第二話 highspec everyday
噂で聞いたことがある。人の領域を越えた身体能力を持つ生徒がいると。
噂で聞いたことがある。人間業とは思えない記憶能力を持つ生徒がいると。
噂で聞いたことがある。現代ではありえない、近未来的な科学を開発できる生徒がいると。
噂で聞いたことがある。噂で聞いたことがある。噂で聞いたことがある。ハイスペック高校入学前の理生と茉夜が聞いたそれらは、ただの噂でしかないと思っていた。噂なんてものは、尾ひれはひれが付くものだから。だが目の前にいるこの男子生徒を見て一番最初に思ったことはこうだ。
──超人だと。
「お前らに訊いてんだよ。どうなんだ? ああん?」
男子生徒に気圧された不良たちが後退る。理生と茉夜が呆気にとられていると、不良の一人が負けじと男子生徒に殴りかかった。
「カッコつけてんじゃねえよ!」
繰り出されたパンチは、男子生徒の顔スレスレを通りすぎる。男子生徒の方が紙一重で避けたのだ。
「あらよっと」
男子生徒は真横にある不良の腕を掴み、不良の身体をいとも簡単に投げ飛ばす。男子生徒はすぐさま仰向けに倒れた不良の顔ギリギリのところにある地面を殴りつけた。
「喧嘩をするなら相手を考えるこったな」
地面にはヒビが入り、男子生徒のパンチ力の強さを証明している。すると、別の不良が男子生徒を指差しながら叫んだ。
「こいつ春原じゃねぇか!?」
「マジかよ……じゃあ妹ってことはこいつも……?」
「やっべ、逃げるぞ!」
不良たちは脇目もふらずに一目散に走り出す。男子生徒は追い掛けはせず、理生の方へと振り向いた。
「お前、妹を助けてくれたみてえだな。あんがとな」
「あ、いや、俺は何も……」
理生が困ったような顔をする。状況が上手く飲み込めていないのだ。茉夜はなんだか見ていられないので、校舎の影から出て行った。
「突然すみません。私は今年入学した十六夜茉夜です。あなたは上級生ですか?」
「おっといけねえ。自己紹介を忘れてたな。俺は二年の春原、春原昴だ。んで、こっちが……」
昴と名乗る男子生徒が話を振ったのは、先ほど不良たちに囲まれていた女生徒だ。その人はペコリと一礼してから名乗った。
「妹の春原静流です。私も今年入学したばかりの一年です。先ほどは助けて頂き、ありがとうございます」
どうやら兄妹らしい。昴は右目に眼帯をしており、髪の毛は短髪の黒色だ。対して静流は茶髪のロングヘアー。お世辞にも似ているとは言えない。
一人だけ自己紹介していない理生に、昴が問いかける。
「お前も一年生か?」
「あ、はい。広影理生です」
「そっかそっか。理生と茉夜か。よろしくな! あそうだ、あと敬語はナシでいいぜ? お互いタメでいこうや」
ニコリと笑う昴。しかし、あまりそういう気分ではない理生は苦笑いしか出なかった。
「まあなんだ、同じ一年なら静流と会う機会も多いだろう。そん時は面倒見てやってくれ」
「は、はあ……」
「んじゃあな! 行くぞ静流。学校の案内、してほしいんだろ?」
「あ、うん。……またね」
昴と静流はその場を後にした。残された理生と茉夜は、呆然と立ち尽くす。
「…………」
「…………」
言葉が出ない二人。しばらくして、最初に口を開いたのは理生だった。
「この高校って、みんなあんなふうにすごい人たちばかりなのかな……」
「さあね。ハイスペック高校は普通の学校じゃないことは分かってたけど、どこまで普通じゃないのかは私も把握してるわけじゃないし」
理生はもうそこにはない昴の背中を、未だに見つめている。溜め息とともに茉夜が理生の手を引く。
「さ、私たちも行くわよ」
半ば放心状態の理生を無理やり引っ張って、当初の目的地である寮へと向かった。
「…………」
寮は男子寮と女子寮に分かれている。両方とも三階建てで、二階にある食堂からは渡り廊下で繋がってはいるが、普段は使われないため防火シャッターで閉じられている。生徒の人数が少ないこともあって、ほぼ全員が一人部屋を設けてられている。理生と茉夜もその内の一人だ。
理生は茉夜と別れた後もずっと無言のままだ。自室に戻っても、思い浮かべるのは昴のことだ。
「俺にはなぁんもないのにな……」
一人部屋にしては無駄に大きいベッドに横たわりながらボヤく。制服も、ボタンだけ外した半脱ぎの状態だ。正直に言うと、理生は今のところ何のやる気もないのだ。
ネガティブ思考を振り払うため、色々と違うことを考えてもみるのだが、やはり行き着くのは自分がなぜハイスペック高校に入学できたのか、ということだ。
ハイスペック高校の生徒は皆、何かしらのハイスペックな要素がある。だが理生は他人に自慢できるようなところは一つもない。あったとしても、それはハイスペックなものではなく、ただただほんの少し優秀なだけ。胸を張って誇れるようなものではないはずだ。では自分のハイスペックとはなんだろう?
「ああ……ダメだな。俺らしくないや」
今まで難しいことなど茉夜に任せっきりだった理生にとっては、答えの出ない問題だ。ならばいっそのこと思考を停止すればいい。自分らしくあれば、それでいいではないか。
「よっしゃ。明日から授業が始まるし、予習でもしてみるかな」
就寝まではまだ時間がある。気分転換がてらに身体を起こし、机に向かって真新しい教科書を開いていく。
次の日。理生と茉夜は愕然とした。授業内容がさっぱり分からないのだ。というのも、一部のハイスペックな生徒に合わせられた内容で、まず教壇に立つ先生が何を言っているのかすら理解できない。数学の授業のはずなのだが、まるで英語の授業をしているかのような、意味のわからない記号の羅列が黒板を埋め尽くす。昨日、予習をすると意気込んでいた理生が、教科書を開くなり爆睡するのも無理はない。
(これが校長先生の言っていたことなの……?)
と、茉夜は入学式の時に聞いた校長の話を思い出す。
曰く、自分の領域でなければ授業を受けなくても良いと。その場合、欠席扱いにはならない。
曰く、授業を受けても構わないが、恐らくはその分野における一部のハイスペックな生徒以外は理解できないと思われる。
曰く、授業を受けていない時は校外に出ても良い。そして校門を出た瞬間から各校則は適用されない。
(よくもまあ、こんなので学校として成立してるわよね……)
他の学校ではありえないようなことばかりだ。本来ならば学級崩壊どころか、この学校全体の閉鎖すら招きかねない。それでもハイスペック高校が学校として存在しているのは、なにか理由でもなければ説明が付かない。しかしその理由を考える余裕はなく、いつの間にやら授業の終わりを報せるチャイムが鳴り響いていた。
授業から開放されると同時に、理生と茉夜は大きな溜め息を吐いた。
「ハイスペック高校って呼ばれるだけはあるわね……」
「ああ……。俺なんか貧血みたいに頭がクラクラするぜ……」
二人ともノートは開いているが、一文字も書かれていない。書けるわけがない。一時限目からこれでは、幸先悪いとしかいいようがない。そんなマイナス思考を取っ払うかのように、可愛らしい声が聞こえてきた。
「理生さ〜ん! 茉夜さ〜ん!」
聞き慣れはしないが、聞き覚えのある声。二人が声のした方を見ると、廊下で静流が手を振っていた。昨日の女子生徒だ。二人は廊下に出て静流と対面する。
「さすがハイスペック高校ですよね。私、ちっとも分からなくて」
「それを言うなら私もよ。もはや頭痛がするくらいだわ」
やはり会話の内容は先ほどの授業のことだ。しばらくは愚痴のようなものが続いたが、ハイスペック高校の話にも移った。
「そういえば、昨日兄から聞いたんですけど、ここにあるソーラーパネルとかの施設って、卒業した先輩たちが設置していったものだそうですよ」
「へぇ〜そうなの? 確かに、ここの生徒なら出来ても不思議じゃないわね」
こんな山奥にある学校なのに、こんな立派な施設に違和感はない、といえば嘘になる。しかし規格外な生徒しかいないハイスペック高校ならば話は別だ。その生徒が作り上げたものならば、茉夜の言う通り存在しても不思議ではない。
「今の生徒もかなりハイスペックですけど、昔の先輩たちもスゴかったそうです。なんでも、お兄ちゃ……いえ、兄が格闘で勝ったことがない人もいるそうですし」
「なにそれ、正真正銘のバケモノじゃない」
「はい。私も最初は耳を疑ったんですけど、兄はヘラヘラと笑って話してくれました」
「そうなの? 案外面白い人なのね」
女性同士で話が盛り上がる。そんな中、理生はほのぼのとした表情で話を聞いていた。
「……いい」
理生にとっては至福の時を過ごし、休み時間を終えた。