第十話 highspec hungry
理生は自室で目を覚ました。あの後、転が戻って来る気配がなかったので、静流の容態を見守ろうとしたが、なぜか茉夜に部屋を追い出されたのだ。仕方なく自分のベッドで横になっていると、いつの間にやら夢の中へ旅立っていたらしい。
「よし。とりあえず昴先輩の部屋に行くか」
すでに日が出てきて久しい。今なら茉夜も起きているだろうと思い、昴の部屋へと足を向ける。
扉を三回ノックすると、部屋の中から返事が返ってきた。
「開いてるぜ」
昴の声だ。どうやら昴も起床済みのようだ。
「失礼します。静流の様子はどう……」
答えなど聞く必要はなかった。未だベッドの上とはいえ、上体を起こし茉夜と談笑に浸っている静流の姿があったのだ。
「あ、理生さん。おはようございます」
「お、おはよう……」
昨日とは打って変わって元気そのものだ。血色も良く、無理をしている様子はない。
「理生さんにも心配をお掛けしたみたいですみません。でももうこの通り、すっかり元気ですから!」
ニッコリ笑顔でマッスルポーズを取る静流。理生は胸を撫で下ろす。
「良かった。えっと、昨日の転……さん? の薬が効いたのかな?」
「それはないわ」
バッサリと一刀両断したのは茉夜だ。
「本人が言ってたでしょ? あれは鎮痛剤よ。怪我や病気そのものを治す薬じゃない。あなた聞いてなかったの?」
白い目で見られる理生。正直なところ理生は、静流の身体が心配でその時の転の言葉は耳に入っていなかったのだ。
「ん〜、じゃあなんで治ったんだ?」
「知らないわ、そんなこと。私は静流が元気になったんだから、それ以外のことなんてどうでもいいわ」
フン、と鼻息を鳴らす茉夜。理生も、そう言われるとどうでもよくなってきた。素人と自分らがアレコレ考察しても意味がない。ならば下手な考え休むに似たり、だ。
「ところで、その転さんはどこに……」
理生が言い終わる前に部屋の扉が開き、当の本人が姿を現した。
「みなさ〜ん! おっはようございま〜す!」
あいも変わらず緊張感に欠ける元気の良い挨拶をする転。昨日はしていなかった、緑色のポーチを下げている。調子が狂った理生と茉夜は挨拶を返すのが遅れたが、昴と静流はなんでもない日常の如く返答する。
「おう転、おはようさん」
「おはようございます、転さん。転さんも心配してくれたみたいですね」
「おやおや? 静流さん、治ったんですか? ちょっと失礼」
転は返事を聞かぬ間に静流のあらゆる身体の部位を触りまくる。傍から見ればセクハラをしているようにしか見えないが、おそらくは触診をしているのだろう。
「ん……ひゃん! 転さん! どこ触って……やん!」
色っぽい声を出し始める静流。それを聞いた茉夜はすかさず理生の頭を殴りつけた。
「いって! 何すんだよ!」
「鼻の下を伸ばしてるあんたが悪い」
「俺は別に何もしてないだろ!?」
「聞くだけでも罪よ」
「なんでだよ!」
理生と茉夜が漫才をしているうちに転の触診が終わる。静流は乱れた服装を元に戻している。
「ふ〜む。腕の噛み跡以外はてんで異常が見られませんね。強いて言うならば、ちょっと身体全体が鍛えられているような感じですね。ですが発熱も発汗もないようですし、治ったとみて間違いないでしょう」
転の言葉でようやく本当の安堵が静流に訪れる。思わず頬が緩む。
「良かったわね、静流」
「うん……!」
和やかな雰囲気に包まれるが、どこか浮かない顔をする静流。だが理生が気になったのは転が険しい表情を崩さないでいることの方だった。不審に思った理生は転に訊いてみた。
「転さん、どうかした?」
「ええっと、皆さんにご報告することが二つあります。聞いていただけますか?」
途端、空気が重くなる。部屋の中は静まり返り、自然と転に注目する。
「良い報せと悪い報せがあります。どっちから聞きます?」
「じゃあ良い方から聞こう」
答えたのは昴だ。
「はい。では良い報せから。昨日、転の知り合い……というより、転のお師匠さんですね。その人と連絡を取っていたんです」
どうやって連絡できたのかは敢えて誰も問い詰めない。
「その人によれば、どうやら既に迎えをこちらに送ってくれたそうなのです。予想だと明日には到着するとのことです」
「ほう? そりゃあ好都合だ。電気や水道は使えるとはいえ、食料そろそろヤバかったはずだ。脱出できるならそれに越したことはねえな」
関心を示す昴。理生と茉夜は、いまいち理解ができないでいる。それをフォローしてくれたのは静流だった。
「女子寮にあった食料は全部置いてきてしまった上、男子寮に対する食い扶持が増えたのが原因ですよ」
「ああ、なるほど」
理生はようやく納得がいった。確かに、理生が最後に冷蔵庫の中身を見た時はまだ少しだけ余裕があった。だが今となっては女子寮にいた女生徒の分まで賄わなくてはならない。そう考えると、いかに今の食料事情が危険な状態なのか分かる。
「んで? 悪い報せってのは?」
昴が転に続きを促す。
「はい……。その食料問題のことなのです。食堂でいざこざが起こってまして……」
「いざこざ? どんな?」
「簡単に言うと、食料の取り合いになってるんですよ。早く止めに行かないと」
理生たちが食堂へ向かうと、転の言っていた通り小さな喧嘩があちこちで勃発している。耳を傾けると、やはり聞こえてくるのは食料のことだった。
「お前は元々男子寮の生徒じゃないだろ! これは俺が食うんだ!」
「そんなこと言ったって、私たちだって好きで男子寮に来たんじゃないのよ! お互い助け合おうとか思わないわけ?」
聞くに耐えないような内容ばかりだ。昴は堪忍袋の緒が切れて叫び声を上げる。
「お前ら静かにしろ!」
食堂どころか男子寮全てに響き渡りそうなほど叫ぶ昴。辺りは沈黙が支配する。
「食い物が足りねえって? なら、俺が女子寮から取ってきてやる。まだなんか食えるやつがあるだろ。今日一日さえ凌ぐことができりゃあ脱出の手立てを整えられるんだ。いいか? 分かったか?」
昴の圧力に、生徒たちは無言で頷く。
「で、でも昴先輩? 確か女子寮に続く渡り廊下は破壊して使えなくなってるんじゃ……」
理生の心配に対して昴の代わりに茉夜が説明する。
「昴先輩なら飛び越えられるでしょ。身体能力が取り柄なんだったら、それくらいやってもらわないと困るわ」
納得のいく説明だ。昴はコンクリートすら素手でかち割ることのできる人物だ。たかが数十メートル、助走をつければなんとかなるだろう。
「じゃあヤツらはどうするんですか? 一人だと危険なのでは?」
「そいつも問題ねえよ。さっきチラッと見たが、アイツらはどっか行っちまっていねえからよ」
理生も女子寮に視線を向けてみる。破壊された渡り廊下の向こう側は、確かにもぬけの殻になっている。無音なのが逆に恐怖心を煽るが、昴なら言うほど心配するようなことでもないはずだ。いても一人や二人だろう。
「決まりだな。じゃ、行ってくる」
昴は早速とばかりに助走を付ける。そしていざ走り出そうとした瞬間、静流の声が木霊する。
「待って!」
全員の視線が静流に奪われる。静流は力強い目線を昴に向けていた。
「私も……行く」
「行くって……どうやって行く気だ? 俺は飛び越えられるが、お前には無理だろ」
「大丈夫。私にもできるから」
「できるったって……」
「ちょっと耳貸して」
静流が昴に何か耳打ちする。何を言ったのかは他の人たちには分からなかったが、昴は驚いたように目を丸くした。そして静流は止められる間もなく女子寮へと駆ける。元は渡り廊下のあった場所の手前──落ちる寸前のところだ──から大きく跳躍した。それは目を見張るものだった。静流の身体は、ゆうに数十メートルはある男子寮から女子寮への道のりを、空中で移動したのだ。
それを見た理生たちが半ば放心状態の中、女子寮から静流が手を振る。
「お兄ちゃ〜ん! 早くこっちに!」
「お? おう……」
昴も同様に助走を付けて跳躍。静流と瓜二つのモーションで女子寮へと着地する。
「静流……いつの間にあんな芸当を……?」
理生は思考回路を経由せずに言葉を漏らした。わざわざそれに答えたのは茉夜だった。
「私にも分からないわよ……。でも、これで今日くらいは食料問題は解決できそうね」
茉夜の言う通り、昴と静流はあっという間に大量の食料を抱えて戻ってきた。




