2枚目
ひとしきりの基礎知識を与えられたあと、私は屋敷に連れてこられた。プラナス邸、若様のいるお屋敷にだ。物心つく前からずっと、混血の吸血鬼として見られてきた。私は赤い目の理由である吸血鬼の血が流れるという事実と、それでいて身分の低い立場にいるという事実から混血の吸血鬼ということがすぐに皆に知れ渡ってしまうのだ。だからといって殺されも疎まれもしないが、混血であっても魔力は大方の魔族よりも強く、かといって純血にも混れない、どこにいっても深く馴染めないだろう私の未来を、皆憐れんでいた。可哀想な子、その言葉が私の代名詞だった。
屋敷で初めて赤い目を見たのは若様とお会いした時であった。私より少し年上の少年はこちらをじ、と見て、彼はすぐに眉にしわを寄せた。
「お前、名は?」
「アシュガでございます」
恭しく頭を下げたつもりだが、どこかぎこちなくなってしまう。
「メイドになって日が浅いのか?」
「はい」
「もっと動きを洗練しろ。プラナス邸の使用人でいるなら、所作は美しくなければ」
誇り高き少年は腕を組み、その凛々しい赤い瞳で私を射抜く。私はそれに驚いてしまった。その瞳に他の者が宿す憐れみなど少しもなかったからだ。少年は私が混血であることを知っているはずであった。しかし彼はプラナス邸の使用人である私を叱った、吸血鬼ではない私を。
「俺はお前が出した結果を見てお前を評価する、わかったか?」
驚きで言葉を返せない私に、彼は言葉を続けた。私と同じ色の目が、強い意志を抱いている。そして、私はーーー。
とんとん、と額を小突かれて目を覚ますと、紅い目が私を見下ろすのが視界に入る。自分と同じ目の色なんて珍しい、そうぼんやりと考えていると、その目の持ち主がゆっくりと口を開く。
「もう着くぞ」
その声にびくり、と体が強張る。やらかした、と脳が警鐘を鳴らした。慌てて頭をさげると、彼はいつものように眉をひそめていた。
「しかし本当にずっと寝ているとは…疲れなのか図太いのかわからないな」
「…申し訳ございません」
「まあいい、じき着くだろう。外でも見ておけ」
窓の外を見ると、空は既に朱と紫の混じった色をしていた。綺麗なその色に感嘆の息が漏れる。程なくしてこれが主人の前だと思い出し、きゅ、と口を結んだ。
「陽は美しいな、空が色づく」
「はい」
「自分の体質が憎いな、こればかりは。お前が羨ましい」
魔界にも太陽は昇る。夜が活発な活動時期なのはどの魔物でもそうなのだが、吸血鬼ほど太陽が苦手なものは少ない。よく吸血鬼は太陽を見ると灰になるとか人界ではいうらしいが、そんなわけもなく。実際は体調がとても悪くなる、貧血とか目眩とかそういう感じだ。純血である若様は、朝日ですら直接当たると吐き気がすると仰っていた。私は混血であるから太陽にそこまで弱くない。快晴の真昼は出かけたくないのは事実だが。
「日傘をさしては空が見えないから困ったものだな」
ニゲラ様は少し悲しげに目細めなさる。時々このお方はこの憂いを帯びた表情をなさる。ただのメイドにはどうすることもできない、そう歯がゆい思いを昔からしてきた。尤も、私は昔からこの方に好かれていないからそう思われても不快になるだけなのだろうが。
「…恐れながら、私の嗜好を申し上げてもよろしいでしょうか」
「言え」
「私は、闇夜に浮かぶ月が好きです。その色は、ニゲラ様の御髪のものですから」
ニゲラ様の御髪は、彼の曽祖父と同じらしく、他のお方は違う色をしていらっしゃる。吸血鬼にしては少し珍しいのだ。魔力の影響かどうかはわからないが、ただ彼の曽祖父も学業に秀でたお方だったそうだ。
「機嫌取りか?」
そうかもしれない。彼の沈んだ顔を見て言わずにはいれなかった。結局は自分のエゴだ。ただのメイドの意見など、彼にとって意味のないものであるべきなのだから。
「差し出がましいとは存じております。お叱りください」
「…いや、いい」
彼は私の発言を叱らなかった。呆れて物も言えないのだろうか。ただ彼は終始外の景色を見たまま、私に視線を一度もくれなかった。その後、馬車が止まるまでずっと私達は会話をせず、ただ外の流れる景色を眺めていた。
ついたお屋敷は思ったより小さいところだった。大方、無駄な出費を嫌がる若様が住めるならよいとここをお選びになったのだろう。与えられた小さな部屋が私の部屋である。若様がお連れになった使用人は3人であり、主に家事をこなす役目で連れられたのは私のみである。少ない荷物を用意されていたタンスに詰め込んでいると、軽快なノックの音がした。
「アシュガ、いるかい?」
「はい、ただいま」
男性にしては少し高めの声の主に向かって返事をし、ドアを開ける。肩まで伸びる茶色の髪を後ろにまとめ、燕尾服をまとっている、獣の耳をもつ男性、狼男がにこやかに立っている。
「すまないね、レディの部屋に押しかけるなんて」
「お気になさらないでください。家令の方に文句など言えましょうか」
金色の目が困ったように細められる。見目麗しい甘いマスクの彼は今回この屋敷の家令となった方である。若様が前の屋敷から気に入っていた従者であり、今回家令に選ばれた。名をアフェランドラ。名前が長いからアフェと呼ばれている。
「それでアフェさん、私に何か?」
「一応仕事内容の割り振りを確認しようと思ってね、一応まとめたんだけど」
そう言って彼は一枚の紙切れを私に渡す。綺麗な字で書かれたそれを軽く読むと、私の仕事は食事の配膳、屋敷の掃除、手入れ、そして屋敷の警護だった。最後の仕事に少し笑いそうになりつつも、目の前の彼に視線をやり頷く。
「レディに警護の役目を任せるのは不甲斐ないんだけど」
「構いません。私が一番適役でしょう」
アフェさんは申し訳なさそうに狼の耳を少し下げた。眉尻も一緒に、である。
「ただ、1つ気になることがあります」
「ん?」
「どうして、私が選ばれたのでしょう。若様は私を嫌ってらっしゃるのに」
金の目が丸い形を作る。少しの沈黙の後、彼は漸く口元に笑みを浮かべた。
「じゃあ君は、どうして断らなかったんだい?わざわざ嫌われてる相手に言われたら嫌だと思うだろう?」
今度は私が目を丸くする番だった。断る、という選択肢が自分の中になかったのである。別に、断ることができなかったわけではない。いくら私を嫌っていても、若様は拒否権くらい与えてくれるお方だ。
「嫌われても、よいのです。若様のお役に立てるなら」
するり、と出てきた言葉はこれだった。思ってもない言葉が自分から溢れる。留め具が外れて漏れる水のように、さらに言葉は勢いを増した。
「混血の吸血鬼ではなく、アシュガを見てくださった最初のお方でした。その恩を返す為に、尽くしたいと思うのです」
「…そうか、素敵だと思うよ」
アフェさんは綺麗な金の目を細め、穏やかに笑った。
「あのお方はね、そこまで器用じゃない。不器用なくらいだ…ただ、君をまっすぐ見ているのは昔からずっと変わらない」
「そうなのでしょうか?」
「そうだよ、この事は覚えておいて。嫌われてるかどうかは直接聞いてみればいい。嘘はつかないお方なのは知ってるだろう?」
私が頷くと、彼も満足げに頷いた。時計をちらりと一瞥し、少し慌てたように耳がぴくりと動く。本当に、感情がわかりやすいお方だなと思ってしまう。
「そろそろ仕事を始めなくちゃいけないな、僕も君も」
「はい、それでは」
私に手を振って去っていく彼を見送る。時間を逆算して、一番急ぐのは浴室の掃除だろう。自室に届けられていた掃除用具を片手に、屋敷の間取り図をもう片方に持ち、早足で片付けに向かった。