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05☆桃色の朝には



 東京湾を埋め立てて作られた都市、第二東京区。

 その中心である第二東京市には既に高層ビルが幾つも建てられ、第二の都心として既に稼動している。

 本土とは三本の橋で繋がっており、その内の一つには電車が通る為の線路が設備されている。

 しかし、いまだ未開発の地区もあり、特に港側はまだ整地されていない土地も多い。

 今後の発展の可能性は未定。

 しかしそれも時間の問題だろう。

 直にここも人が多くなる筈だ。

 そんなコンクリート色の街に一つ、私立高校が立てられたのはいつの話だろうか。

 第二東京区が開通して間も無くだったか。

 第二東京市から環状を右回り隣りの駅。

 天月学園前。

 そこから降りれば目の前に広がるのは淡い桃色の桜並木だ。

 石畳の上で揺れるそれは真っ直ぐ、遠くに見える私立天月学園の校門まで続いている。

 今の季節だ。

 それは美しく、可愛らしい。

 散ってゆく桃色の花弁はカーテンの様に揺れ、過ぎ去ってゆく風に話しかけている。

 緑の風もまたそれに答え、地に落ちる前に連れさって行く。

 美沙紀は今、そんな陽の下にいた。

 長く突き抜ける並木道を横切る車道の隅には軽トラックが寄せられてある。

 エンジントラブルで動かなくなったカブは下ろされ、荷台にはあの段ボールの群しか無い。

 美沙紀はそこに背中を預け、もたれる形で肩を撫で下ろした。

 無事に東京までこれたのは自分の力じゃ無い。

 動かなくなったカブで進んだ距離なんて本当に少しだけだった。

 その後は菅野・大輔という男に助けられ、ここまで来た。

 短い間に長くいた気がするのはきっと色々な事が初めてだったからだろう。

 短くも一人で旅をしたし、見知らぬ人とここまで来た。

 見た自然もあったし感じた自然もあった。

 そんな道中、常に隣りには一人の男が居た。

 彼は今、ほんの少し寒い朝に缶コーヒーを買いに出た。

「これでいいかね?」

 と、片耳で菅野の声を聞き、まずは視線から、ゆっくりと振り向いた。

 そこにはいつもと変わらない菅野の姿がある。

 いつもと変わらない。

 出会ったのは昨日だというのにどうしてそう思ったのか。

 それは美沙紀にもわからない事だ。 

 ただ、菅野が差し出した缶コーヒーを受け取ると、手の中にその温さが伝わって来る。

 冷えた手は少しだけ驚いて、ゆっくりと包み込む。

 なんだかホッとして息を吐き出した。

 その美沙紀のすぐ横に菅野も並んでもたれる。

 同じ様に缶を手で包む。

 黒一色の缶はブラックだろう。

 こんなふざけていてもやはり大人だ。と、失礼な話だが思ってしまう。

 そんな菅野は美沙紀を見ずに、ただ見上げていた。

 並木道を一つ外れた場所は、緩いカーブを作る坂道になっていて、その先にある住宅地に揃って、学園専用寮も建てられているのだ。

 白く大きな建物。

 菅野の視線の先はそれだ。

 中はほぼ満員で、美沙紀が部屋を取れたのは運が良かったかららしい。

 学年で階が別れていて、今年は新入生が三階になる。

 そこに美沙紀も混ぜてもらう事になった。

 プルを外す音が二つ、静かな朝に響いてすぐに消える。

 この街は静かだ。

 まだこの街の喧騒を知らない。

 きっと昼には入学式に出席する新入生の声と足音が響くだろう。

 そうなれば自分の部屋から並木道を見下ろそうと美沙紀は考えた。

 学年は違えど気持ちは同じなんだろう。

 と、コーヒーを口に含んだ。

 温かい感触と苦い味、しかしそれでも少し甘く広がるモノがある。

 これは美沙紀の好む味に近かった。

 それに気付き、菅野の方を見上げる。

 自分より頭一つ以上高い位置にあるその顔は、学園寮では無く遠くを見ていた。

 その目はサングラスで見えないが、美沙紀は思った。

 この人は素敵なのかも知れない。

 と。

 自分が思ったよりずっと。

 もっと素敵なのかもしれない。

 と。

 たった一日の間で美沙紀は菅野を当たり前の様に思えたし、菅野もきっとそうなのだろう。

 まるで昔からの知り合いの様に。

 何故かはわからない。

 わからないモノなんだろう。

 と、美沙紀はまたコーヒーを口に含む。

 苦く、甘く。

 口の中に広がってゆく。

 あ。

 それでまた気付いた。

 これは全部、菅野が作り出した空気なんだ。

 菅野と言う人が織り成す空間に自分が吸い込まれたんだ。と。

 空は流れ、水色は濃さを増してゆく。

 東京。

 美沙紀は今、東京の朝を迎えている。

 それは、思ったよりもずっと。

 素敵だった。



「ありがとうございましたっ」

 坂の上、天月学園寮の玄関前で美沙紀は頭を下げた。

 勢いをつけて深く。

 きっちりと三秒で顔を上げる。

 それをしっかりと見届けて菅野は微笑んだ。

「いいよ。一日楽しませてもらったからね」

 大阪からここに来るまでの間、二人はずっと一つの車の中にいた。

 東京につく頃には色々と話もした。

 美沙紀がこうも簡単に心を開いたのは恐らく、菅野のおかげだろう。

 いや、美沙紀に限らず、菅野には人を寄せる何かがある気がした。

「帰ったら寝りな、おっちゃん」

 おっちゃんと呼ぶのには理由がある。

 菅野が『さん付け』を嫌がるからだ。

 かと言って呼捨てにするのも悪いなと思い、今に至る。

「おっちゃんは帰ったらする事がたくさんあってね」

 本人も何故かノリ気なので美沙紀もそれでいいと思った。

「うん。そうだ。これを渡しておこう」

 黒いスーツの内ポケット。

 そこに手を突っ込み、長方形の小ケースを取り出した。

 開けて見れば、ソレが名刺入れだと分かる。

 その中から一枚、美沙紀へと差し出し、また内ポケットになおした。

「自営業で店をしているんだがね。少し人が足りなくてね」

 一息。

「気が向いたら電話してほしいね。うん。ミサポン可愛いし」

 ミサポンは余計だ。

 そんな事を思いながらも、わかった。と返す。

 どの道バイトは探す訳だし、手間が省けた。と、そこで思い出した。

 軽トラックの荷台に積んであったあの服……。

 その因果関係を少し考えてみて、胸の内で答えを出す。

 ……電話、やめとこかな。

 怪しい匂いがプンプンする。

 そんな事は知らずに、眼前の男は嬉しそうに口を吊り上げた。

「うん。それじゃあ私は行くね?」

 美沙紀を見下ろし、サングラスを一度押し上げてから踵を返す。

 坂の上に止めた軽トラックのドアを開けて、乗り込んだ。

 慣れた手つきでエンジンを回して、それから手動の窓を開ける。

 白い正面玄関前に黄色いカブとハードケースを下げた少女を見てから、坂から見える第二東京区の街を一瞥。

 菅野の店はそのどこかにある。

 小さな店だから見える筈は無いのだが、菅野はその辺りを見てからまた、美沙紀に振り返った。

 清々しい。

 そんな表情だろうか。

 サングラス越しに美沙紀の目を見る。

 それから菅野は、ただ思う言葉を口にした。

「いつか聴きたいモノだね。」

「え?」

 独り言の様に零された言葉を拾おうと美沙紀は一本踏み出すが、それ以上は行かない。

 行けないのか。

 菅野だけがその外にいる。

「さて。君はまだそこから出てはいけないよ」

 見れば踏み出した片足だけが白い門の外に出ていた。

「先ずは部屋に行ってから、鍵を挿してから、それから始まるんだからね」

 遠くを見る様に、遠くに置いたままの自分に言う様に菅野は言った。

「うん。それではね」

 あ。

 と言うまでもなく菅野の軽トラックは坂を下りて行く。

 手を伸ばした先、坂を下りて並木道を横切ってゆく。

 菅野を乗せた軽トラックは、桃色に流れる風を背に、街へと消えて行った。

 だから美沙紀はすぐそばのカブに手を伸ばす。

 押せばその重さがわかる。

 それを少し重たいと思いながら、自転車、バイク置き場へと向った。

 その背中にも朝の風はゆっくりと吹き、桜の花びらを舞い上げた。





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