第六話 highspec escape
女子寮の方が騒がしくなる。理生が防火シャッターの方へ近づくと、向こう側から激しく叩く音が聞こえてきた。
「開けて! 早く!」
茉夜の声もする。普段の茉夜からは想像もできないほどの大声は、理生の焦燥感を掻き立てる。
「昴先輩! 開けるの手伝ってください!」
「ん? お、おう」
近くにいた昴も呼び、二人で開ける。昴の方は事情を理解していなかったが、防火シャッターがまだ半開きの状態から茉夜が飛び出してきた瞬間、おおよその見当はついた。
「おい、茉夜……。まさか……」
「その、まさかよ……。女子寮に、ヤツらが……出たわ」
余程切羽詰まっているのだろう。息を整えることなく昴に現状を報告する。
「と、とりあえず落ち着けよ」
「あんたには言われたくないし、それどころじゃないわ」
理生を黙らせて茉夜は続きを喋る。
「どこから入ったのかは分からないけど、ヤツらは階段から現れたわ。しかも静流の部屋がその階段のすぐそばなの。早く助けに行かないと……」
みなまで言う前に、昴はすでに茉夜の目の前から消えていた。おそらくは静流の元へと行ったのだろう。理生は自然と女子寮の方を向いていた。
「……!」
女子寮にいた女生徒たちが、我先にとこちらへ向かってくる。耳が痛いくらい叫ぶ声と声。その遥か後方に、ヤツらは居た。理生の視線が一瞬だけ釘付けになる。
「昴先輩が来たらすぐに閉めるのよ」
「ああ……分かってる」
幸いにも、ヤツらの歩くスピードは遅い。これなら全員が男子寮に避難できるはずだ。問題は、静流と静流を助けに行った昴だ。間に合うかどうかは分からない。数人の女生徒は、既に男子寮へと逃げ延びている。
騒ぎを聞きつけた他の男子生徒も集まってくる。尋常ではない状況に、彼らの脳裏に浮かぶのは最悪の事態。
「大丈夫、大丈夫だから……」
誰に言うでもなく理生は言い続ける。そんな理生の心の中は焦りでいっぱいだった。今か今かと昴を待つ。
「ふう……。昴先輩はギリギリまで待ちましょ。あの人なら、ちゃんと静流を連れて戻ってくるはずだから」
珍しく茉夜が理生を慰めてくれる。その事に少しだけ理生は安堵した。
「ああ……」
力なく答える理生。しかしその小さな安心感も、次の瞬間に失う。
「くそ……こんな時に!」
理生の瞳に映るのは二人の女生徒。一人は足をくじいたらしく、右足を引きずるように歩いている。もう一人はその女生徒に肩を貸しながら必死に逃げようとしている。とてもではないが、ヤツらに追いつかれてしまう。
「誰か! あの子たちを助けに行ってくれ!」
理生が叫ぶ。だが誰も応えようとはしない。当然といえば当然、命を張って助けに行ったところで、必ず助けられるという保証などどこにもないからだ。最悪の場合、二次被害に遭いかねない。
「どいつもこいつも……!」
理生に怒りが込み上げてくる。なら、防火シャッターを閉める役を他の人に任せて自分がいくしかない、と腹を括る。
「待って」
理生が一歩踏み出した時、茉夜が声で止める。
「なんだよ! 早くしないとあの子たちが……」
「昴先輩が来たわ」
「はぁ? どこに昴先輩が……」
理生に見えているのは、今にもヤツらに捕まりそうな女生徒が二人だけだ。しかし、ほんの一瞬だったが、ヤツらに混じって昴の姿がちらりと見えた。
「え……?」
理生のすぐ横を風が切る。振り返ると、静流を抱きかかえた昴がいた。
「昴先輩……!」
「すまん、少し遅れた」
静流の方は気絶しているようで、ぐったりとしている。制服もちゃんと着ている。
「昴先輩。あの子たちを……」
理生が言い切る前に昴は答えた。
「静流を頼む」
昴は静流を降ろし、急いで女生徒二人の元へと走る。
「おらぁ!」
足を引きずっている方の女生徒に手を伸ばした相手を、殴ることによって吹き飛ばす昴。間一髪のところだった。
「さ、捕まっとけよ」
昴は二人を脇に抱えて男子寮に戻ってきた。昴が防火シャッターをくぐったのを確認した理生は、急いで防火シャッターを閉める。
「よしっ!」
なんとか生還。しかし悠長にはしていられない。理生たちとヤツらを隔てているのは、渡り廊下にある防火シャッター一枚きり。侵入されるのも時間の問題だ。
「下がってろ!」
昴が叫ぶ。理生や茉夜も、言われるまでもなく防火シャッターから離れる。何をするのかと思いきや、昴は渡り廊下と男子寮の付け根部分に拳を構えた。
「むんっ!」
拳を引き、思い切りその部分を殴る。すると、渡り廊下は防火シャッター諸共粉々に砕け散り、女子寮と男子寮を繋ぐものは無くなってしまった。向こう側がハッキリと見える。
「これで大丈夫のはずだ」
当面の安全は確保された。だがこれからどうすれば良いのか、みな不安がよぎる。そんな時、足を怪我していた女生徒が唸り声を上げた。
「ううううぅぅぅ!! がぁっ!」
苦しそうに頭を抑えながらジタバタと暴れている。条件反射から、肩を貸していた女生徒以外がその場から離れる。その女生徒が、名前を呼びながら激励する。
「どうしたの、友香!? しっかりして! ……え? 足が……」
その呟きに、全員の視線が女生徒の足に移る。引っ掛かれたような傷痕があった。しかしただの傷痕ではなく、紫色の膿がブクブクと泡立たせていたのだ。唯一離れなかったその女生徒も、あまりの気持ち悪さに距離を置く。
どうすることもできず、ただ苦しむ姿を見るしかない理生たち。次第に彼女は苦しさのあまりに身体をバタつかせ、最後は海老反りになって事切れた。
「うそ……うそでしょ……? 友香ぁ……!」
目を見開いたままの彼女を抱き起こす女生徒。沈黙の中、泣き声だけが響く。
いたたまれない雰囲気に包まれるも、茉夜は別の事を考えていた。もし、茉夜の考えている事が本当だとすれば、大惨事になりかねない。茉夜はちょうど近くにいた昴にその事を話そうとした。
「ねえ、すば……」
茉夜は言うのを止める。少し、遅かったのだ。
「あれ? 友香……?」
先ほど事切れたばかりの女生徒が、自力で立っている。茉夜の恐れていた事が、今まさに目の前で起こっているのだ。これは暗に、彼女がヤツらと同じようになったことを示唆している。
「昴先輩!」
「くそがっ!」
茉夜の怒号とほぼ同時に、昴が友香と呼ばれている女生徒の腹に一発打ち込む。その身体は抵抗なく空中へ放り出され、元は渡り廊下のあった場所へと飛んでいった。
「いやぁぁぁ! 友香ぁぁぁぁぁぁぁ!!」
女生徒の叫びは届かず、ヤツらとなった彼女は下に落ちていく。女生徒がすぐに下を覗き込んだが、そこにあるのは尖った瓦礫に頭を潰された死体が一つあるだけだった。
「この人殺し!」
女生徒は涙を浮かべながら罵倒する。怒りの矛先は昴に向いていた。
「俺は……」
弁解の余地もなく、昴は目を伏せるだけでそれ以上は言わなかった。すると女生徒は何を思ったのか、両腕を広げて崩壊した渡り廊下の前に立つ。
「待っててね、友香……。私もすぐにそっちに行くから……」
その言葉を聞いた全員が意味を理解した時、女生徒は既に頭から飛び降りていた。
グシャァ……。同じ瓦礫に頭をぶつけ、自殺してしまったのだ。彼女の涙が朱色に染まっていく。
「俺が……殺したのか……?」
その問いに答える者はいなかった。