5枚目
聖魔法は、魔界の者の弱点である。魔界の者は闇魔法と相性のいい魔力をもち、その魔力が強ければ強いほど、聖魔法は脅威となる。魔王と敵対していた頃の勇者は聖魔法を駆使し魔王軍と戦った。彼の聖の力は魔法を使うときだけでなく、加護として体にその力が纏われていたそうだ。彼が直接魔物に触れるだけで、魔物は苦しんだという。その彼も魔界と和平し、子を成し孫ができたと言われている。その子どもも、彼の力を受け継いでいるのかは、魔界側の知るところではなかった。
「わぁっ!」
小さな店を通り過ぎ、路地を抜け、暫く坂道を歩くと頂上である丘へとたどり着く。その丘は見晴らしが良く、この街の全てが見渡せる。市場に行ったのが若様が出発した後だったから、ちょうど夕方くらい。今は魔界の活動時間だ。すっかり太陽が沈み、様々な建物から淡い光が溢れる。その中でもやはり市場は強い光を放ち、その存在感は大きい。
「とっても綺麗だわ!」
いろいろな所を案内したが、彼女の様子から察するにここが一番お気に入りなのだろう。はしゃいで駆け出そうとする彼女の手をやんわりと掴む。
「リリアム、あまり離れると落ちてしまうわ」
「アシュガったら、お母様みたいなことを言うのね!」
お母様、という言葉に少しだけ複雑になっていると、彼女が丘の平原に座りこんだ。疲れたのかと彼女を覗き込むと、ただの休憩よ!と元気良く言った。私も隣に腰を下ろし、広がる景色を見下ろす。
「あんまり夜に出かけたことがなかったから、こんな景色を見るのは初めて!」
そういえば、彼女のいる人界は昼が活動時間らしい。私にとっては見慣れた風景でも、彼女の世界ではあまり馴染みのないものなのかもしれない。
「ほんとはね、あまり外に出たことがないだけなのよ」
景色を眺めていると、隣で彼女がぽつりと言った。暗くて表情はよく見えないが、声色からして笑ってはいないだろう。
「病気でもなく、ただ自分だけはそれが許されてなくって、外に行けたとしてもお上品な子でいなくちゃだめで。こうやって街を駆け回るなんてできなかった」
「リリアム」
彼女の手を取ると、彼女はゆっくりこちらを向いた。
「でもそれだけじゃない、私はあの方の気を引きたかったのよ」
「…貴方のお父様のこと?」
「ううん。手の届かないくらい遠くて、とっても素敵な方よ」
「…慕って、いるのね」
声を出さず、彼女は頷く。ざあ、と吹いた風によって、彼女の髪が舞う。暗闇の中でも、その美しさが月に照らされ引き立つ。
「リリアムはとっても綺麗だし、快活で素敵だと思うわ」
「でも、結ばれることは難しいの。向こうは私のこと、ただの子どもだって思ってるみたいだし」
口を尖らしながら、膝を立てて彼女はぼやく。可愛らしくて少しだけ笑ってしまうが、リリアムがじとりとこちらを睨むのでそれを引っ込めた。
「アシュガは、いないの?好きな人」
「好きな、人?」
言われて周りの男性を思い浮かべる。アフェさんはややわかりやすい人だが、基本的に優しく気配り上手な人だ。前の屋敷ではメイドも黄色い声を上げていた。尤も彼自身はそれに困り顔であったのだが。トレニアは年下、しかも可愛い容姿ではあるがしっかりとした性格に豊かな才能と技術を持っていて、母性本能をくすぐる割に男前なところもある。彼が好みの女性なんていくらでもいるだろう。だが2人ともしっくりとはこない。
「アシュガはメイドさんなんだっけ?そしたらあなたのご主人様は?」
「ごほっ」
「えっ、ちょっと大丈夫?」
予想外な考えにむせてしまった私の背中をリリアムはゆっくりとさすってくれる。
「わ、若様なんて身分が違いすぎるわよ。若様もそんな風に私を見ていないし」
「身分差なのがいいんじゃない!色々な障害を乗り越えて、それでもお互い思い合って結ばれるの!」
「物語ではね、そりゃあ若様は素敵なお方だけれど」
「でも、アシュガがそこまで動揺するってことは好きなんじゃないの?」
彼女の問いにふるふると首を横に振る。そんなこと、あってはいけないのだ。彼には素敵な由緒正しきお嬢様がお似合いで、その場所は間違っても私のものではない。
「大体、あの方は私を好いてないのよ。すぐに顔をしかめてしまうし、イライラした表情をなさるもの」
「うーん、それは手強いかも。でもアシュガ、気づいてる?貴方…」
「待ってリリアム。静かに」
彼女の言葉を止め、周りに目をこらす。きょとんとした彼女の肩を抱きながら、四方に気配を巡らす。そしてある方向に向き、彼女を背に隠した。
「絶対に、そこを動かないで。わかった?」
「ええ、でも一体なにが起き」
突如、地響きのような低い音が地面を揺らすように周囲に響き渡った。びくりと後ろでリリアムが体を揺らす。右手で指を鳴らすと、どこからともなくして梟が姿を現し、リリアムの肩にちょこんと乗った。
「あなたは彼女の騎士様よ。傷1つつけないようにね」
返事をするように使い魔が鳴き声をあげる。リリアムを安心させるように、梟が彼女の頬へと体を摺り寄せた。
「アシュガ」
震える声で彼女は私を呼ぶ。人間の少女には少々きつい状況かもしれない。彼女の髪をすくってみると、絹のようなその感触がした。
「リリアム、隠していてごめんなさい」
「え?」
遠くから、何かの唸り声が聞こえる。その方向へと右手を伸ばし、その登場を待つ。
坂を登って姿を見せたのは大型のワームだった。後ろでリリアムが息を飲む。それでもしっかりと前を見ているようだから、やはり肝の座った少女であるようだ。
「私、吸血鬼なの」
彼女に言い残し、ワームの所へと駆け出す。地を蹴りその醜悪な魔物を見下ろす位置まで飛び、自分の右足に魔法をかけ、そのままワームを蹴りおろす。べちゃ、と嫌な音を立てて右足が濡れた。与えた痛みに反応して、ワームが大きな悲鳴をあげる。すかさず右手を鳴らすと、大量の蝙蝠たちが私を囲うようにどこからか現れた。
「お食べ」
私が命じると、勢いよく出るワームの血液に向かって、蝙蝠が真っ直ぐ飛ぶ。この蝙蝠はすべての生物の血液を好むのだ。血を吸われてじたばたと体を動かすワームの頭に、左手をかざす。
「許してちょうだい」
瞬間、その頭に青い焔が付いた。それを消そうとワームが地に頭を擦る。その度に地面が揺れ、地響きがするが、闇魔法の業火など消えるはずもない。蝙蝠たちはその火が自分たちに移らないうちに次々に飛び去っていく。
暫くすると動かなくなったワームに一礼する。どんどんとワームが灰になって消えていくのを見つめていた。
「アシュガ!」
「リリアム、怪我は、っ!?」
少女に呼ばれて振り向くと、勢いよく彼女が私に抱きつく。敵を倒しきったと気を緩めていた私には大きい追撃である。そのままバランスを崩し、2人とも平原に転がってしまった。
「アシュガ!怪我は!?」
「大丈夫よ、あなたは?」
勢いよく横に首を振る彼女の瞳がだんだんと揺らめいていく。眉尻を下げ、彼女は絞り出すように言った。
「あなたに怪我させてしまったらって…怖かった」
「大丈夫よ、私は強いもの」
涙で潤んだその眦を私の指で拭う。笑いかけると、彼女は少し弱々しくも気丈に笑った。リリアムが芯の強い女性でよかったと安堵する。が、それもつかぬ間。
「取り押さえろ」
男の声が聞こえ、一瞬でリリアムと離され地面にうつ伏せにされる。離そうと思って力を込めるも、何故か力が入らない。少し離れたところでリリアムが離して!と叫んでいる。先ほどまで気配など感じなかったのに。這わされたまま目線を上げると、冷ややかな表情で私を見下ろす青年がいた。
「カルミア!何のつもり!」
「姫様がこれに攫われたと聞きまして」
これ、というのは私のことだろう。顔を見て睨んでやろうかと思ったが、頭を押さえつけられて顔を上げることはできない。肩まである髪から、青年はリリアムと同じく絹のような髪質なのは伺えるが、その色はくすんだ金である。
「よく聞きなさい!彼女は私を今の今まで守ってくれたレディよ。そもそもあなたの部下があんな街中で無粋なマネをしたのが原因よ!決して彼女のせいではないわ!」
「人界の姫を守る?そもそも、貴方様の聖の力が側にあってもなお、これは悠々と魔力を使ってみせた。怪しすぎるとは思いませんでしたか?」
「…っ、でも!彼女は!」
リリアムの話を聞いていないような青年は、ゆっくりと私の方へと近づいて、私の顔の前で立ち止まった。青年はさも当然かのように足を上げ、私の頭めがけてそれを下ろす。目をつぶってその衝撃に耐えようとぐ、と歯を食いしばる。
「それに触れないで頂きたい」
凛とした声が、その足を止めた。