング犯をはりこんでいると云う話もきいていない。
私が見たのはペガッサ星人の幻影ではなかった。しかし、あの人影は私をケガさせたピッキング犯の体型とも異なる。……ピッキング犯に共犯者がいると云うことか?
(……私は単独犯とも複数犯とも同一犯とも云ってないけどね)
華響院のつぶやいたセリフが脳裏をよぎり、私は困惑した。華響院はほんとうになにかわかっているのだろうか?
私はひとり部屋にのこした〈口裂け女〉ならぬ〈口酒くさい女〉の安否がべつの意味で気になって(部屋で吐いたりしてないだろうな?)踵をかえした。
『KKビルヂング』の階段をのぼっていると、ポケットのなかのスマートフォンがヴーッ! と小さな音を立てて振動した。メールの着信である。華響院からの一斉送信で私とまどかクンと高梨伽耶へあてておくられたものだ。
「件名……写楽鑑定団?」
なんじゃそりゃ? といぶかしみつつ本文へ目をとおすと、そこにはこうしるされていた。
「近々、写楽鑑定団の会合を催したいと思います。伽耶さん、まどかさんは都合のよい日時をお知らせください。 華響院響華」
やっぱり思った。なんじゃそりゃそりゃ?




