アラウンド・ザ・サン
後篇です。
■アラウンド・ザ・サン-4
「(飯塚高志氏について)飯塚?ああ、ボッキーね。」
(飯塚高志の同級生 榎本哲也)
小倉の飯場に飯塚高志の岐阜陽山高校における同級生、榎本哲也はいた。榎本を居酒屋に誘い、手始めにビールとポテトフライを注文する。こうした場末の居酒屋において、ポテトフライは最も安心できる我らの友だ。我らの友を前に榎本は饒舌に語り始めた。岐阜陽山高校での生活を。岐阜地区もまた、地方都市のご多分にもれず私立高校よりも公立高校の方がレベルが高く、そして進学校とその他の底辺校との区別が明確になされていた。進学校と底辺校のまさに境界線上にある陽山高校。様々な人種の交差点。陽山学校において榎本と飯塚とは一番仲の良い友人だったというのが周りの人々の評価であった。だが、榎本の口から語られた飯塚高志の姿はそうした高校生同士の友情とは程遠い関係であった。エロゲーオタクで、アニメオタクで、軍事オタク。オタク三重苦。飯塚高志と榎本哲也の関係は、まさにいじめっ子とそれから離れる事ができないいじめられっ子とのそれであった。極めつけは学校の授業中に不始末のおかげでついた極めて不名誉なあだ名。世の中にこれほどシンプルに人間の尊厳を傷つける言葉もないだろう。この調子で飯塚高志と榎本哲也は3年間「友情」を育む事になる。卒業後、榎本哲也は土木作業員に、飯塚高志は大学に入学するため上京。以来二人は一度も会っていない。
だが、飯塚高志の現在とは似ても似つかない姿はいつ、変質するのだろうか。その「時点」は一体、どこにあるのだろうか。
■ジャーニー・トゥ・フリーダム-5
私はイイヅカを辞め、自分の会社を作る事にした。会社の名前は「ソーシャルマジシャン」。まるでマジックのように、ソーシャルメディアを誰でも使いこなせるようにしたい、という願いを込めた社名だ。この会社は私の理想への第一歩である。この会社を足がかりに私は岐阜でWeb2.0革命を起こすつもりだ。まずはうちの会社の1階を借りて「つぶやきハウスぎふ」と名付けた交流スペースを作る事にした。これは、坂田精二にすら言っていない事だが、この「つぶやきハウスぎふ」のセミナーやiPhoneの販売事業は実は最悪赤字でも構わないのだ。ごく簡単にいえば、私は「つぶやいたー」を使ったソーシャルメディアをJC(日本青年会議所)やロータリークラブに代わる存在にしたいのだ。これらの組織がいまだに痩せても枯れても一応はそこそこの力を持っている理由は、そこに色々な人間が集まり、商談の場になりうるからだ。そうした場所で人間関係さえ築ければそれがどれだけ劣悪な商品だろうと関係なく売れるわけだ。そうした人間関係の網の目を「つぶやきハウスぎふ」を軸にソーシャルメディア上に再編する事。それができれば収益なんてことは何とでもなる。
「つぶやきハウスぎふ」を手伝ってくれるのが八巻カリナ。彼女は東京出身で京都のゲーム会社に勤務。そこが倒産したため、うちで「つぶやいたー」のインストラクターとして働いてもらう事にした。彼女と知り合ったのも「つぶやいたー」上だ。
「八巻さん、よろしく。」
「飯塚社長、こちらこそよろしくお願いいたします。「つぶやいたー」を世界に広めようとする社長の思い、わたし、素晴らしいと思います。きっとお客さんがたくさんきてみんなが「つぶやいたー」を有効活用してくれますよ。」
「ありがとう。でも、それも八巻さんの頑張り次第だから。よろしく頼むよ。」
潤んだ瞳で私を見つめる八巻カリナ。私を信じてついてきてくれる彼女のためにも、この事業は絶対成功させるべきだ。
■アラウンド・ザ・サン-5
「(飯塚高志氏について)飯塚君?同期の中では異質でしたよ。なんせ「ご販売店」ですからね。我々の同期であって同期でないというか。ただ、当時から彼はネットについては同期の中で誰よりも詳しかったですよ。あ、そういえば一度研修か何かで、なぜうちの会社はネットを活用しないかって言ってた事がありましたね。本気かって私は思いましたけど」
(リケンジャパン株式会社 海外事業本部 海外事業企画室 関根順三)
飯塚高志は高校卒業後、城東大学経済学部に入学する。城東大学という可もなく不可もない大学で、飯塚高志は全く目立つところのない、多少、趣味がオタクなだけのどこにでもいる生徒であった。
大学卒業後、大手OA機器メーカーであるリケン社に入社する。入社には、彼を跡継ぎにしたい社長・飯塚健太氏の意向があったという。城東大学の同級生に話をすると、高志は当時、マスコミ業界への就職を希望していたという。だが、大学3年の冬、里帰りから帰って来た彼の志望業種はマスコミからOA業界になっていた。時あたかもWeb2.0の勃興期である。Web2.0!ネットでこの単語を改めて見つけた時、私は何とも言えない嫌な気分になった。なぜならWeb2.0という単語は、それが指し示すテクノロジーの是非以前に、そこに群がる人々の醜悪な姿を想起せざるを得ない単語であるからだ。Web2.0ほどインターネットやコンピューター産業のもつ本質的に自己啓発的、ニューエイジ的なニュアンスを明確にした言葉も珍しい。世の中の多くの人々がWeb2.0という錦の御旗のもとに集い、セミナーや起業、ベンチャー、ライター、ブロガーと終わりなき日常の終わりなきお祭り騒ぎ、それがWeb2.0であった。入社後、子会社に出向する高志。ここでの成績は可もなく不可もなく何の特徴もない営業マンであった。2年の出向の後、彼は本社に戻るだが、1年もしないうちにリケン社自体の営業体制変更により、子会社を含めた営業部門全てがリケンに統合。結局5年間、をリケンジャパンで過ごす事になる。そして退職。高志はイイヅカに戻る事になる。その頃を境に彼のネットへの傾倒ぶりは際立つ事になる。同時期に彼は体を鍛え、様々なセミナーに出没するようになる。
■ジャーニー・トゥ・フリーダム-6
「ねぇ、飯塚君。あたし、電車なくなっちゃった。」
深夜の渋谷。街には煌々と灯りがついているが、山岸美帆の言う通り、京王線の終電はつい5分前に渋谷駅を出発した。だが、居酒屋「あかね」で山岸美帆は私によりかかってきている。山岸美帆は会社の事務員だった。歳は私より2つ上だが、その顔立ちにはいまだ幼さが残る。茶色がかった髪の毛にはウェーブがかかり、真っ白なワンピースとともに彼女の魅力を際立たせている。
後に飯塚美帆になる彼女は夫の目から見ても、周囲の営業の中でも人気の女性社員だった。だが、不思議な事に新入社員の私に積極的にアプローチしてきたのは彼女の方だった。今日も会社帰りに食事でもしようと言いだしたのは彼女。「あかね」ではすでにグラスを何杯も空にしている。こんな雰囲気の場所にきたのも始めてなら、女性とこうして1対1で酒を飲むのも始めてだった。
「どこか、別の場所に行こうか?」
私は山岸美帆の言われるがままついていく事しかできなかった。
今でも、新入社員のあの日の事は思い出す。自分の人生にとって最も晴れやかな日。今まで父親に言われるがまま人生における全ての選択をしてきた人間が、始めて自分の力で何かを勝ち取った日。
もちろん、そのために私は犠牲を払った。美帆に苦労をさせないためにもイイヅカに戻り、社長を立て、仕事をしてきた。だが、今にして思う。あの日の事は、山岸美帆にとっては人生を決定づけ、勝ち取った日ではあるが、私にとってはそうではなかったのだ。私にとって本当に必要だったのは山岸美帆ではなく、Web2.0の理想だったのだ。
だが、それも今日で終わる。ソーシャルマジシャン社設立の日は、私にとって人生で最も晴れやかな日になったのだ。今度こそ、誰の力も借りず、自らの力だけで人生を切り開いたのだ。初日は、前職の顧客を中心に10人ほどが来てくれた。なかなかの滑り出しだ。様々な人々からの花束が並ぶ中、父はついに姿を現してはくれなかった。
■アラウンド・ザ・サン-6
「(飯塚高志氏について)元専務ですか・・・正直言って重いというか、めんどくさいというか。仕事熱心なのはいいと思うんですよ。ただ、それを我々に押し付けてほしくないというか。取引先の皆さんも戸惑っているみたいですし」
(株式会社イイヅカ 市田勇二)
イイヅカでの高志は多少押しつけがましいところがあるものの仕事ぶり自体は可もなく不可もないものだった。岐阜に戻って1年で今回の依頼人である飯塚美帆と結婚、翌年からは専務取締役として会社の実務を取り仕切る事になる。だが、この頃から社長である父親との間は必ずしもうまくいっていないようであった。これまで通りOA機器販売業として営業していけばよいという考えの父親と、自分が信じるインターネット、もっと言えばWeb2.0的な価値観を前面に押し出した仕事がしたい高志。こう考えられればいい。だが、事態は逆なのではないだろうか。つまり、飯塚高志が父親に反抗するために選ばれたロジックがWeb2.0であったのではないだろうか。私がこう考えるに至った理由は、これまでの調査で、高志の人となりはなんとなくわかってきたが、彼がなぜ不倫に走ったのかが全くよくわからなかったのだ。彼のこれまでの人生を追ってみると、一つの疑問にぶち当たる。飯塚高志を本当に理解した人間はいたのだろうか。会社経営者、営業マン、夫、息子、オタク、彼と関わった人間によってその実像は違う。だが、飯塚高志自身は一体どうしたいのだろうか。自分自身の意志の不在。そんな彼が唯一主体的に選んだものがWeb2.0であった。そして、彼にとっての唯一の理解者が不倫相手だとしたら。
私は飯塚高志を尾行する事にした。
■ジャーニー・トゥ・フリーダム-7
年が明けて「つぶやきハウスぎふ」は芳しくない。開業から数カ月がたち、最初は物珍しさから参加していた人々も久しく寄り付かない。これは既得権側の陰謀だろうか。両親は冷ややかだし、美帆も一緒になってイイヅカに戻れと言ってくる。美帆は俺の理想よりも、俺がもたらす金が必要なのだ。薄々それは知っていた、だが、八巻カリナだけは、そんな苦しい経営状況を理解し、私を励ましてくれている。そうだ、これは日本のインターネットを変える気高い事業なのだ。いつも寄り添って私を励ましてくれる八巻カリナ。
冬の日、誰もいないセミナールーム。
今日は本当は「つぶやいたー」活用セミナーが開催されるはずだった。だが参加者は皆無。私と八巻カリナは所在なさげにセミナールームにいた。
「新規事業なんて上手くいかないもんだね」
「いえ、社長。この事業は絶対に上手くいくと思います。「つぶやいた―」はきっと世界を変えるツールなんですから」
いつもと変わらず潤んだ瞳で私を見つめるカリナ。気がつくと、私はカリナを犯していた。カリナは嫌がるでもなく、私の体を求めるでもなく、ただ、私を受け入れてくれたのだ。私には八巻カリナしかいない。
八巻カリナとの東京出張。ひとしきり「つぶやいた―」活用のセミナーに出席し終わった後、東京時代からひいきにしている渋谷の「あかね」という居酒屋に入った。生ビールと刺身、この店の名物、だし巻き玉子を注文する。絶妙の火加減で半熟の玉子と中の明太子に絡む。シンプルだがこの店にしかできない仕事。この味は東京に住んでいた頃から変わっていない。ひとしきり呑んだ後、カウンター席に目を移すとカウンターには数人の若者の姿がいた。彼らの話を聴いていると、どうやら「つぶやいたー」の事を話しているらしい。私にもああやってネットの未来について語り合う仲間がほしかった。だが、私には八巻カリナがいる。
■アラウンド・ザ・サン-7
「・・・以上が私の調査報告です。」
沈黙。
飯塚美帆(とまだ呼んでもいいだろう)は瞳に涙をためている。
「こちらが写真です。高志さんがホテルに入るところや、渋谷の居酒屋で食事をしているところなどが写っています。不倫の証拠としては十分でしょう」
「噂通り、富樫さんは優秀な探偵だわ。ありがとう。」
ここまで心のこもっていない「ありがとう」を聞いたのも久しぶりだ。自分が依頼しておいてその言い草はなんだ、とは思わない。それも探偵の役割なのだから。
「報酬は上乗せしておくわ。」
去っていく飯塚美帆の姿はどこか悲しげだった。
「洋子君、コーヒーを沸かしてくれないか。」
■ジャーニー・トゥ・フリーダム-8
ソーシャルマジシャン社はいよいよ資金繰りに行き詰った。交流スペースを軸にソーシャルな関係を築く。その是非以前に、交流スペースに人が集まらなければ話にならない。岐阜においてソーシャルメディアに目をつけるぐらい目ざとい人間を囲い込んで、その人間関係を現金化するという私のもくろみは、その前段階で崩れ去った。
そしてもう一つの問題。美帆との仲は修復不可能だった。探偵を使って私の不倫の証拠を集めたという美帆。ありとあらゆる証拠を前に、私は多額の慰謝料と彼女との離婚を認めざるを得なかった。そして、八巻カリナとの仲がわかった時点でソーシャルマジシャン社はもうおしまいだった。八巻カリナと一緒になろうにも、肝心の生活の糧がないのだから。私には元の会社に戻るしか選択肢がなかった。OA機器販売業という「日常」への回帰。それは、八巻カリナとの別れを意味する。
八巻カリナとの最後の食事。「あかね」には及ばないが、そこそこいい雰囲気の居酒屋である。だが、あまりにも重苦しい食事。隣の席からはカップルとおぼしき男女の話声が聞こえる。胸に「FAC51」と印刷されたTシャツの上にジャケットを着た男がいう。
「そういや、「つぶやいた―」使ってるんですよね。上村さんとか俺知り合いだよ。」
ITジャーナリストの上村純氏の名前を上げる男。
「えーそうなんだ。すごーい。あの人、なんで色んな人に怒られるのかわかんないよね。そういえば、岐阜になんか「つぶやいたー」の交流スペースとかあるらしいね。」
ピンク色のTommy Hilfigerのコートを着た女がそれに応える。
「ああ、そうそう。何かそのアカウントから会社で使ってる俺のアカウントと個人のアカウント、両方にフォロー申請来たよ。何かああいうのって怪しくない?」
「そうだよね。まぁ普通参加しねぇよっていうか、東京の友達に聞くよっていうか。あ、すいませーん!生ください」
私の部屋の本棚の一番取りやすい場所にはナポレオン・ヒルと本田健がある。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。この作品がいくらかでも読者のかたの記憶に残れば幸いです。また何か感想とうあれば是非書き込んでいいただけるととてもうれしいです。