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第二章 写楽の夜の悪夢〈10〉

「でも、あのあと、おれたちへ華響院の事務所(アトリエ)へ写楽絵を保管しに行ってるじゃ……」


 口にするまでもない。うちの画廊になければ、つぎは華響院の事務所(アトリエ)をピッキングするつもりだったと云うことか。


「しかし、伽耶(かや)さんちの火事とは関係ないだろ?」


伽耶(かや)さんちへ写楽絵をぬすみに入った犯人が、伽耶(かや)さんのお母さまを殺害して家に火をはなったかも」


「まだ出火原因も伽耶(かや)さんのお母さんの死因も判明していないのに、その仮説は不謹慎だよ、華響院」


 私は思考の先走りすぎる華響院をたしなめた。現状における華響院の仮説は3流ゴシップ誌のねつ造記事レベルだ。そんな彼の言葉にいささかいきどおりをおぼえた私はつづけた。


「仮説って云うより暴論だ。犯人は銀座で伽耶(かや)さんがうちの画廊へ入ったところを見とどけてから立川市の伽耶(かや)さんちを放火して、また銀座へもどってきてピッキングしたってことか?」


 そこはかとなくあらくなった私の語気に華響院が肩をすくめて謝罪した。


「あなたの云ったとおり、ちょっとばかし不謹慎だったことはみとめる。でも犯人が伽耶(かや)さんを尾行していたのなら、私たちがディナーしている間に伽耶(かや)さんちへむかうこともできるし、伽耶(かや)さんちに火をかけたあとで銀座へまいもどることも充分に可能だわ」


 机上の空論でよければ、たしかに犯行時間はある。しかし、現実的にかんがえると、京橋の地下駐車場にとめてある華響院の車でディナーへむかう私たちを尾行するのはむずかしい。


 犯人の足が車であれバイクであれ、一旦はそれをどこかへとめて徒歩で尾行する必要があろうし、華響院の車とナンバーを確認したところで、犯人が自分の車やバイクをとりにもどっているあいだに私たちを見うしなう可能性はすくなくない。


 超指向性マイクで遠距離から私たちの会話を盗聴していたとか、高梨伽耶(かや)の服のボタンやバッグに盗聴器やGPS発信器がしこまれていて、居場所が把握されていたとか云うなら話はべつだが、現実はマンガやハリウッド映画ではない。


 よしんば、それだけ用意周到な犯罪者なら、ピッキング技術の向上と、私を一発で気絶させられるような格闘技術をみがけと罵倒してやりたい。


 階段からころげおちて骨折させられるのと、当て身一発で気絶させられるのなら、迷わず後者をえらびたい。


 これが複数犯の犯行なら華響院の仮説も信憑(しんぴょう)性は増す。しかし、だとすれば、私と接触したピッキング犯の周囲に見はり役がついていないはずはない。


 そう云ったもろもろの状況証拠からかんがみるに、今回の事件は単独犯の犯行でふたつの事件に共通点はないと云うことだ。


 そう私が論破すると、華響院は口元に冷笑をうかべてつぶやいた。


「私は単独犯とも複数犯とも同一犯とも云ってないけどね」


「ちょっとまて。それって一体……?」


「ふんだ。どうせ私の意見なんて暴論よ。もうユキちゃんにはなにもおしえてやんない」


 華響院がすねていじけてへそをまげた。ポーズではない。困ったことに本気だ。


 こう云った幼稚園児レベルの稚気のつよさが表現者としてのあくなき探究心や行動力の源泉にもなるわけだが、日常生活においては迷惑以外のなにものでもない。まったく、天才とつきあうのは骨が折れる。……ほんとうの意味でもすでに骨は折れているが。


 私もふたつの事件にかんするこれ以上の会話をあきらめると、華響院がさいごに一言だけ云いそえた。


「そう云えば、ユキちゃんを骨折させた〈なんちゃってピッキング犯〉だけど、それっておそらく吉岡英人(ひでと)よ」


 ……吉岡英人(ひでと)? だれだそりゃ?


 私は首をかしげた。



     5



 私が自室で静養している数日のあいだにも高梨伽耶(かや)の状況はTVのワイドショーなどでつたえられた。


 高梨伽耶(かや)の実家の火元は浴室の給湯装置だったそうだ。高梨伽耶(かや)の母親の遺体も浴槽で発見されたらしい。老朽化した浴室の給湯装置が不完全燃焼をおこし、入浴中だった高梨伽耶(かや)の母親は一酸化中毒で失神。その前後に給湯装置から出火したと云う。


 マスコミのつめかけるなか、近親者のみで母の葬儀をおえた喪服姿の高梨伽耶(かや)は泣きはらした赤い目と憔悴(しょうすい)しきった表情で質疑には応じず、マネージャーにかばわれながら無言で会釈(えしゃく)してやりすごした。


 彼女は今、彼女の所属する『ナタリー・プロモーション』の寮へ身をよせていると云う。


 消防や警察の発表によると、今回の件は事故との見方が強まったが、マスコミはキナくさいうわさをたれながしていた。


 高梨伽耶(かや)と母親の仲が険悪だったと云うものだ。実家をマンションへ建てなおそうとする高梨伽耶(かや)と、実家をそのままのこしておきたいとする母親とのあいだで確執があったのだと。


 高梨伽耶(かや)にとって実家の全焼と母の死はわたりに船だったとほのめかすようなコメンテーターもいれば、今回の件を高梨伽耶(かや)の計画殺人だったと誹謗(ひぼう)するネット記事まででる始末。


 当日の夜、私と華響院とまどかクンは高梨伽耶(かや)と一緒にいた。彼女が母親の安否不明に動揺するさまも目撃しているし、アリバイを証明することもたやすい。とどのつまり、彼女への誹謗(ひぼう)中傷は見当ちがいである。


 これが安易(チープ)で陳腐なTVの2時間サスペンスドラマであれば、私たち3人は高梨伽耶(かや)のアリバイ工作に利用されたことになるのだろうが、今のところ警察の聴取もないことから、警察が高梨伽耶(かや)をうたがっている可能性はなさそうだ。


 また、今回の件とのかかわりは不明だが、数日前から高梨伽耶(かや)の実家周辺で不審者が目撃されていたこともわかった。


 私がコネで入手した警察関係者(ミニスカポリス)からの極秘情報によると、不審者のひとりは白髪まじりのすだれ頭に小太りの男で、もうひとりは黒い服を着た30歳前後のやせた男だったそうだ。


 高梨伽耶(かや)の写楽絵を求めてやってきた(?)ふたりの男と特徴が合致する。


 骨董商『好古堂』の稲沢吾一と『国際芸術大学美術学部准教授』の吉岡英人(ひでと)だ。私もインターネットでしらべてみると『好古堂』にはウェブサイトまで存在したが、古物商の登録番号がでたらめだった。ようするにニセサイトだ。


 一方『国際芸術大学美術学部准教授』の吉岡英人(ひでと)は実在した。華響院の指摘したピッキング犯(ただし推論)である。


 大学へ電話で問いあわせてみたところ、ここ数週間はなにかの調査と云う名目で休講届けをだして大学へはきていないそうだ。


 高梨伽耶(かや)の写楽絵が世にでていない以上、警察関係者がこのふたりへ行きつくことはあるまい。


 稲沢吾一と名のる不審人物(詐欺師?)こそいささか気にかかるものの、私を骨折させた不審人物は稲沢吾一の特徴とは合致しないし、真贋のさだかでない写楽絵を手に入れるために放火殺人までおこなうとは考えにくい。


 そもそも殺人の痕跡(こんせき)が見つかっていないのだから、今回の件とは無関係だ。


 稲沢吾一がふたたび高梨伽耶(かや)と接触をはかろうとすれば、こちらも対応を検討しなければなるまいが、高梨伽耶(かや)が必要以上に世間の耳目をあつめている今、稲沢吾一が彼女に接触できる機会もない。


 私と華響院にできることがあるとすれば、高梨伽耶(かや)にたくされた写楽絵の真贋をある程度まで特定し、しかるべきかたちで世にだすことであろう。


 じつは、高梨伽耶(かや)とふたりの不審者がグルで、私たちが彼女の手のひらでおどらされていた哀れな孫悟空の役まわりでなければ、植木等のうたうように、そのうちなんとかなるだろう。

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