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さて、どこまで話そうか……。
僕は目をつぶり、全てを思い起こしたうえで、無難なところだけを話すことにした。
「三年ほど前の事件なんだけれどね。場所は、山奥の小さな村。旅館と呼べるのかどうかはわからないけれど、小さな宿泊施設のようなものがあるんだそうだ。そこで、事件は起きた。殺されたのはええと、何とかという研究者だったかな。彼については、僕もあまり詳しいことは聞かされていないんだ」
「ふむ。言っておくが、犯人探しなら、私はしないぞ。密室の種を暴くことなら、やぶかさではないが」
「いや、そういうんじゃあないんだ」
僕は頭をふった。
「密室も暴かなくて良いし、犯人だって見つけなくて良い。実は今回、その何某とかいう研究者の元助手が、あの時のメンバを集めているみたいなんだ。大方、犯人探しでもしたいんだろう。その中で、客観的に観察できる人間、つまり相談相手を、僕に依頼してきたんだよ」
「なるほど。つまり助手の助手ってことか。研究職に従事している人間らしい発想だ。しかし……その役に、よりにもよって君を抜擢するとはねえ。言っちゃあ悪いけど、その助手、大成しないだろうね」
「まあ、そう言うなよ。その人だって、今や世界を代表する研究者だ」
「世界を代表する、か。なんて如何わしい表現なんだろうね。範囲を極限まで絞れば、代表はおろか、ぶっちぎりの一番になることだって容易い。何を隠そう私は、『褌からブリーフ、トランクスを経てボクサーパンツへと移ろいゆく青少年たちの葛藤と精神的変化、及び下着の実用性に対するモラトリアムとの関係性』という研究テーマに関しては、世界でも随一だと自負している」
そう言って赤坂天神は、ははっとさして面白くもなさそうに笑い、胸を張った。
大変な変態である。
業界用語でいえば、ヘンタイなタイヘンである。
しかしそう思ったことはおくびにも出さず、僕は頷いた。彼女が真に言わんとしていることが、充分に伝わったからだ。
「少なくとも、名は知られているようだよ。眞田雪村っていう名前」
「サナダユキムラだって?」
「知っているのかい?」
「もちろんだとも。お会いしたことはないが、知っている。六文銭に、猿飛佐助だろう? 日本では知らぬ者はいない」
「それは違うサナダユキムラだと思うけど……」
「ふむ。虎の威を借る狐、と言うわけだな。それでは有名でも仕方がない」
「………」
彼女は何か勘違いをしているようだが、眞田雪村教授という人物は、実際に高名な学者である。詳しくは分からないが、遺伝子と地域に関する研究を行っているらしい。テレビなどのマスコミにも、良く顔を出す人物だ。
「まあ、それはそれとして。僕の頼みは聞いてもらえるのかな」
「交通費や宿泊費、その他雑費はどうなるんだ?」
彼女の瞳が光った……ように窺えた。さて、ここが正念場である。
「それは全て、眞田さんが払ってくれるそうだよ。なんなら、最寄りの駅からタクシーで来ても構わないってさ」
「しかし、依頼は君に来たはずだ。金は直接、私が貰えるんだろうね?」
「ああ。全てが終わった後に、報酬と共に手渡しという算段になっている」
「ふむ……」
赤坂は顎に手を当て、少しだけ考えるようなそぶりを見せた。そして眠たそうな猫眼になりながら、ぽんと手を打ち、さらに大きな欠伸をして見せた。
「よし、分かった。報酬まで出るのであれば、引き受けよう。もちろん、君の代わりに私が行くことは了承済みなんだろうね」
「それが――」
僕はここで、言葉を濁す。
「なんだい、ひょっとして、私は君に変装して行かなくちゃあならないのかい?」
目ざとい彼女は、責めるような口調で僕に聞いた。
「いやあ、まあ、そういうわけなんだけれどね。幸い、依頼主とのやりとりはメールだけ。世間には僕の本名はおろか、性別すら知られていないわけだから。まあ、そこまで気を張ることはないよ」
「ああ、そうだな。世間一般が考える君へ対するイメージは、どちらかというと、私に近い。逆に、君が行った方が疑われるだろうね」
彼女は言った。
悔しいが、まさにその通りである。
常識と真実は違う。いくら世間の中では、僕が名探偵であり、売れっ子小説家だったとしても、それは全て彼女あってのことなのだ。彼女が難事件を解決し、僕はそれをネタに小説を書いただけの話である。当然、僕の書く小説は実際の事件に即したものになるし、世間は僕が本当に事件に関わり、そして解決したかのように錯覚する。
つまり、赤坂天神イコール僕なのだ。
そのように書いているのだから、それはまあ、仕方のないことだろう。しかし困るのは、今回のような依頼が舞い込むようになったことだ。小説と現実との区別がつかない人間の、なんと多いことか。
僕は言った。
「まあさ、これで僕は、君に一つ、借りができたってわけだ。君が引き受けてくれたことによって、僕は自らの無能を曝さずに済む」
「君は無能だけれど、馬鹿じゃない。察するに、何か裏があるね?」
彼女は何故か、合点がいったという表情で、僕の顔を覗き込む。
「裏のない表って、ある?」
「無い。どこにもないよ。ははあ、面白いね。私がその裏を解き明かしたとしても、君は怒らない?」
「さあ。それはそのときの僕によるよ。ただ、今の時点では、怒るつもりはないな」
「そうか。よし、分かった。俄然興味が湧いてきたよ。今回に限っては、能動的に働かせてもらおうじゃないか」
そう言って、彼女はようやく笑顔を見せてくれた。
それをみて、僕はやっと胸を撫で下ろす。これで、本日の仕事は終了である。否、雑事が少しは残っているけれど、大方の目標は果たせたと言えるだろう。
それから彼女は無言のまま立ち上がって、テレビの隣にある小型の冷蔵庫を開けた。取り出したのは、なんと缶ビールである。
「あれ、こんな時間から呑むの?」
「ああ、言い忘れていたけれど、酒好きの客が二階にいてね。きっと彼女も、既に部屋にある酒を呑んでいることだろうから。私もそれに、付き合わなきゃあ」
誰が来ているのか、その言葉だけで察することができた。こんな時間から酒を呑む奴なんて、僕の周りでは一人しかいない。言われてみれば、土間に揃えられていた靴には、どこかで見覚えがあった。
「ヘーヤか」
「ご明察。彼女は君と違って気が利くからね。私の集中を妨げないために、二階で静かにしているのさ」
「それは……どうだろう」
確かに赤坂の言うとおり、ヘーヤは大変気の利く女性だ。それは例えば、飲み会でサラダを取り分けたりだとか、バンドエイドを常に持っているだとか、所謂女性的な種類ものではない。もっと中間に位置する、どちらかと言えば男性的な、そんな部類に属するものだ。
気持ちの良い人間だと、僕自身も思う。
けれど――
それは彼女が、アルコールを飲んでいないときの話である。酒を体内に入れると、たちまちヘーヤは――ヘーヤでなくなるのだ。例えて言うならば、野菜スープにカレーのルーを加えるようなものである。
「僕も少し、付き合おうか?」
僕は親切のつもりで、そう申し出た。
「ほう。女同士の酒宴に混ざろうというのか。心が下に、はみ出ているらしいな」
「いや、そんなつもりじゃあ……」
戸惑った僕の様子を見て、彼女は口をおさえ、くつくつと笑った。
「冗談だ。まあ、なんだ。君の心配もよくわかる。そうだな――そうしてもらえると有難い。しかし、君にも予定があるんじゃないのかい?」
「大した事は残っちゃいないよ。家族会議よりもフラットな予定さ」
「そうか……。なら、うーん、そうだな。お言葉に甘えようか」
そういって赤坂は、乱暴に冷蔵庫の扉を閉めた。




