03☆昼下がりの甘い色
☆
「ふむ。そういえば名前を聞き忘れてたね」
騒がしい中に男の声が聞こえる。
それは日向・美沙紀に向けられた声だ。
幾つも並んだテーブルの席はどれも人で埋まっている。
そこに座る誰もが手にハンバーガーを持っていたり、口にフライドポテトを咥えていたりしている。
それは美沙紀も同様だ。
ここはファーストフード店の二階、窓際の席。
丁度、昼時で客が多く、空席は無い。
この場所が取れたのは単に運が良かったと言うだけだろう。
美沙紀はそう言えば自己紹介をし忘れているな。と納得。
口の中のモノを飲み込み、ドリンクで喉の調子を整えて、いざ口を開く。
と。
「待った」
男が美沙紀の顔の前にパーにした掌を見せる。
何だろうか。
様子を見る。
「ちょっと前にも言ったが、是非とも関西弁、できれば大阪南部バージョンでお願いしたいね」
ここに来るまでもそうだが、この男は何処かおかしい。
運転中だと言うのに凝視してきたり。
急に機嫌を損ねたり、テンションが上がったり。
ここに着いた時は抱き付こうとしてきた。
その証拠に美沙紀が浴びせた顔面ストンプの跡は今も若干残ってる。
いや、親切にしてもらってるんだから罪悪感はあるが、正当防衛だし、と言い聞かせ、口元を手で隠し咳払いを一つ。
「うちは日向・美沙紀。そっちはどうなん?」
ひどく簡潔な自己紹介だ。
男に言われたせいか、少し固くなってしまったのもある。
が、こんなものじゃ無いだろうかと意識はしない。
対して男は、手にしたビックバーガー(特盛り)を頬張り。
「ばたしのぼぼはいいぼばよ(私の事はいいのだよ)」
と、口の中のモノを噛みながら喋る。
紳士的な外見と喋り方などとっくに意味は無いが、これは単に行儀が悪い。
だから少し眉を寄せ、嫌な顔をする。
と、男は喉を詰まらせたのか、胸を叩き出した。
美沙紀は馬鹿だと一人ごちながら男の手にドリンクを持たせた。
それを一気に飲み干し、大きく息を吐き出す。
荒い息はそれでもこの場の喧騒に掻き消される。
男は深呼吸を終わらせた後、何ごとも無かったかの様に平然と言葉を付け足した。
「ふむ。強いて言うなら"お兄ちゃん"とか"おにいたん"とか……グファッ!」
最後の奇声は、テーブルの下、自称"お兄ちゃん"とか"おにいたん"の左足爪先に美沙紀の踵落としがヒットしたというシグナルだろう。
なんだかんんだで、この男の性格は馴れ安い。
ちょっとした旅にお供させて貰うには幸いだろう。
この 4、5時間で何となく扱いがわかった気がする。
「で?」
「う、うん。そうだね」
間を一つ。
恐らく右足で左足を撫でたのだろう。それから。
「私は菅野・大輔と言うのだよ」
若干顔が青い。
そんなに痛いのか。
と、他人事みたく同情した後、美沙紀は「ん」と頷き。
「菅野さん。どうもありがとう」
テーブルの上で頭を下げた。
対して菅野はと言うと、急な礼に驚いたのか、足下から視線を上げる。
勢い良く二度見。
「二度見はいらん」
「うん。ナイスツッコミ!……はッ」
何を想像したのか、テーブルの下で菅野の足が引っ込んだ様な気がした。
それは当然だが無視。
「目的地が同じとは言え、わざわざ相席貸してもらってんやから、礼くらい言わんと」
ここについた時、礼にと思い、食事代は美沙紀が奢る。と言ったのだが、見事な紳士振りに窘められてしまった。
だからこのハンバーガーのセットもご馳走になってると言う訳だ。
紳士とハンバーガーはどうも結び付かないが……。
「なるほど、うん。いいとも」
と、これは前置き。
「"美沙紀にゃん"みたいなおにゃのこと一時を共に出来るのなら一向に構わないさ」
うん。もう流してやろう。 全て、無視してやろう。
と、美沙紀は残りのハンバーガーを一口で飲み込み、ドリンクを飲み干す。
「ご馳走さまでした」
☆
どれほど時間がたったろうか、美沙紀は今、走るトラックの荷台にいる。
菅野と二人で密室空間にいるのは危険だと判断したからだ。
なんだか知らないが、菅野のペースに巻き込まれる恐れがある。
それはなんとしても避けたい。
だから、手の届かぬ荷台に居るのだ。
と言っても荷台は居心地が良い訳では無い。
美沙紀の回りには幾つも段ボール箱が置かれていて、動ける場所は限られてるし、おまけに自分の単車まで積んであるんだ。
当然の様に狭い。
そんな中、運転席側にもたれる様にして座る美沙紀がいる。
美沙紀は今、段ボール箱の中身が気になって仕方が無かった。
しかし段ボール箱はしっかりと包装されているので、開ける訳にはいかない。
と、他の段ボール箱にも目を配る。
手前から奥へと、自分の単車の前まで見終えた時、一つ気付いたモノがあった。
箱が一つだけ開いていたのだ。
恐らくは中身の確認の為に開けたのだろう。
美沙紀は這う様にして近付き、ゆっくりと中を覗き込んで見た。
「な……!?」
思わず声が漏れてしまった。
そこに入っていたのは全て、女物の服だったのだ。
それもメイド服やらナース服やらと言った趣味色の濃い物ばかり。
もしここにある箱全てがこれなら……。
やっぱり荷台に来た判断は正しかったか。と美沙紀は思う。
いったい何に使うんだろうか。
いや、何に使おうが知らないが。
と、なにやら一人ごちてみる。
そして最終的に出た結論は、忘れよう。
だった。
「ふぅ」
再び運転席側にもたれ込むと、何の気なしに溜め息が零れる。
その後に、それにしても心地が良いな。と付け加えて空を見上げた。
昼下がりの空は青く、白い雲が波の様に流れている。
太陽の光は手の温もりの様に包容力があって、美沙紀は今それに抱かれているのだろうと思う。
しかし心地良いのはそれだけでは無い。
視界を広げれば、空を囲むように緑が縁取っている。
それは高々と成長した木々の頂点で、太陽光を反射し照していた。
緑の色が眩しい。
軽トラックは今、細い山道を走っていて、辺りを見れば、古くからある深い緑や、春の新芽か浅い緑が道を挟んで見える。
そのなんとも言えない涼しさは気品を感じる程神秘的で、見る者の目を落ち着かせる。
他にこの道を通る影が無い為か、主観的に独り占めした様な感覚を美沙紀は得て、すぅ、と瞼を下ろし深呼吸をとった。
といっても準備体操みたく手を広げる訳でも無く、単に肺に空気を送り込むだけの動作。
しかしそれがまた良い。
車なんかでは無く、足で地面に立っていたら尚の事だろう。
春の甘い風に吹かれ、揺れた葉がくすぐったそうに微笑みかけてくる。
こちらの存在を疑う事も無く、体の回りを泳いでゆく。
素敵だな。と、つい零れた。
目を開ければまた、陽が抱き締めてくれる。
風は囁きをくれる。
美沙紀は何も言わずに荷台の上を四つん這いで歩き出した。
少し先には長方形のハードケースがあり、鍵を外して中を覗けば愛用のベースがある。
滑らかな曲線と一風変わった線を持つクリーム色のベースはリッケンバッカーと言って、型は古い。
しかしこのベースは、その落ち着いた風貌から円やかな音を聴かせてくれる。
そのリッケンバッカーを手に取り、胸元に寄せた。
ベースは重い。
しかし、そんな事などはどうでも良いと抱き締める。
堅い感触がするのは当たり前だが、何故か温かい気がした。
「うん」
美沙紀はそう呟くと、長く伸びたネックの裏に唇を寄せ、「っ」とキスをする。
それは極自然な動きだった。
いつもの様に。と言った感じか、ベースを膝の上に起き、弦に指を絡める。
左手はそっと指盤を滑り、音を定めてゆく。
鳴る音は喩えれば、柔や和と言った軟らかいモノだった。
美沙紀は自然と口元に笑みを貯える。
流れ出した音は風に乗り、この空間に響いているだろうか。
その場のインスピレーションから生まれた一つの流れは恐らく、この場でしか生まれない、今だからこそ奏でられたモノなのだろう。
そんな姿を空は眺め、緑は聴いていた。
邪魔をしない様に息を潜めて……。