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第一章 ふたつ名の写楽絵〈1〉

     1



 かならずしも雨の降る街へでかけることはきらいではない。


 しかし、恥ずかしいおつかいをおしつけられ、そぼ降る雨のなかを()かねばならないとすれば話はべつだ。


「牛丼つゆだく大盛りふたつ。テイクアウトで。あ、容器はコレでおねがいします」


「はぁ……」


 牛丼チェーン店の若い女性店員はとまどっていた。さもありなん。反対の立場なら私だってそうなる。


 客がテイクアウト用の容器を持参することは(まれ)であろう。


 その上、私が彼女の前へおいたのは金の蒔絵(まきえ)がほどこされた豪奢(ごうしゃ)な輪島塗のフタつき丼である。460円(消費税別)の牛丼をテイクアウトするための器ではない。文字どおり〈器〉がちがう。


 厨房の奥にいた古参の店員が私と輪島塗の丼を目ざとくロックオンすると、困惑する女性店員へ声をかけた。


「いいから、それ、そのままこっちもってきて。……オーダーうけたまわりましたぁ。少々お待ちくださぁい」


 もちろん、後者は私へむけられたセリフだ。


 女性店員はうろんな目つきで私を一瞥(いちべつ)すると、輪島塗の丼をふたつかかえて厨房へと消えた。


 私は嘆息(たんそく)した。ちょっとカワイイ女のコだったのに、また〈変人〉だと思われたんだろうなあ。


 云いわけするのもおかしいし、云いわけしたところでうさんくささが増すばかりである。いつだって真実をつたえることはむずかしい。


 この状況をエレガントにやりすごすためには、羊たちの沈黙の艦隊これくしょんを決めこむしかないわけだが、本当は声を大にして云いたい。


 これは私の趣味ではない。


 真の〈変人〉は私ではなくあの男なのだ。



     2



 ……時計の針を20分ほどまきもどす。お昼すこし前のことである。


 昨晩からシトシトと降りつづく雨が、銀座の街を苔むした水槽の底みたいな気だるさでみたしていた。


 人どおりもまばらで行きかう車のながれもどこか緩慢としている。


 ただでさえ客足のすくないわが『水羊亭画廊』は朝から閑古鳥(かんこどり)の群生地と化していた。野鳥の会の人がいたら腱鞘炎(けんしょうえん)になるほどカウントしつづけなければならないだろう。


 とどのつまり、今日はまだひとりの来廊者もなかった。


 東京・銀座の路地裏に祖父の代から居をかまえる『水羊亭画廊』は『KKビルヂング』の2階にある。ビルヂングなどと大仰(おおぎょう)にのたまってはいるが、1フロア1オフィスと云う路地裏の小さなレンガビルにすぎない。


 1階は銀座でも1、2をあらそう老舗の洋食屋『泰西軒』、4階が『御子柴法律事務所』、5階が作品庫兼私の住居である。そして3階にデザイン事務所をかまえるのが……、


「ちょっと、ユキちゃん。おつかい行ってきて!」


 画廊の扉が威勢よくひらくと、有無を云わさぬ命令口調が見えない閑古鳥(かんこどり)の群れを蹴散らかした。


 扉の前に立っていたのは日本人ばなれした体格と美貌(びぼう)のもち主だった。


 身長186cm。肩甲骨(けんこうこつ)へさらりとながれる緑なすぬばたまの長い黒髪。細く長い手足に欧米ブランドのオートクチュールをほうふつとさせるド派手な服装。


 知らない人が見たらショーの最中で職場放棄してきたパリ・コレのトップモデルとかんちがいするだろう。


 よしんば、扉の前の麗人が〈女性〉であれば、私も犬のように尻尾をふって隷属したかもしれないが、ザンネンながらそうではない。


〈彼〉こそ3階にデザイン事務所をかまえる真の〈変人〉華響院響華(かきょういんきょうか)その人である。


「お昼ごはんに芳乃(よしの)屋の牛丼買ってきて。あなたの分もおごってあげるから」


 華響院はそう云って私へ千円札とふろしき包みをおしつけた。


 70年代風のサイケデリックなデザインふろしきである。ショッキングピンクにターコイズブルーの水玉と云うコントラストがチカチカと目にイタい。


 ふろしきの中身は見なくてもわかっている。豪奢(ごうしゃ)漆器(しっき)の丼である。それもふたり分。


「ほかの人たちの分は?」


 私は華響院の命令を受諾したわけでもないのに、ついつい彼の事務所(アトリエ)ではたらくスタッフの分までたずねてしまった。われながら人がよいと云うか、マヌケと云うか。


「みんな好きなところへ好きなものを食べに行くわよ」


「じゃあ、ついでに買ってきてもらえばいいじゃないか」


「私の優秀なスタッフをお昼休みにまではたらかせたくないの。仕事は仕事、休みは休み。しっかり英気をやしなってもらわなきゃ」


「ヨソの画廊主だったら昼休みにはたらかせてよいとでも云うんか?」


「ヒマな画廊主だったら、ね」


「だれがヒマだっ!」


「あ・な・た」


 キッパリ断言されてグウの音もでない。


「……自分で買ってこいよ」


 ムダとわかっているものの、ささやかな抵抗をこころみる。


「ダメ。あのお店美しくないんだもん。あんなセンスのないところ、私入れない」


 ふつうなら単なる冗談とききながすセリフだが、華響院においてこのセリフは冗談ではない。


 困ったことに彼はいつだって本気なのだ。


 華響院響華は27歳と云う若輩者にして世界にその名をとどろかす超一流デザイナーである(「ハイパー・クリエイター」なんてよぶと、すっごく怒る)。


 ポスターや本の装丁はもとより、文房具や家具などのプロダクトデザイン、ファッション、建築や都市設計など、およそ彼の手がけたことのないデザインの分野はない。


 北欧ではアキラ・クロサワよりも知名度がたかく、米国『TIME』誌の「世界に影響力のある50人」ではノーベル賞を受賞した日本人科学者や通算安打世界記録をもつ日本人メジャーリーガーらとともにその名をつらねている。


 国際的文化著名人でありながら国内での知名度がひくいことはままあるが、彼の場合は日本のマスコミぎらいが拍車をかけている。(がん)として取材はうけない。


 以前、その理由をたずねたところ、


「アッタマわるすぎて話になんない」


 そう一言で斬り捨てた。先進国を標榜(ひょうぼう)する国家で日本のマスコミ(と政治家)連中の知性品性がもっとも下劣なのだそうだ。


 誤解のないよう云いそえておくが、これは私の意見ではない。あくまで華響院の意見である。文句があるなら私ではなく華響院へどうぞ。どうぞどうぞ。

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