第四話 highspec kill
日が暮れはじめ、夕焼けの空が二人を照らす。手を握り合ったままの理生と茉夜。あとどれほど待てば良いのか分かりかねている時、遠くの方から足音が聞こえてきた。
「……先生かな?」
「さあ……」
足音は次第に近づいてくる。しかも一人ではなく、二人分の足音だ。誰だか分からない都合、要らぬ恐怖心を掻き立てられる。二人の手が無意識に強く握られていく。
その足音は茉夜の部屋の前で止まった。さらに緊張。そして荒い吐息。足音の主と思われる人物が、こちらに話し掛けてきた。
「そこに誰かいるのか?」
聞き覚えのある声。この声は──。
「昴先輩……?」
「お? その声は理生か?」
部屋に入ろうと扉を開けようとするが、鍵が掛かっているため開かない。
「鍵開けてくんねえか?」
その言葉に、理生は茉夜に目で合図を送る。茉夜が無言で頷く。それを確認した理生は部屋の鍵を解錠した。
「ん? 茉夜もいるのか。そうか、お前らは無事だったんだな」
やはりそこにいたのは昴だった。隣には静流も居り、目線が合うと会釈をした。
「昴先輩、外の様子はどうなってるんですか?」
理生が食いつくように質問する。昴は少しだけ気分を落しながら答えた。
「どうって言ってもな……。自分で見た方が早いと思うぜ」
昴は顎で窓から見るよう促す。理生と茉夜はとりあえず見てみることにした。
「これは……?」
「最悪の状況ってやつかしら……」
見るもおぞましい光景。最初に見た男性と同じような動作をする人物が、そこら中を闊歩しているのだ。中にはハイスペック高校の制服を着ている人もいる。
「あれはやっぱりゾンビなんだ……」
理生の呟きに昴が反応する。
「そうだな。昔は死人や生ける屍と呼ばれていたらしい。現在は感染者って呼び方もあるな」
何であろうと、アレはもう死んでいると言っても差し支えはないのだろう。
「昴先輩でも、どうにもならないんですか?」
「ああ。アイツらはどうにも身体全体が硬い。それに、俺ほどじゃねえが力もある。あれほどまでに大多数の人間に感染しちまったら、俺一人でどうこうできる状況じゃねえ」
「そう……ですか」
昴でもダメならば、今後どうすれば良いのだろうか? 理生には不安しかない。そんな理生をさらに不安にさせるような台詞が、茉夜の口から飛び出た。
「私思ったんだけど。寮の扉って、開けっ放しなんじゃないかしら?」
茉夜のこの台詞で、理生の背筋が一気に凍りつく。血の気も引いているせいで顔が真っ青になる。
「そうだ……そうだよ! 早く閉めに行かなきゃアイツらが……」
走り出そうとする理生を昴が肩を掴んで止めた。
「大丈夫だ。俺がさっき閉めた」
「でも、アイツら力が強いんでしょ? ガラスなんて簡単に割って入ってくるんじゃ……」
「それも安心しろ。ここの設備は全部合わせガラスでできてる。そう簡単に割られるかよ」
あくまでも昴は落ち着いて答えている。
「合わせガラス?」
聞いたこともない単語に首を傾げる理生。すると昴の背中からひょっこりと静流が頭だけを出してきた。
「合わせガラスは、バットでフルスイングしても割れることのない、衝撃に強いガラスのことですよ。別名防犯ガラスともいいます。なので割られる心配はありませんよ」
「……そう……」
理生は良く分からないが納得はした。ここはハイスペック高校、生半可なガラスなど採用していないのだろう。いや、もしかするとそれも先輩たちが製作していったのかもしれない。
「ところでよ、お前らの他に人はいねえのか? 俺らは寮の見回りをしてるとこなんだが」
閑話休題とばかりに昴が別の話題を振る。
「いいえ、見てないわ。私たちはすぐにこの部屋に入ってじっとしてたから」
答えたのは茉夜だ。昴の問いに首を横に振る。
「そっか。まあいいさ。実はお前らの他にここに避難してるやつがいてな。そいつらに点検を頼まれてんだ」
「それってどれくらいの人数かしら?」
「そうだな……。男女合わせてザッと三十人くらいか? 正確には数えてねえけどよ」
茉夜が想像していたよりもかなり少ない。元々この学校には生徒だけでも二百人近くいたはずだ。それが四分の一以下にまで減っているのは、あまりにも衝撃的だっだ。他の校舎に逃げ込んでいると思いたい。
と、茉夜が感傷に浸っていると、理生が少しだけ声を荒らげた。
「あれはなんだ?」
理生が指差す方向に全員の目線が奪われる。窓と窓の間の影に何かいる。それが何なのかをいち早く確認できたのは昴だった。
「おいおい、マジかよ……」
動いている。いや、歩いているというべきか。人の形はしている。シルエットからしておそらくは女性だろう。窓から射し込む夕日が、ソレの正体を明かす。
「ひっ……!」
静流が短い悲鳴を上げる。アレはまさしく、外にいる連中と同じモノだった。咄嗟に理生が叫ぶ。
「昴先輩!」
「おう!」
ヒュッ! と風を切る音がしたかと思うと、昴はその女性の前にいた。瞬間的に移動したのだ。その移動の力を利用し、女性の腹に肘打ちを入れている。
強い衝撃音が鳴る。女性は吹き飛ばされ、突き当たりの壁に激突した。そしてぐったりと動かなくなった。
「よしっと。こんなもんか?」
昴は元の体勢に戻り、女性を見やる。数秒経っても動かない。全員が緊張を解いたその時、微かに女性の身体が動いた。何事も無かったかのように、理生たちに向かって歩き始める。
まだ──来る。昴が再び構える。しかしあれほどの打撃を与えても、なおも向かってくるのならばキリがない。そこで茉夜が提案する。
「ねえ。これってセオリー通りに頭を潰さないとダメなんじゃないかしら?」
一瞬の沈黙。昴が答える。
「アレを……殺せってのか?」
「殺す? 何を言ってるの? アレはもう死んでるのよ。躊躇う必要はないわ」
淡々と言い放つ茉夜。苦い顔をした昴は、もう一度女性を見る。
人の形をしたソレは、あたかも生きているように見える。だがそれは表面上だけであり、内面の方はもはや死ぬことさえ許されていない。
「……くそっ」
昴が吐き捨てる。そんなことは彼も分かっている。抵抗があるのは良心のせいだ。彼女だって、なりたくてあんな姿になったわけではないだろう。
「お願いよ。このままでは寮に避難しているみんなが危ないの。あなただって、妹さんを危険に晒したくはないでしょ?」
茉夜の言う通りだ。昴は一体何のために見回りをしている? なぜ昴が頼まれた? 答えなど明白だ。人外となったアレらを排除するため、そしてそれができるのは昴を置いて他にいないからだ。
「くそっ!」
先ほどよりも強く罵る。移動、そして昴は女性の首を目掛けて回し蹴りを放つ。接触した瞬間からミシミシと嫌な音を立てながら、女性の首は四肢を離れて壁に叩きつけられた。
一瞬の出来事だった。女性の身体は、まるで糸の切れた人形のように二、三歩進んでから倒れた。壁に叩きつけられた首も、血のペイントをしながらズルズルと落ちていく。ようやく動かなくなったソレは、もはや脅威ではなくなったが、四人に訪れたのは安堵ではなく痛いほどの沈黙だった。
「すまない……」
昴がぼそりと呟いたが、それは誰にも聞こえない。