第十二話 highspec infection
茉夜は惨劇を目撃する。どこから侵入したのか、ヤツらが目の前に現れたのだ。後続の人たちが襲われ、喰われ、助けを乞う。
茉夜は無意識に後退るが、背後には窓しかない。行き止まりだ。意を決して飛び降りるしかない。開け放たれた窓に足を掛けた時、茉夜に魔の手が伸びる──。
ほんの少しの時間だった。それでも理生にとっては何時間も経った気分になる。焦る気持ちを抑えきれず、寮に近づく。
「茉夜! お願いだから返事をしてくれ!」
小雨が降り始める。ポツリと地面が濡れていく。そんな小さな雨音でさえ、今の理生には雑音以外の何物でもない。
「おい理生! お前は早く輸送車に乗ってろ!」
昴が理生の肩に手を掛ける。理生も分かってはいるが、どうしても気持ちの方が勝り、その手を振り払ってしまった。
「まだ茉夜が中にいるんです! 助けに行かないと……」
「だからってお前に何ができる? ヤツらに対抗できる手段があるってのか?」
「っ……それは……」
「キツいことを言ってすまねえが、今は予断を許さねえ状況だ。分かってくれ。こいつは俺の責任なんだ」
「え? どうしてですか?」
「地下の空洞さ。アイツらそれを使って女子寮から男子寮に来やがったんだ。俺が気を付けていればこんなことには……!」
「…………」
掛ける言葉もなく理生は視線を落とし、下唇を噛みながら輸送車へと向かう。理生が振り向いたその時だった。視界の端で茉夜が見えた。窓から飛び降りようとする茉夜の姿だ。
「茉夜!?」
振り返ると、確かに茉夜の姿があった。だがその飛び降りる寸前、ヤツらの手が茉夜に届く。一瞬芽生えた希望が崩される。
茉夜はヤツらから傷を負わされたのだ。勢い余って茉夜は外へと放り出された。
「くそっ……!」
理生は茉夜を受け止めるため、急いで駆け出したが絶望的に間に合いそうにない。それでも駆け出さずにはいられなかった。
茉夜が地面にぶつかるすんでのところで、静流が茉夜をキャッチする。静流も考えるよりも先に身体が動いていたのだ。
「茉夜ちゃん! しっかり!」
「うるさいわよ静流……。そんなに叫ばなくても聞こえてるわよ」
痛みを堪えているせいか、顔を歪ませながら静流に答える茉夜。理生も駆け寄り、茉夜の具合を確かめる。足首の裏側には紫色の引っかき傷ができていた。
「茉夜……」
「何よ、気持ち悪いわね」
平然としているが、隠しきれていない悲痛の表情が窺える。
理生の背後から足音が聞こえた。あのポニーテールの女性だ。ある程度掃除を終えてこちらに来たようだ。銃口を茉夜に向けている。
「そこをどけ。その女も始末せねばならん」
「ダメ! それだけは絶対ダメ!」
静流が懸命に拒絶する。理生も茉夜との間に割って入る。
「お願いです。もう少しだけ待ってください」
「何を言っている? ヤツらから傷を付けられたのならもう手遅れだ。発症してからでは遅いのだぞ」
「分かっています。だからこそ待ってほしいんです」
理生は見据えた視線で女性を見つめる。その瞳には力強さを感じるものがあった。
「……ちっ。分かった。ならさっさと輸送車に乗り込ませろ。もう撤退する」
女性は踵を返して輸送車へと向かっていく。理生と静流は顔を合わし頷く。茉夜を肩に担いで輸送車に乗せるためだ。
理生はもう一度男子寮を見上げてみる。もう悲鳴は聞こえない。聞こえてくるのは肉を喰いちぎるような音と呻き声だけだった。歯に力が入ってしまう。
「行きましょう、理生さん」
「ああ……」
輸送車の後ろから乗り込むと、すでに転が乗っていた。いつ寮から出てきたのかは分からないが、無事のようだ。
「転さん……」
驚く余裕もない理生。とりあえず茉夜を横にする。硬い鉄の地べただが、楽な姿勢にさせてあげたかった。芳しくない状態と見た転が茉夜に近寄る。
「どうしたんです? 怪我でもしましたか?」
「茉夜が……ヤツらに……」
辿々しいが転には伝わったようで、瞬時に表情が強ばる。転は下げている緑色のポーチから、静流の時と同じ錠剤を取り出した。
「一応飲んでください。幾分かは楽になるはずです」
「ありがとう……」
茉夜は抵抗なく錠剤を受け取り、それを飲み込む。それと同時に昴も乗ってきた。
「結局助かったのはこれだけか……」
昴が項垂れるのも無理はない。本来なら男子寮に残っている全員を収容できたはずなのだ。それが今や六人しかいない。広々とした空間は寂しさしかない。
「落ち込んどるとこ悪いけど、出発するで」
まだ開いている扉から、助手席にいた方の女性が入ってきた。そして中から扉を閉め、鍵を掛ける。
「さて、ほな行こか」
エンジン音を立て、走り出す輸送車。ハイスペック高校を背後に、どんどんと離れていった。
校舎の屋上で、一人の女性が黄昏る。彼女もハイスペック高校の制服を着ている。女性は輸送車を見送るように見つめていた。
「さてさて。私も行きましょうか?」
女性は校舎の裏へと消えていった。
しばらく進んだところで、一緒に乗り込んだ女性から言葉が紡がれる。
「まずは自己紹介からやね。あたしは春原颯、そこにおる昴の一個上のお姉ちゃんや。気軽に颯って呼んでな」
「昴先輩の、お姉さん……?」
理生は昴と颯を交互に見やる。全然似ていない。昴と血の繋がりがあるのなら、静流のお姉さんでもあるということだ。ならばと思い静流と颯を見比べてみるが、やはりそちらも似ていない。
「んで、今運転してくれてはるのが昴と同級生の立花麗華ちゃん。いっつもポニーテールしとるから、遠くにおってもすぐに分かるで」
転が輸送車の到着前に言っていたのは麗華のことだったのだ。
「あたしらの紹介はこんなもんやね。お宅らの名前、教えてくれる?」
理生たちは順番に自分の名前を言っていく。茉夜だけは喋るのも辛そうだったので、代わりに理生が伝える。
「ふんふん。理生くんに茉夜ちゃんか、ええ名前やね! じゃあお互いに名前と顔も覚えたことやし、これからのことについて話そか」
飄々とした態度から一変、颯から放たれる重苦しい空気が支配する。
「まずあたしらが向かっとるのは、今拠点にしとるある研究所や。多分転ちゃんは知っとると思うで」
「研究所? ということは、転のお師匠さんもいるです?」
「おるよ。ていうか、その人からハイスペック高校に行くように言われとったしの。もしかしたらの話やけど、その人なら茉夜ちゃんのこと、治せるかもしれんし」
「それは本当ですか!?」
食らいついたのは理生だ。颯は虚を突かれたような顔を浮べつつも、話を続ける。
「お、おう。まだ分からんけんどな? 一応、あの人はハイスペック高校の卒業生で生物学者やし、結構信頼できるはずやで?」
颯の言う事が本当なら、まだ希望はある。問題は茉夜の体力が持つかどうかだ。既に発汗と発熱が始まっている。静流と全く同じ症状だ。
「茉夜……きっと治るからな」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
とても苦しそうに息をしているが、理生の励ましには首を縦に振ることで意思を示す茉夜。
いたたまれない雰囲気の中、突然口を開いたのは昴だった。
「しっかし分かんねえもんだな。このゾンビ化の現象、原因は何かの細菌なのは明らかなんだか、感染した後の発症がバラバラだな。俺が最初に見た時はすぐにゾンビ化したぜ?」
「それは俺も同じです。首元を思いっきり噛まれて、骨まで見えそうなくらい喰いちぎられて、それで……」
「それならおかしいことが一つある。俺が寮の渡り廊下を破壊した時のあの女生徒……あれは少しだが耐えていた。あれは何だったんだ?」
昴は誰に問うでもなく疑問符を付ける。共通点の少なさが、答えを見えない霧の向こうへと追いやっている。
「よう分からんけんど、そういうんは専門家に任せよ。な?」
颯の言葉で一旦収束する。全員、身体もそうだが一番は精神的に参っている。後は輸送車のタイヤだけが走行音を鳴らしているだけになった。




