表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
よろず  作者: だいふく
4/4

gr

そういって赤坂は、乱暴に冷蔵庫の扉を閉めた。それから居間のドアを開け、すぐ左手にある階段を上ってゆく。

この先には、赤坂のプライベートルームしかない。つまり客室と名のつく場所に通されるのは、そこそこ彼女と親しい仲の人物だけなのだ。親しい人間でなければ客ではない、それが彼女の口癖である。

「わひゃひゃひゃひゃひゃ」

 彼女の後を追うと、どこからか下品な笑い声が聞こえてきた。女性の声ではあるが、女性のものとは思えないほどの笑い方である。聞く者によっては、赤ん坊の笑い声にも感じるかもしれない。無垢と下品、この二つは紙一重なのだ。

思わず、足を止める。

 これは確実に、奴が何か、やらかしているときの笑い声だ。赤坂も、それに感づいたらしい。足早に、いくつか連なった部屋を通り抜け、問題の客室の前に立つ。

「うけけけけ。うひゃあ、雪崩だあ!!!」

 相変わらず、意味の分からない言葉だけが聞こえてくる。僕と赤坂は一瞬だけ顔を見合わせると、素早くドアノブに手をかけた。

「何をして――」

最後まで言葉を発することができなかった。

――唖然。

 室内は白い紙で溢れ、それが全てを埋め尽くしていた。さらに、埋め尽くすだけにとどまらず、細かく千切られた紙切れが、ふわふわと宙を舞っている。部屋の中央に設えてあるソファは完全に埋もれてしまい、背もたれだけがわずかに顔を覗かせていた。

当のヘーヤは、部屋の中央で降り積もった紙に埋まり、ごろごろとのた打ち回っている様子だ。思わず足を踏み入れると、ずぶりと足が呑みこまれた。さながら、三島由紀夫の小説に登場したような気分である。

「何をやってるんだ」

 僕は強い口調で問いただした。別にこの家の主でも何でもないけれど、そう言わずにはいられなかったのだ。

「あっ、はろーはろーカイジンちゃん! 君も来てたのか。いやあ、あんまり怒らないでよ。 暇だったからねえ」

 ヘーヤは虚ろな目をしながら片手を挙げ、その腕を左右に振ってみせた。そうして、おもむろに立ち上がり、掴んでいた紙の束を勢いよく放り投げる。

百七十センチの身長とほぼ同等の高さから解き放たれた紙が、空気の抵抗を受けながら、ゆっくりと落ちて行く。

僕はその様子を眺めながら、静かに鼻から息を漏らした。

「――暇だったから?」

「むふふふ。そこに分厚い週刊誌があってね。そんで私は、半分に破れないかなあと思ったわけさ」

「そう。それで? 半分に破れたの?」

「いやあ、簡単だったね。コツさえ分かれば、女にだってできるんだよ。黒人のプロレスラーも形無しぐらいにさ。ただ少し、骨が折れる。いや、筋肉を消耗するわけさ」

「それで?」

僕には少し、続きが読めた。

「それで、雑誌を半分に破ったわけだよ。四百ページと四百一ページの間をね。そりゃあもう、簡単に破けちゃったね。むふふ。このやり方なら、タウンページだって半分にできる。世紀の発見だよ、これは。これを応用すれば、半分にだって、十分の一にだって出来ちゃうんだから」

「それで面白くなって、雑誌の一ページ一ページを……」

「そう、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」

 そう笑いながら、ヘーヤは手元にあった書籍を、言葉通り一ページ一ページちぎって見せた。

「馬鹿なんだろうなあ」

 その様子を眺めながら、僕は諦めて呟く。ずれているだとか、おかしいだとか、そういったレベルではない。初めから何かが欠落しているのだ。

同意を求めるつもりで赤坂の方に目をやったが、彼女は僕の意に反して、驚いたように両目を見開きながらこの光景を見ていた。

「ヘーヤ君、それ、もしかして……」

 赤坂の視線は、ヘーヤの持つ書籍に注がれている。とは言っても、ヘーヤの手が邪魔をして、彼女が何の本を持っているのかは僕には分からなかった。

「んへへ? ああ、これ。紙が足りなくなったからさ、別の部屋から調達してきたんだよ。なかなか、ちぎりがいのある本だったねえ」

「ち、調達? 別の部屋から? もしかして、そこ、鍵が掛かってなかったかい?」

 感情が複雑に入り混じったような口調で、赤坂が問いただす。眉間には、綺麗な縦皺が寄っていた。

「あー、うん。そういえば、掛かってたねえ」

 赤坂の表情には全く気付かず、ヘーヤがケロッと答えた。

「どうやって開けた?」

「どうやって? 何を言ってるのか、ヘーヤには分からないなあ」

「鍵を開けた、その方法を聞いているんだ」

「方法も何も、あれって南京錠でしょう? しかも、ホームセンタで普通に売ってるやつ」

「まあ……そうだが」

 赤坂が、少し表情を曇らせながら頷く。

「不用心だなあ。南京錠の中にはね、共通キーが採用されているものがあるんだよ。つまり、全く同じ鍵穴の錠が、大量に売られているってわけ。鍵と錠のシリアルナンバーさえ揃えば、一本の鍵でいくつもの錠を開けられちゃうし、一つの錠の鍵を何人もの人間が共有することもできる。知らないで買って行っちゃう人が多いんだよねえ」

「例え、私が気づかずにその鍵を買ったとしても、だ。シリアルナンバーを知らなければ、簡単に開けられるものではないだろう。いや、いやいやいや。違う。そんなことは、今となっては些末なこと。鍵など、どうでもいい」

 赤坂は、泳ぎ終えた猫のように首を左右に振る。そうして、恐る恐るヘーヤを指差した。

「重要なのは――重要なのは、だ。君持っているその本。その本はもしかして……」

「んあ、ああ、これ? 虫の本だよ。名前からして、きっと虫太郎って虫が主人公なんだろうね」

 ページを全てちぎり終えたヘーヤが、本の表紙を僕に投げてよこした。見ると、題名には『黒死館殺人事件』と書いてある。

「それは……それは初版本……。それも御本人から直接頂いたという……」

 赤坂が、この世の終わりのような顔をして膝をついた。

「あれ? あれあれあれえ? もしかしてもしかして、大切な本だったりする? 駄目だよ。そーゆーのはさあ、きっちりきちんと大切に保管しておかないと」

 ヘーヤはケラケラと笑い、何を思ったか自ら紙の海の中へと沈んでいった。それから僕たちの前まで這うように進んできて、ばっと顔を覗かせる。

「んで? んでんでんで? 細かいことは置いといて。これはどういうことかな? カイジンちゃんがいて、天神ちゃんもいる。二人は下で、こそこそと内緒の話をしてたみたいだし。ヘーヤちゃんの嗅覚が反応しちゃった。なにか、面白いことがあるんでしょう?」

「え? 別に何も。友人の家を、用事もなしに訪問しちゃ不味かったかな?」

 僕はとぼけてみせた。

「そんなものは、このヘーヤちゃんには通じないよん。正直に吐くまで、てってー的に攻めてやるんだから」

 ヘーヤの眼が、怪しく光る。さらに彼女は、何故か両手を顔の前に持っていき、開いたり閉じたりし始めた。

 まいったな。

 これは降参するしかない。長年の経験上、僕にはそれが分かった。これ以上とぼけてしまうと、僕は彼女に何をされるか、分かったものではないのだ。

「話す。話すよ。でもその前に、することがあるだろ?」

 僕は、いまだに膝をつき、頭を抱えながら震えている赤坂を一瞥して言った。

「ああ、そうかそうか。うん。分かってるよ。お片づけだね?」

三時間後。掃除と赤坂に対する謝罪をきっちりと終わらせた後、僕はヘーヤに事の経緯を話した。もちろん、赤坂に話したのと同じ内容である。

「なるほど。話は分かったわ」

 酔いが醒めてきたのか、ヘーヤはいつも通りの口調でのたまわってから、面倒くさそうに手を振った。

「つまり、詳しいところは聞いていないんだろう?」

「まあ、そういうことかな」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ