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07☆LOVE CITY PARADE



 静寂。

 締め切られた展示室の中には、落ち着いた静けさだけが立ち込めていた。

 そんな部屋に、朝の陽射が窓を突き抜けて転がり込んで来る。

 淡い光りに浮かぶ展示室の中に、ポツンと抜け殻の様に日向・美紗紀は立ち尽くしていた。

 ショーケースのガラスに浮かぶ美紗紀の背中。

 その奥に天月・乙時は居た。

 突然声を掛けられた美紗紀は、今も背筋に冷たさを感じている。

 それを笑いながら、天月は右手を少しだけ広げ、そこにあった椅子の背を掴む。

「ほっほっ。そう固くならんでもよいよっ」

 椅子が床を滑る。

 と、言うよりはぎこちなく、耳障りな音が二人だけの展示室内に響いた。

 その間、美紗紀は動かずに息を止めている。

 目は驚きのまま、口は強く閉じたまま、上がった肩が緊張に強張ったままだ。

 ついさっきまで見ていた写真の男。

 もし自分の両親が生きていたら知っていただろう年代に世界中を駆け抜けた男。

 忘れられた男。

 天月・乙時。

「ほら、座りなさいな」

 写真とは似ても似つかない、小太りな姿で天月は引いた椅子の背を叩いた。

 パンパンと、音がする。

 秒針の音がハッキリ聞える。

 美紗紀は小さく息を飲んだ。

 相手がどれだけ様変わりしていても、写真の男には違いない。

 ゆっくりと足を前に出す。

 距離にして三歩分。

 そんな小さな距離が、美紗紀の神経に直接響いて来る。

 と、また笑い声が聞こえてきた。

 ほっほっと、軽く声を出しながら、天月が反対側へと歩を進める。

 そんな背中は丸く、美紗紀のすぐ背中にある写真の面影はまるで無い。

 ただ、どこか楽しげで、その零した様な笑い声が美紗紀の肩を少しだけ撫でた。

 引かれた椅子に歩み寄り、その背に手をついて天月を見てみれば、彼はその場で立ったままこちらを見ている。

 その顔には常に笑みがあった。

 作りモノとは思えない笑みが、だ。

 美紗紀は少し困った様に笑みを返すと、満足したのか頷き一つ、美紗紀が椅子に座るのを見届け、自分も向かいに腰を預ける。

 ふぅ、と一息。

 天月は窓の外を見た。

 少し落ち着き、美紗紀もそれにつられる。

 と、天月が遠くを見る様な目で言葉を零した。

「春だねぇ……」

 それは何気なく、ただ窓の外を見た印象を口にしただけの独り言だ。

 しかし美紗紀は頷く。

 春だ。と口には出さずに、桃色の季節を思い描く。

 瞼の裏側にこれから続いてゆく景色が焼き付いては消えた。

 それで終わりだ。

 今はまだ春先。

 夏になればまた違う印象が広がるだろう。

 それでいい。今は天月に向き合おう。

 と、天月が口を開いた。

「事務所の田端君がね。中に君がいると教えてくれたんだ」

 田端君とはあのおじさんの事だろうか。

 はぁ、と返事を返して姿勢を少しだけ整えた。

 対する天月は笑みをそのまま、両手をテーブルの上で組んだ。

「入学式の私の出番が思ったより早く終わったのでね。来てみたんだよ」

 それも美紗紀は生返事で返す。

(……それて、つまり抜け出して来たってことなんかな)

 しかし美紗紀の疑問など知らないと、天月は言葉を続けた。

「そしたら君が私の写真を熱心に見てたものでね」

 今、美紗紀の左手側にはショーケースが並んでいる。

 それを天月は細くなった目でゆっくりと見て、溜め息をついた。

 落胆や、そういったモノでは無く、ただ胸元を軽くする為の溜め息だ。

 それは静まり返った展示室の床に落ち、日照りに転がってゆく。

 僅かな時間をおいた後、静寂の中にハッキリと声が響いた。

「たしかに、私はあの時代を駆け抜けた……」

「え?」

 余りに唐突に、天月の記憶を垣間見る事に驚き、聞き返す。

「あの時代、私は無我夢中であのギターを弾き続けたよ」

 ショーケースの中で眠る赤いレスポール。

 弾き古したボディやネックは塗装が剥がれ落ち、中の素材がむき出しになっている。

 彼はあのギターに取り付かれた様に弾いていたと、美紗紀は雑誌で読んだ事があった。

 だが、最後は知らない。

 彼の、天月・乙時の最後の一曲は誰も知らないのだ。

「私は最後の最後であのギターを捨てたんだよ」

 懐かしむ様に頷き、天月は続ける。

「どうしてだと思うかな?」

 それは問い掛けだった。

 向かいに座る少女の目を見て天月はジッと動かない。

 それでも空気が鮮やかなのは単に、天月と言う人の人柄なのだろう。

 だから美紗紀は答を探した。

 彼が最後に演奏した小さなクラブハウスを思い浮かべ、その本当に最後の一曲を弾くまでを想像する。

 今日はアンコールは無い。と、呟き、ビール瓶を飲み干す。

 そしてこれが最後に歌う曲だ。と男は言った。

 今まで肩に掛けていた赤いレスポールからシールドを抜き、アンプリファーの電源を落とす。

 その間、ノイズに包まれた箱の中は静けさに満ちている。

 誰もこれが最後だと思わなかった。

 そして彼は一本のアコースティックギターを手にしたのだ。

 これはさっき外で拾ってきた。と言って上から一本ずつ鳴していく。

 不協和音の様に響く音をギターのヘッドにあるペグを回し整える。

 僅か数秒。

 男は小さく息を吐いた。

 そして最後の曲名を口にする。

 ここまでは雑誌で補った知識だ。

 しかしこの先を語るモノは何一つ無かった。

 知っているのは最後の一曲、そのタイトルだけだ。

「LOVE CITY PARADE……」

 呟いてみても何もわからない。

 しかし天月は驚いていた。

「よく知っているね」

 と置き、美紗紀じゃない遠くを見る。

「少しならレコード、あります」

 俯きぎみにあなたの歌声をしっていると言うと、またも天月は驚いた。

 そうか。と呟く声は半分嬉しそうでいて、もう半分はどこかに零れ落ちている。

「それも間違いではないんだ。でもあまり聴いてはいけないよ」

 美紗紀には何を言いたいのか理解出来なかった。

 なにが"間違い"じゃあないんやろ。と自分に問い掛けても答えは出ない。

「ふむ。話しが逸れてしまったね」

「あの、間違いって……」

 それでも残る疑問を天月にぶつけようとして、それより早く返される。

「君はきっと間違えないから知らなくてもいいんだ」

 天月はそう微笑んだ。

 その後、こんな事を口にする。

「君は"シキ"と言う存在を知っているかな?」

「"シキ"?」

 それは美紗紀にとって聞き覚えの無い名詞だった。

「ふむ。知らないかね」

 風が囁く音が窓越しに聞こえる。

 木々の葉が擦れる音はヒソヒソ話しの様だ。

 そんな自然の会話が止むのを待って、天月は言葉を繋げた。

「私はね。"シキ"にあったんだ。それも説教されたんだよ」

 さらに混乱する美紗紀を楽しそうに見つめて天月は言う。

「それであの時代にあの曲を……」

 と、そこで外が騒がしくなっている事に気付く。

 二人して席を立ち、窓の外に目をやれば、そこには入学式を後にした一年生達が歩いていた。

「ふむ。君の足を止めてしまったね。すまない」

「い、いいんです。気にしないで……」

 慌てて否定。

 外の活気に静かだった部屋の中も何やら騒がしくなった様に思う。

「ふむ。さて、もう行きなさい。私も早く去らなくては……」

(やっぱり抜け出して来たんやな……)

 展示室に入る光が白く床に浮かぶ。

 が、それも端から消えて行く。

 見れば、天月がカーテンを閉め始めていた。

 それに気付き、美紗紀も反対側へと急ぐ。

 同じ様にカーテンを閉じれば、部屋は暗く、カーテンを突き抜けた僅かな滲みだけがそこに残る。

 シキ。

 美紗紀はその存在を知らない。

 それが喉元に引っ掛かる様な錯覚を得て、天月を見る。

 左右からカーテンを閉めていき部屋の真中。

 そこで二人の視線がぶつかる。

「ほっほっ。良い娘だね」

「なっ」

 不意に、つつかれた様な声が出る。

 それは不意打ちだった。

 天月の細く、しかし長い指が美紗紀の髪を梳いたのだ。

 その手指を払い、天月を見上げる。

「な、なにすんね……なに、するんですか……」

 つい口が滑り、目上の存在だという事を忘れかけた。

 それを恥と、髪を梳かれた恥ずかしさに増して顔が赤くなる。

 それを俯きながら隠し一歩退く。

「ほっほ。いいんだよ。馴れた言葉を使いなさい」

 そう言われ、困る。

 時間が止まった様に静かになった。

 外の喧騒は既に遠く、ここまでは届かないらしい。

 なんだか急に居づらくなるのを覚えて、美紗紀は顔をあげた。

「う、私、帰りますっ」

 ぎこちない言葉と忙しない声で天月を見る。

 微笑む男に一度、頭を下げて足早にドアへと向かった。

 美紗紀は振り返らず、ガタガタとスライド式のドアを開けると、そのまま閉めるのも忘れ外へと飛び出していった。

 ふむ。とそれを見送り、天月は部屋の隅に目をやる。

 自分が今まで歌ってきた曲。

 その全てがある様で、ただ一つ足りないものがある。

「LOVE CITY PARADE……か」

 彼が最後に一度だけ、この世界に演奏した曲。

 その風景を思い出す。

 誰もいないクラブハウス。

 いや、居たはずのクラブハウス、か。

 瞼を下ろし、情景が甦ってくるのを待つ。

 と、その時、部屋に少女らしき声が響いた。

『後悔でもしておるのか?』

 それに驚きもせずに天月は否定する。

「いや。間違いなど有り得ないよ」

 瞼を閉じたまま、天月は部屋に意識を傾ける。

「間違いがあるとすれば、"間違った"という考えだろうね」

『何を言うか。儂の言葉を借りただけでは無いか』

 少女の声は少しひねた様に上がり、それから少しだけ笑った様な気がした。

「彼女も君を見るだろうね。それもすぐにだ。私にはわかるよ」

『ふむ。年寄の勘か?』

 部屋に天月の笑い声が響く。

 それから天月は薄く目を開け、視界に白い姿を見た。

「そうかもしれないね」

 と、その瞬間。

 白い姿は天月の前で揺れて消えた。

「学園長ーーーーーッ!!」

 声は開け放たれたドアの向こう。

 廊下の端からだ。

「あの娘、喋っちゃったのね」

 独り言を零し、天月は額に汗を浮かべ部屋の角を見渡した。

 その一角。

 そこで視線は止まり、体は向かって行く。

 しゃがみ込み、手を掛ければ床の一部が開いた。

「とんずらするかの」

 と言う声は少年の様な楽しさを帯びていた。

 部屋の隅に体を沈め、内側から床に蓋をする。

 それと入れ替わり、若い男の教師が入って来た。

 それなりに切られた髪に眼鏡。

 スーツが似合う男だ。

「居ないか……学園ちょぉぉぉッ!」

 男は部屋に天月が居ないのを確認すると、次の部屋へと向かっていった。

 部屋には放り出された騒がしさだけが残っていた。



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