4枚目
数少ない私服に身を包み、小さなカバンと大きめの籠を携えた私がいるのは、近くの市場である。隣にいるのはこれまた私服のトレニア。2人で買い出しに出ているのだ。
というのも、若様が歴史研究で向こうにしばらく泊まらなければいけなくなった。それによって屋敷での仕事がどっと減った私とトレニアに、気分転換代わりに買い物に行っておいでとアフェさんが言ってくれたのだ。用心棒の私が屋敷を離れていいのかと思ったが、彼が有無を言わさぬようににこにこと笑うので、さっさと出てきてしまった。
「このあたりの市場なんて来たことがないわ」
この市場は大きな道の両側に様々な店が出店のように並んでいる。野菜や肉が並べられ、中には調理済みの食べ歩くには丁度いいサイズのものが売られていたりする。大きな声で客寄せをする店員の声で市場は溢れ、沢山の人とすれ違うことからとても活気がある様子がうかがえる。
「ここは大きな市場だから色々ありますよ!はぐれないようにしてくださいね?ただでさえ綺麗な格好してるんだから」
そういうトレニアは、そこらへんの街にいそうな、シャツに半ズボン、大きめのリュックにタータンチェックの帽子を被っている。なんというか、いかにも少年という感じで可愛らしい。
「そんなに綺麗な格好かしら?」
対して私は藍色の膝丈より少し長いワンピースである。少しリボンやらレースがあしらわれているが、色が色だけにそれが目立たない。誕生日プレゼントに私服を全く持っていない私の話を聞いたプレナス邸の旦那様たちから頂いたものだ。
「似合ってるってことですよ、あの人に見せたげたいなあ」
「こんな格好見せられないわよ、変だと言われてしまうわ」
「あーそうですか、なら見せなきゃいいんじゃないですかね」
投げやりに言いつつ、彼は手元のメモに目を落とす。そして気付いたように私に手を差し出した。
「トレニア?」
「レディをエスコートするのも紳士の役目って、アフェさんが言ってましたし。それともボクじゃ嫌ですか?」
意地悪な笑みを浮かべウインクする少年に少し驚きつつも、その手を取る。彼は何もなかったようにメモに目線を落とした。
「貴方って、本当に素敵な紳士ね。若様の次に」
「それでいいですよ、あ、ここ寄ります」
彼が止まった店には元気のいい壮年の男性がいた。店主らしいその人はトレニアと私を見て楽しげに笑う。
「なんだ坊主!綺麗なネーサンと一緒たぁやるじゃねぇか!いつの間にこんな彼女できたんだ!?」
「彼女じゃないよ、この人には先約がいるんだから」
大きな声の男性に少年は冷静に返す。どうやらここの常連らしい。ゆっくりと店内にある野菜を見回して、気づく。
「人界の野菜ばかり!」
「お?ねーちゃんしってんのか?物知りなこった!」
聞けば、店主は人界から定期的にやってくる人間らしい。和平条約を結んでしばらく経ち、徐々に互いを行き来する商人も増えつつあるというのは噂で聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。
「この人、ジャガイモが好きなんだって。サービスしてよ店主」
「ほう!じゃあ綺麗なねーちゃんのために何個かサービスしといてやる!」
お礼を言うと、店主は豪快に笑った。続けてトレニアは店主と一緒に食材について話し合う。私は深く入り込めそうにもないので、少し下がって周りを見回した。相変わらず人が多い場所である。あまり人混みに慣れていないから、人酔いしてしまいそうだ。自然に離されたトレニアの手を繋ぎ直そうかと思ったその時、女性の声が耳についた。振り返ってそこに目をこらすと、体軀のしっかりした数人の男と少女が言い争いをしている。
「トレニア、ここにいてね」
「え?」
人をするすると通り抜け、少女の元へと向かう。見た目的には私と変わらないくらいの少女である。
「うるさいわね!ちょっと見て回っただけじゃない!何がダメなわけ?」
「全てです!お連れしろ」
リーダー格のような男が言うと、後ろについていた2人の男が少女に手を伸ばす。後ろに下がる少女の肩を受け止めると、少女は驚いたようにこちらを向く。
「少女1人に男性多数とは、少し乱暴なのではなくて?」
少女を自分の背に隠し、一歩前へ出る。男が怪訝な視線をこちらに向け、威圧するようにもっていた槍を向ける。
「なんだ貴様は?!」
「貴方こそ。丸腰の女の子をいじめて、事情をお話しくださる?」
「我らはーー」
男が言いかけた瞬間、自分のバランスが崩れる。腕を掴まれたのだ。驚いて振り返ると、その先に少女がこちらを見ていた。
「走って!」
器用に人混みをすり抜けながら私の手をとって走る彼女にされるがまま駈け出す。後ろの男たちは声を上げて追いかけようとするも、私たちのように小さくない体ではすり抜けるのも難しいようで、どんどん声が離れていった。
しばらく走って追っ手も人混みもだいぶ減った路地へと隠れ、やっと少女は立ち止まった。割と走ったはずだが少女は軽く息を切らす程度で、私を見上げて可憐に微笑んだ。ばたばたとしていてあまり顔を見ていなかったが、目をみはるほどの綺麗な顔立ちである。金属のように輝く綺麗な金色の髪はひとつひとつが軽やかに風に遊ばれ、しゃらりと音がしそうなほどである。その瞳は昼空を思い浮かべるような澄んだ青色をしていた。
「巻き込んでごめんなさい。でも助けてくれてありがとう!」
「謝らないで、首を突っ込んだのは私だもの」
彼女は数秒驚いたように目を丸めたが、すぐに楽しそうに笑った。
「私はリリアム!貴方は?」
「アシュガ」
「花の名前ね、貴方も人界からきたの?」
首を振ると彼女は驚いた顔をした。彼女によると、この名前は人界の花の名前らしい。本当はアジュガというらしいが、確かにアジュガだと響きが可愛くないものね!と彼女は納得していた。もともと、私は自分の名の響きを女性らしくないと思っていたのだが。
「きっと、貴方のご両親がその花を気に入ったんじゃないかしら。紫の花を咲かせる綺麗な花よ」
「知らなかったわ、意味のない名前だと思っていたから」
「私も同じ、リリアムは人界の花の名前なの!お揃いね」
にっこりと笑う彼女につられて私も笑う。
「リリアムは人界からきたの?」
「…そうよ」
彼女はすこし私から目をそらし、バツの悪そうな顔をする。
「ということは、あの市場のどこかの商人の娘さん?」
それを聞いた彼女はそらしていた視線をバッとこちらに向ける。いきなりのことに驚いていると彼女がぶんぶんと首を縦に振った。
「そう!お父様についてきたのよ!魔界のことを知りたくって!」
「見識が広いのね」
その勢いに押されて適当に返すと、彼女はさらに機嫌を良くして私の手を握る。
「お父様に市場を見てくる!って言ってあそこに言ったんだけど、ああやって絡まれてしまって。アシュガがきてくれてよかったわ!」
「災難だったのね」
「ええ、とっても!でも漸くゆっくりと魔界を歩ける!アシュガはこの辺りの人?私、魔界に来たのは初めてなの!」
「ええ、最近こちらにやってきたばかりだけど、簡単に案内はできるわ、よかったら一緒に行きましょうか?」
「嬉しい!よろしくね、アシュガ!」
繋いだ手をぎゅ、と握りしめて彼女は大きく頷いた。頭の端でトレニアが私を探してるかもしれないと思ったが、人間であるリリアムを1人にすると、先ほどのように絡まれたり、最悪人間を食べたがる者たちに襲われるかもしれない。それはこの無垢な少女の結末として後味の悪すぎるものだ。後で彼の好きな物を手に事情を話して謝れば許してくれるだろう。当分若様もお帰えりにならないだろうし、折角知り合った彼女と少しだけ出歩いてもバチは当たらないだろう、とこのときの私は安易に考えていたのだった。