第三章 そもそも写楽(写楽の研究Ⅰ)〈10〉
たとえば〈第1期〉の写楽絵には、当時、男役で最高評価をうけていた六代目市川団十郎などが描かれていない。
描く時間がなかったのか、先にほかのだれかを描いた写楽の絵を見た六代目市川団十郎などが「こんなふうに描かれたくない」と拒否したのかはさだかでないが、ふつうに役者絵を売ることしかかんがえていなければありえない選択肢だ。
「おそらくは『曾我祭』より先にでていた写楽絵を見ていた民衆が『曾我祭』のパレードで役者と写楽絵を見くらべる。下位の役者まで「似てる」って話になれば、写楽絵の知名度もあがるし、役者に興味をもってもらえれば、劇場まで足をはこんでもらえる」
「……なるほど。ガッテンガッテン」
佳純がベタなあいの手を入れながらふらりと台所へ立った。いつの間にか手にはライムがにぎられている。ライムをカットして本格的なテキーラ・タイムへ突入するつもりであるらしい。
「そのメディア・ミックスにほかの版元や浮世絵師はのらなかったんですか? 豊国や春英は?」
まどかクンが至極まっとうな質問をぶつけてきた。歌川豊国や勝川春英は写楽と同時代に役者絵で名をはせた浮世絵師たちだ。
歌舞伎界から出版界へメディア・ミックスをもちかけていれば、豊国や春英に白羽の矢を立てていただろう。あくまで耕書堂・蔦屋重三郎から歌舞伎界へもちかけた企画だったからこそ、豊国や春英はメディア・ミックスにのりそこねたのだ。
「タイミングがわるかったんだろうね。豊国なんかは寛政6[1794]年1月から「役者舞台之絵姿」シリーズをはじめてしまった。おそらくはまだ『曾我祭』の大々的なパレード計画がもちあがるまえの話だ。『曾我祭』の5月には制作枚数を増やしているけど、さいしょから5月にむけて一点集中で準備していた写楽と豊国では出板枚数もインパクトも異なる」
あらゆる写楽研究書に「寛政6[1794]年5月に28枚の大判大首絵で鮮烈にデビューした写楽」などとあっさり書かれているが、この28枚と云う数字はすこぶる異常なのだ。
「役者舞台之絵姿」シリーズで「役者絵と云えば勝川派」の名を不動のものとした豊国だが、2年間で彼の描いた「役者舞台之絵姿」シリーズは20数枚。写楽が〈第1期〉で描いた枚数とほぼおなじである。
それどころか写楽が「一両年」で描いた役者絵の総数は、おなじ年にほかの浮世絵師の描いた役者絵の総数に匹敵すると云う。
控櫓の三座までコケれば、芝居茶屋など歌舞伎の見物客相手に商売する周辺施設も経営がなりたたなくなる。おそらく耕書堂・蔦屋重三郎は歌舞伎産業にかかわるすべての人々から出資させて『プロジェクト写楽』を成功させた。
写楽〈第1期〉の役者絵は一般的な浮世絵師1年分の労力をまとめてつぎこんだ『曾我祭』限定特別企画だったのだ。
「でも友紀さん。〈第1期〉の作品を見ると『曾我祭』のパレードをしていない河原崎座のほうが桐座より多く描かれていますよ」
まどかクンが写楽全作品の網羅されたA5判のムック本をパラパラとめくって確認した。都座が11枚。桐座が7枚。河原崎座が10枚である
。
「原因はいろいろかんがえられる。控櫓の三座も資金が潤沢だったわけではないだろうし、河原崎座だけ『曾我祭』のパレードをおこなっていないと云うのも不自然だし。河原崎座は経済的な理由とかでキャンセルせざるをえなかったんじゃないかな?」
「あるいは、さいしょから『曾我フェス』できないことがわかっていたからこそ写楽絵のほうへお金をまわしたとか?」
テキーラをあおり、カットしたライムをマウスピースのように食む佳純が座卓にあごをのせてもごもごと云った。はしたないからやめなさい。
「伽耶さんの写楽絵みたいに未発見のものや現存していないものがあるかもしれない。最大4ヶ月の準備期間があったかもしれない写楽だけど、しめきりまでに三座の枚数をそろえられなかったかもしれない」
「……『曾我フェス』」
まどかクンが私の話をきいてかきかずか、佳純のノリで云いはなった単語にハマって小さくふいた。
「おれの話きいてた?」
「きいてます、きいてます」
「ほいで、結局、歌舞伎人気は再燃したの?」
佳純云うところの『曾我フェス』パレード効果でどれほど歌舞伎人気がもちなおしたかはさだかでない。
とくに写楽が姿を消した寛政7[1795]年1月以降は不入りがつづいていたようなのだが、4月より控櫓の三座がたてつづけに『仮名手本忠臣蔵』をかけたところ、これがいずれも大あたりした。
どれほど歌舞伎人気が低迷しても『仮名手本忠臣蔵』にだけは客が入るので「『忠臣蔵』は歌舞伎の薬参湯(云わば人気回復薬)」と云う言葉があるほどだ。閑話休題。
無名の新人浮世絵師に高価な黒雲母摺・大判大首絵28枚をたくすと云う大ばくちにでた耕書堂・蔦屋重三郎はみごと賭けに勝ち、写楽絵は大ヒットした。
浮世絵版画は200枚単位で摺られたと云う。初摺りは絵師の意向を反映して繊細に摺られているが、あと摺りの作品には雑なものもすくなくない。
〈第1期〉の写楽絵には摺りの異なる作品があることからかなりの枚数が世にでまわったことがわかる。




