ジャーニー・トゥ・フリーダム
ミニコミ『bnkr』に掲載した作品。2010年ごろの作品前後篇の前編です。
■ジャーニー・トゥ・フリーダム-1
岐阜の夏は蒸し暑い。
岐阜。という土地は不思議な土地である。古来から物流の要衝として栄え、織田信長、豊臣秀吉という誰もが知っている歴史上の有名人はこの地ゆかりの武将である。この土地に住む人達はみな、それを誇りにしている。だが、織田信長にしろ、豊臣秀吉にしろ、元々は尾張の国の生まれである。つまり名古屋(愛知)出身なのだ。名古屋の人間を連れてきて「ぼくらのまちのぶしょう」というのは勝手だが、かなりカッコ悪い。だが、現在の岐阜は名古屋の衛星都市でもある。名古屋で生活し、岐阜に「寝に帰る」という人間も多い。その意味で、岐阜と名古屋を同じ文化圏だとくくることもできるだろう。だが、岐阜の人間は保守的である。名古屋が古くから革新勢力の牙城とされてきたのに対して岐阜は保守王国である。岐阜の人間は「お上」のやる事にあまり疑問を持たない。そして、保守的な人間の常として、非常に権威主義的である。
もう少し視野を広げてみれば、東京の人々からしてみれば岐阜、なんてところは存在しないに等しい。東京の人からしたら岐阜には琵琶湖があり(滋賀か)、砂丘があり(鳥取か)、そばがうまい(長野か)場所である。それなのに岐阜に住む人々は「わたしたちのぎふ」と自らの事を誇っている。私はそんな土地から、世界を変えようとしている。まぁ、任天堂は京都だし、パンクはイギリス発。世界を征服したモンゴル帝国はモンゴルの草原から始まった。つまりは、起業するのに場所は関係ない、という事だ。
■アラウンド・ザ・サン-1
東京の冬は寒い。
「飯塚美帆さん、今日はわざわざ岐阜からお越しいただいたんですね」
「永田・・・永田美貴から紹介で。彼女、私の大学時代の友達なんです。彼女は今、東京に住んでいるんですが「つぶやいたー」で相談したらここを紹介してくれて。」
永田美貴。以前、ある事件で彼女と関わった事がある。彼女の紹介だったか。
飯塚美帆から突然電話があった時には驚いた。この富樫三郎探偵事務所にはホームページすらない。探偵事務所という職種は今や百花繚乱の過当競争で、どの事務所も告知合戦の真っ最中だ。中には不倫工作や別れさせ屋などと呼ばれる悪質な業者もいるらしい。ホームページで告知もしていない探偵事務所というのは珍しい。そのなわが探偵事務所に岐阜から突然、依頼に押し掛けた彼女の依頼内容は夫の浮気調査だという。彼女は夫である飯塚高志の不倫を疑って、というより確信しており、そのための証拠集めを依頼したいとのことだった。依頼人が帰った後、それにしても寒い、と思っていると、それを察したかのように助手の山下洋子が熱いコーヒーをもって来た。
「先生、さっきの依頼人、どうされるつもりですか?」
「うーん、やはり気が乗らないな。洋子君、どう思う?」
「先生。」
洋子君が手渡してくれたのは請求書の束だった。無言で微笑む洋子君。
「洋子君、しばらくの間岐阜に行ってくるよ。カギは渡しておくから。事務所を開けるのは洋子君が来れるときだけでいいよ。」
「はい、先生。行っていらっしゃる間に前回の依頼の書類、片付けておきますから」
「ありがとう、洋子君。富樫探偵事務所は君がいないと3日ともたないだろうな。」
「先生、お世辞でも嬉しいですね。岐阜には鮎菓子っていう鮎の形をした名物があるそうですね。鮎の形をしたカステラで求肥をつつんだものなんだとか」
「じゃあ、行ってくるよ。」
今回のお土産は鮎菓子か。ボストンバックひとつで東京駅に向かう。向かう途中、スマートフォンを開き、新幹線のチケットと岐阜市内のホテルを予約する。以前、といってもほんの数年前だが、以前に比べるとこうした作業はとても便利になった。いつからか、出張先のホテルの予約は洋子君の仕事ではなく、私の仕事になった。
■ジャーニー・トゥ・フリーダム-2
死んだ目をした岐東市役所の担当者。
「そういえば、最近「つぶやいたー」とかいうのが流行っているらしいね。今度うちでもやってみようか。」
彼は本当にネットの素晴らしさがわかるのだろうか。
「弊社でも、つぶやいたーのアカウントを運用しております。日々、変化するIT情報や弊社の更新情報をツイートして、フォロワー数は1万を超えております。先日は池田信夫氏にメンションをもらったんですよ。よろしければ、今度つぶやいたー活用のコンサルティングをさせていただきましょうか。」
一瞬、妙な顔をした後、黙ってうつむいて私の言葉を聴く担当者。同席するウチの会社の人間は苦い顔をしている。彼らにインターネットの素晴らしさなんてものがわかるわけがない。
帰社後、社長に呼び出された。いつもの説教だ。
「今日も客先でパソコン(うちの社長はネットもワードも、エクセルも全てごちゃまぜでパソコンと呼ぶ。)の事をぐちゃぐちゃ言ってたらしいな。うちはコピー機屋なんだから、パソコンの事なんてどうでもいいだろう。高志、お前もいい年なんだ。そろそろ腰を据えて仕事してくれよ。美帆さんも悲しむぞ。」うちの社長はいつもこうだ。Web2.0が今後の我々の生活にどれだけのインパクトを与える事になるのか、この人はわかっていない。我々のような中小企業こそ、IT経営に取り組むべきなのに。そこで自分たちのビジネス領域のみに汲々としている人こそが今後の社会にとって不要な人材である事をこの人はわかっているのだろうか。
■アラウンド・ザ・サン-2
「(飯塚高志氏について)ああ、イイヅカの若社長ですよね。先代から数えるともう長い間の付き合いになりますがね、我々からするとちょっと押しつけがましいというか・・・いえ、確かに商品知識もあるし、有能だとは思いますよ。ただ、ねぇ・・・今起業されてるんでしたっけ。私はよくわからないですがインターネットで何かやられているとかで。」(岐東市役所 設備調達課 松浦健吾)
今回の対象は、岐阜のOA機器販売会社・イイヅカの元専務である飯塚高志である。依頼人は高志の妻・美帆。
OA=オフィス・オートメーション。紙や手作業でやりとりしていた事務作業をコンピューター技術を利用して電子化する事、つまり、PCやOA機器(FAXやコピー、プリンター)を利用して業務を効率化する事全般を指す。今や、あまり使われなくなった言葉であるが、FAXやコピー機を使わない社会、というものを一度想像してみればいい。世界初の電子写真技術を使った普通紙複写機は1959年、チェスター・カールソンによって発明され、ハロイド・ゼロックス社(のちのゼロックス社)によって実用化された。現在でもアメリカでは現在に至るまで、「XEROX」とはコピー機そのものを指す名詞として使われている。また、OAはその過程で様々な発明を生んだ。レーザープリンター、グラフィカルユーザインターフェース、液晶ディスプレイ、光ディスク・・・etcといった我々の社会を変える発明がいくつもゼロックスパロアウト研究センターで開発された。
これらは、陽の当たる場所における発明である。日本におけるOAの進展の黎明期の2大発明はリースシステムによって分割購入を可能にしたことと、保守料金という名のランニングビジネスの確立であった。この2大発明はおそらく陽が当たる事はないだろう。だが、この発明は販売を担った様々な企業、とりわけずっと以前から官公庁や大企業に出入りする企業にとって少なくない利益を生み出した。老舗企業の若手取締役の調査。だが、私の仕事は依頼人の望む真実を作る事ではなく、真実をありのままに伝える事だ。たとえそれがどんなに不都合なものであっても。イイヅカの取引先、岐東市の担当者は銀行の調査役だと名乗るとペラペラと色々話してくれた。言葉の端々から高志への評価がにじみ出る。だが、これだけで、飯塚高志という人間に評価を下す事は愚かな行為だ。今必要な事は多角的に、あらゆる角度から光を当てる事だ。
■ジャーニー・トゥ・フリーダム-3
2010年。インターネット網が日本中隅々まで張り巡らされつつも、SF的世界が現実に到来するには程遠い時代。膨らみ続ける赤字国債に混乱する政治、少子高齢化と既得権を手放さない老人たち。難問山積みの「日本」は外国から緩やかに死を迎えつつある大国と認識されていた。だが、ここで「日本」はこの国のお家芸とも呼べる逆境での恐るべき底力を発揮する。その変化はある特定の「時点」ではなく、特定の「時期」における変化であった。あとから振り返ればそれは「あり得ないほどの大変化」だが、そこに住んでいる人間にとってはそれが認識できないほどの変化。2010年はそんな「時期」の1「時点」。
「つぶやいたー」は140字程度の「つぶやき」をネット上にアップロードするだけのサービスである。今、この「時点」においてその事の意味を正しく理解している人間は少ない。だから、ほとんどの企業アカウントはこの「つぶやいたー」を有効活用できていないし、「つぶやいたーって何が面白いの」という人も多い。「つぶやいたー」というインフラによって始めて我々の「リアル」は本格的に「ネット」にアップロードされるようになったのだ。リアルとネットの融合。そのきざはしに我々はいるのだ。
この巨大な変化に取り残されまいと努力するのは当たり前ではないか。この140字のつぶやきは単純だが、それゆえにビジネスへの可能性を秘めている、そう私は信じている。だが、うちの会社にいる人々はそうは考えていないようだ。OA機器、コピー機は空気のようなものだ。それは、つまりどうでもいいということだ。どうでもいいものをどうてもいいと言える人間は幸せだ。だが、そのどうでもいいものを売らなければいけない、それを一生の仕事にしなければならないという呪縛。それをわかっている人間はあまりいない。私には理解できない、生活のため、といってどうでもいい仕事をしている人間を。どうでもいい、という事は別にその仕事がなくなっても構わないという事ではないか。
■アラウンド・ザ・サン-3
「(飯塚高志氏について)彼、凄いですよ。ソーシャルメディアのなんたるかを実によく理解している。営業マンとしても一流だし、正直、末恐ろしいですね。(彼の会社について)うーん、起業当初から事業計画が多少甘いとは思いますがね、でも彼ほどの男ですから、これもいい糧として活躍してくれるんじゃないんでしょうか」(株式会社ヒューマンキャピタル 専務取締役 坂田精二)
飯塚高志を称賛する人間は多い。岐阜の人材派遣会社に勤める坂田精二もそうした人々の一人だ。だが、そうした人々はことごとく私にとって極めて不愉快なタイプの人間だという事実。これを私はどう説明すればいいんだろうか。私は試しに坂田にナポレオン・ヒルを読んだ事があるか聞いた。彼によると、ヒルは彼にとっての父であり、兄であり、師匠であるという。高校卒業後、行くあてもなく自分探しの旅を続ける彼は、ある日書店で『思考は現実化する』を手に取り、天啓に打たれたのだという。ヒルとの出会いを語る彼の瞳はどこか潤んでいた。だが、その姿は私にとっては醜悪極まりない姿だった。取引先に疎まれる飯塚高志、そして自己啓発セミナーの信奉者に「能力」を認められる飯塚高志。だが、彼らの発する「有能」や「エネルギー」という単語ほど、胡散臭い言葉はない。
イイヅカの経営状況をみてみると、坂田の言う「有能」という言葉はいかにも空虚である。OA機器業界自体が現在では退潮しつつある。つまり、コピー機という魔法の箱は今、どこにでもある、単なる箱になりつつあるのだ。そして単なる箱なんだから、それを売る人間も何でもいい、という事になる。魔法の箱を単なる箱に変えたのはそれを売る人々自身であった。
坂田精二の会社を出ると、私はスマートフォンを取り出し、山下洋子を呼び出した。
「洋子君、富樫だ。飯塚高志の事、もっと知りたいんだ。」
雪が、ちらついていた。
■ジャーニー・トゥ・フリーダム-4
岐阜・玉宮町にある居酒屋「タマミヤ」。一緒にエビスビールを飲んでいるのは坂田精二。岐阜でソフトウェア会社に勤めながらセミナー講師をやっている。ソーシャルメディアにおける私の師ともいえる人間。串カツをつまみながら坂田が言う。
「「つぶやいたー」、結構使ってるね。」
「アレはまさにWeb2.0の理想を体現したサービスだと私は思います。「つぶやいたー」はきっと世界を変えますよ。坂田さんはどう思いますか?」
「確かに。世界を変えるかどうかはともかく、知らない人同士が繋がりあえるツールとしては活用できるだろうね。でも、岐阜のアカウントはあまりないね。」
「ええ。そこで、今度「つぶやいたー」活用のための交流スペースを作ろうと思うんです。その交流スペースを軸に、つぶやいた―上の関係をリアルに落としこんだり、もしくはその逆であったり。そうした交流のための場所が必要だと思うんですよ。」
「そりゃあいいな!」
追加でドテ煮をほうばりながら坂田が言う。
「飯塚君、是非やるべきだよ、それは!「つぶやいた―」を岐阜に広めるためにも絶対にやるべきだよ。だけど、マネタイズはどうしていくつもりだい?」
「ええ、そこなんです。当面は「つぶやいた―」活用のためのスマートフォン販売、とりわけiPhoneの販売ですね。もう一つは活用のためのセミナーや講習会への参加費で賄いたいと思うんですが。」
「でも、飯塚君、iPhoneの販売マージンといってもそれほど高額なわけではないし、パソコン教室などと違って「つぶやいたー」のようなソーシャルメディアは教えるのは難しいと思うんだけど。うちもSNSや「つぶやいたー」のセミナーをスポットで行っているけれど、お世辞にも参加者がソーシャルメディアへの理解力を本当に高めて活用しているとはいえないよ。」
「確かに、そうかもしれないですが、必要なのはソーシャルメディアを教えるためのプラットフォームなんですよ。教える内容は器ができた後で考えればいいんです。」
「それはそうかもしれないね。飯塚君。」
手を差し出す坂田精二。俺の心は決まった。