2章 進化の理――戦女神の誕生と深淵への誘い
宿の自室で、ギュンターは深夜まで魔力の糸を紡いでいた。彼の思考は常に、より確実な生存と効率を求めている。
「空気中の水分を、自分の感覚野の一部として同期させる……」
目を閉じ、意識を広げる。大気中に遍在する微細な水滴の一つ一つに魔力を通し、反射して返ってくる微かな振動を読み取る。それは目で見、耳で聞く情報よりも遥かに高精細な「三次元の地図」として脳内に構築されていった。名付けるなら『ウォーターサーチ』。この術があれば、遮蔽物の向こう側に潜む魔物の心音さえも水分の揺らぎとして捉えることができるだろう。
納得のいく術式の構築を終え、数時間の休息を取ったギュンターは、翌朝、約束の場所である宿のロビーへと向かった。そこで待っていた人物を見て、彼は思わず足を止めた。
「おはよう、ギュンター。……あ、あれ? どうしたんだい、そんなに固まって」
声をかけてきたのは、間違いなくセーラだった。しかし、その姿は昨日の彼女とは劇的に異なっていた。
何より目を引いたのは、その圧倒的な存在感だ。すらりと伸びた四肢は驚くほど長く、立ち姿だけで周囲の空気を圧するような気品が漂っている。昨日の特訓で『マッスル』と『アクセル』を同時に、かつ長時間発動し続けた副作用だろうか。あるいは、ギュンターが教えた「魔力吸収」によって、彼女の体内に眠っていた細胞が極限まで活性化され、本質的な美しさを引き出したのかもしれない。
豊かに盛り上がった胸元から、引き締まったウエスト、そしてしなやかな曲線を描くヒップライン。その抜群のプロポーションは、冒険者の革鎧を突き破らんばかりの生命力に満ちていた。さらに、元々整っていた顔立ちはより洗練され、透き通るような肌と理知的な瞳が、彼女を伝説に語られる戦女神のように見せている。
「セーラ、さん……?」
ギュンターは、珍しく動揺を隠せずにその名を呼んだ。20歳の青年らしい純朴な驚きが、その表情に浮かぶ。
「そんなにジロジロ見られると、照れるじゃないか。……やっぱり、変かな?」
セーラは少し頬を染め、困ったように微笑んだ。その仕草一つをとっても、成熟した女性の魅力が溢れ出ている。
「いえ……変ではありません。ただ、あまりにも美しく、堂々とした姿になられたので、別の高位冒険者の方かと思いました。素晴らしいですね。魔力操作による身体の最適化が、これほどの結果をもたらすとは」
ギュンターはすぐに冷静さを取り戻そうと、努めて丁寧な敬語で賞賛を述べた。しかし、その瞳には隠しきれない感銘が宿っている。
「そうかい? なら良かった。君の隣に立つのに、相応しい女になれたのなら嬉しいよ」
セーラの言葉には、昨日よりもずっと深い慈しみと、確かな情熱がこもっていた。
「さあ、行きましょうか、セーラさん。新しい僕の索敵魔法と、今のあなたの力。それを合わせれば、今日は昨日以上の結果が出せるはずです」
「ああ、楽しみだね。君の背中は、私が一生守り通してみせるよ」
美しく進化したセーラと、さらなる深淵を覗くギュンター。二人は朝日を浴びながら、新たな伝説の1ページを刻むべく、再び森の奥へと消えていった。
街の活気あふれる大通りを、洗練された美貌を放つセーラと並んで歩くギュンターは、まずは馴染みの道具屋の暖簾を潜った。
「いらっしゃい……っておや、ギュンターかい? 隣の美人は……まさかセーラか!?」
店主の驚愕を余所に、ギュンターは淡々と買い物を進める。目当ては容量に優れた「マジックバッグ」だ。金貨に余裕ができた今、備品への投資を惜しむ理由はない。さらに食料品店を回り、塩や胡椒、乾燥ハーブなどの調味料、焼き立てのパン、樽入りのエール、そして新鮮な野菜を大量に買い込んだ。
「マジックバッグがあれば、森の中でも豊かな食生活が送れます。効率的な活動には、質の良い食事が不可欠ですから」
丁寧な敬語でそう語るギュンターに、セーラは「君らしいね」と微笑みながら、重さを感じさせないバッグを肩にかけた。
再び森の深部へと足を踏み入れた二人は、木漏れ日の下で特訓を再開した。ギュンターは昨夜構築した『ウォーターサーチ』の術理をセーラに伝授する。
「セーラさん、大気中の水分を自らの神経系の一部として同期させるんです。視覚に頼らず、水分の密度の揺らぎを感じ取ってください」
セーラは教えられた通り、魔力吸収で高まった膨大な魔力を周囲に広げる。すると、数瞬後には彼女の脳内にも、周囲数百メートルの三次元地図が鮮明に浮かび上がった。
「……見える。草陰に潜む小動物の鼓動まで、手に取るように分かるよ、ギュンター!」
「素晴らしいです。これで不意打ちの懸念はほぼ無くなりましたね」
セーラの習得を見届けたギュンターは、自らの魔法をさらに深化させるべく、新たな術式の展開を始めた。彼は『ウォーターバレット』の核となる水弾の「温度」と「状態」を魔力操作で操作し始める。
まず、魔力を極限まで収束させ、水分から熱を奪い去った。
「『アイスバレット』」
放たれた氷の弾丸は、命中した大木を貫通すると同時に、その周囲を瞬時に凍結させ、内側から粉砕した。
次に、魔力を超高周波で振動させ、沸点を超えた熱量を封じ込める。
「『ボイルバレット』」
着弾した瞬間、激しい蒸気と共に熱湯が飛散し、対象を熱ダメージで崩壊させる。
そして最後は、魔力を霧状に拡散させつつ、爆発的な熱量を与えて気化させた。
「『スチームバレット』」
放たれた弾丸は命中した瞬間に凄まじい水蒸気爆発を起こし、広範囲を衝撃波と高熱でなぎ払った。単なる「水」という物質が、ギュンターの理論的な魔力操作によって、凍土の槍にも、爆炎の代わりにもなる。
「氷、沸騰、そして蒸気爆発……。君の想像力には、底というものがないのかい?」
驚嘆するセーラに、ギュンターはいつものように静かに微笑んで答えた。
「すべてはセーラさんが見せてくれた水属性の基礎があったからです。さあ、この新しい魔法の威力を試してみましょう。夕食はマジックバッグに入れた新鮮な野菜で、美味しいスープを作りましょうか」
「ああ。楽しみにしているよ、ギュンター」
抜群のプロポーションを揺らしながら、戦女神のような美しさを湛えたセーラが、少年の背中を追って深い森の奥へと消えていく。二人の歩みは、もはや一介の冒険者の域を大きく超えようとしていた。
森の静寂を切り裂くように、ギュンターの『ウォーターサーチ』が周囲数キロメートルの情報を網羅した。大気中の水分を媒介にした索敵は、隠れ潜む魔物たちの心音さえも鮮明な鼓動として二人の脳内に叩き込む。
「セーラさん、前方からフォレストボア30体、右翼からファングベアー30体が接近しています。さらに地中と足元、アイアンリザードとアーマーリザードが計60体。包囲網を形成するつもりのようです」
「ふふ、全部筒抜けだね。ギュンター、行こうか!」
抜群のプロポーションを誇る戦女神のごとき姿となったセーラが、身体強化『アクセル』を発動させて地を蹴った。残像すら残さぬ速度でフォレストボアの群れに突っ込み、水刃でその首を次々と刎ねていく。
ギュンターは冷静に、新しく開発した術式を展開した。まずはファングベアーの群れに対し、冷気の魔力を込める。
「『アイスバレット』」
放たれた氷の弾丸は、着弾と同時にベアーの巨体を芯から凍りつかせ、その分子構造を脆くして砕け散らせた。さらに、足元から這い出そうとするアイアンリザードの強固な鱗に対し、高熱を帯びた一撃を放つ。
「『ボイルバレット』」
超高温の熱水弾が鱗の隙間に侵入し、内側から組織を沸騰させて焼き切る。逃げ惑うアーマーリザードの密集地帯には、とどめの広域破壊魔法を叩き込んだ。
「『スチームバレット』」
着弾の瞬間、凄まじい水蒸気爆発が巻き起こり、白煙と共に衝撃波が森を震わせた。鉄のような外殻を持つリザードたちが、その圧力に耐えきれず一瞬で肉塊へと変わる。
わずか数分。120体にも及ぶ魔物の軍勢は、二人の圧倒的な暴力の前に沈黙した。
「さあ、鮮度が落ちないうちに片付けましょう」
ギュンターとセーラは同時に『解体魔法』を発動した。空中に舞う魔力の刃が、芸術的な精度で獲物を解体していく。皮、骨、牙、爪、そして魔石が宙を舞い、種類ごとに整然と仕分けられていく様子は、もはや戦場というよりは工場のラインに近い。
昨日買ったばかりのマジックバッグは、その驚異的な収納能力を発揮していた。120体分という膨大な素材が、吸い込まれるようにバッグの中へと消えていく。
「これだけの量が入るなんて、本当に便利ですね。以前のように氷の倉庫を作る手間が省けました」
「本当だね。まだまだ余裕がありそうだよ、ギュンター」
セーラは額の汗を拭い、ギュンターを見つめて微笑んだ。その瞳には、並ぶ者なき強者への憧憬と、共に歩める喜びが満ちている。
「セーラさん、次の獲物が見えました。この先の谷間に、さらに大型の反応があります。……今日は、マジックバッグを一杯にするまで帰りませんよ」
「ええ、喜んで。どこまでだって付いていくよ」
二人は息を乱すこともなく、さらなる獲物を求めて深淵へと足を進めた。道具屋で買い込んだ大量の調味料や野菜が、今夜の豪華な祝宴を約束してバッグの中で静かに眠っている。
森の巨木が天を突き、陽光さえ遮られた領域。そこには、フォレストボアを遥かに凌駕する威容を誇る「アースベア」の群れが、地響きを立てて君臨していた。
「セーラさん、来ます。……アースベア50体。ただのクマだと思わないでください。土属性の魔力を身に纏い、その表皮は岩石のように硬質化しています」
ギュンターの『ウォーターサーチ』が、前方から押し寄せる巨大な熱源を克明に捉えた。現れたアースベアは、一頭一頭が小山のような巨躯を誇り、その剛腕は一振りで大樹をへし折る破壊力を秘めている。
「任せて、ギュンター。今の私なら、岩の鎧だって切り裂いてみせるよ!」
抜群のプロポーションを誇る戦女神のごとき姿となったセーラが、身体強化『アクセル』を全開にした。しなやかな肢体が弾丸のような速度で躍動し、アースベアの懐へと滑り込む。岩の装甲を纏った拳が振り下ろされるが、彼女は紙一重でかわし、超高速回転する水の刃をその脚部に叩き込んだ。
ギュンターもまた、冷静に術式を編み上げる。
「『ボイルバレット』」
放たれた超高温の熱水弾が、アースベアの岩の装甲の隙間に着弾した。急激な熱膨張によって強固な盾が粉砕され、剥き出しになった肉体に、間髪入れず『アイスバレット』が突き刺さる。芯まで凍てつき、脆くなった巨体は、自重に耐えきれず結晶のように砕け散った。
わずか5分。一国が騎士団を動員して当たるべき50体の群れは、二人の圧倒的な暴力の前に全滅した。
「……ふぅ。セーラさん、怪我はありませんか?」
「ああ、掠りもしなかった。君のサーチのおかげだよ」
二人は息を整える間もなく『解体魔法』を展開した。巨大なアースベアの死体が宙に浮き、魔力の刃によって鮮やかに解体されていく。剥ぎ取られた皮は防刃布のように厚く、骨は鋼鉄のような重量感を放つ。内臓に至るまで素材として価値が高いことに驚きつつ、ギュンターは心臓付近から現れた「それ」を手に取った。
「これは……拳よりも大きいですね」
ギュンターの掌に乗ったのは、深緑色に輝く巨大な魔石だった。内側に膨大な魔力を蓄え、手にするだけでその重厚な波動が伝わってくる。
「すごい……。こんなに大きい魔石、ギルドの展示品でしか見たことがない。これ一個で金貨何十枚になるんだろうね」
セーラが感嘆の声を上げ、魔石の輝きにその洗練された美貌を照らされた。ギュンターは手際よく素材をマジックバッグへと吸い込ませていく。どれほどの量を入れても、バッグの形状が変わることも、重さが増すこともない。
「今日はもう日が暮れます。街に戻るには時間が足りませんね。セーラさん、今夜はここで野営をしましょう」
夜の帳が下りた森の最深部で、ギュンターは先ほど手に入れたばかりのアースベアの魔石を凝視していた。拳ほどもある深緑の結晶。その深層に渦巻く重厚な魔力の奔流を、彼は精密な指先で手繰り寄せるように解析していく。
「……なるほど。土の理は『凝縮』と『変形』ですか。セーラさん、少し意識をこちらへ」
ギュンターは自らの中に構築した土属性の術式を、かつて水魔法を教えたときと同様、丁寧な敬語と共にセーラへと共有した。彼女の優れた魔力吸収能力は、新たな属性の種を瞬時に芽吹かせる。
「土の魔法……。重いけれど、力強いね。これなら防御にも応用できそうだ」
感嘆するセーラを背に、ギュンターはさっそく実戦的な構築を開始した。彼が地面に手をかざすと、土が隆起し、瞬く間に磨き上げられた石材のような質感を持つテーブルと二脚の椅子が形成された。さらに、それらの中央には巨大な石造りの寸胴鍋がそびえ立つ。
「マジックバッグの中身、フルに活用しましょう」
バッグから取り出されたのは、アースベアの厳選された赤身肉、そして昼間に買い込んだ色鮮やかな野菜たちだ。ギュンターは『解体魔法』を応用してそれらを一口大に刻むと、清冽な水と塩、香りの強い数種のハーブと共に鍋へ投入した。
彼は火を起こさない。代わりに鍋の底に直接魔力を注ぎ込み、土属性の分子振動を激化させて「熱」を発生させる。内部の温度は瞬時に跳ね上がり、鍋からは食欲をそそる芳醇な香りが立ち上り始めた。
「待っている間に、器を用意します」
ギュンターの指先が動くたび、土の魔力は緻密なカトラリーと美しい曲線を描くスープ皿へと姿を変えた。仕上げに彼は水魔法を併用し、透明度の高い氷を削り出して巨大なジョッキを作り上げる。
「どうぞ。エールも冷えています」
ジョッキに注がれたエールの黄金色が、焚き火に代わる魔力の微かな光に照らされて美しく輝く。
「……信じられないよ。さっきまで死闘を繰り広げていた場所が、最高級のレストランみたいじゃないか」
セーラは、抜群のプロポーションを石の椅子に預け、うっとりとスープの香りを吸い込んだ。土魔法で煮込まれたアースベアの肉は驚くほど柔らかく、ハーブの香りが野生の荒々しさを気品ある味わいへと昇華させている。
「セーラさんとのパーティーですから。これくらいは当然の配慮ですよ」
ギュンターは淡々と答え、自らも冷えたエールを一口含んだ。強大な魔物を狩り、その素材を魔法で調理し、信頼できるパートナーと分かち合う。20歳の青年にしてはあまりに完成されたその姿に、セーラは改めて深く、抗いようのない愛着を感じていた。
静寂に包まれた森の奥底で、二人の贅沢な宴は夜更けまで続いた。
至福の晩餐を終え、森の静寂が二人を包み込む中、ギュンターは食後の運動とばかりに再び指先を動かした。
「セーラさん、今夜は野営ですから、少しでも疲れを癒せるように整えますね」
彼が地面に掌を当てると、土魔法によって石造りの堅牢な建屋が二つ、地中からせり上がるようにして出現した。一つは寝室、そしてもう一つは、彼がこだわって設計した「浴室」だ。滑らかな石を削り出した巨大な浴槽に、水魔法で満たした清冽な水を注ぎ、先ほど肉を煮込んだ際と同じ分子振動の応用で一気に適温まで沸かしていく。
さらに、ギュンターは水魔法の極致とも言える技を披露した。空間の水分を凝固・変質させ、弾力のある「水のエレメント・マットレス」を二つのベッドの上に作り上げたのだ。
「これ、濡れないのかい?」
「はい。表面を魔力の薄い皮膜でコーティングしてありますから、肌触りは滑らかで、それでいて水特有の柔軟な反発力があります。最高の寝心地のはずですよ」
丁寧な敬語で解説するギュンターの完璧な仕事ぶりに、セーラは溜息をついた。洗練された美貌を誇る彼女は、湯気の立ち上る浴室を見つめ、少しだけ瞳に悪戯な光を灯した。
「……ねえ、ギュンター。お風呂、一緒に入らないかい? 背中、流してあげるよ」
抜群のプロポーションを誇る戦女神のような肢体をしなやかにくねらせ、彼女は少年の耳元で囁いた。昼間の狩りで見せた凛々しさはどこへやら、今の彼女は一人の恋する女としての熱を帯びている。
ギュンターは一瞬、手に持っていたカトラリーを落としそうになった。冷静沈着な彼が、珍しく耳まで赤く染めて絶句している。
「な、何を言っているんですか、セーラさん。……僕だって男ですよ。そんなことをされたら、普通に欲情するじゃないですか」
絞り出すような彼の言葉に、セーラはくすくすと喉を鳴らして笑った。無機質で完璧な魔法使いに見える彼が、自分という異性を前にして「男」としての反応を見せたことが、たまらなく愛おしかったのだ。
「分かっているよ。……でも、私はそれでも構わないんだ。君になら、何をされたって……」
セーラの熱い視線がギュンターを射抜く。引き締まったウエスト、すらりと伸びた足、そして豊潤な胸元。かつての斥候仲間が見れば、ひれ伏すほどに神々しく、そして毒々しいほどに色香を放つ彼女が、今はただ一人の少年の愛を求めていた。
「……セーラさん、あなたは自分がどれほど魅力的になったか、自覚がなさすぎます。これ以上の誘惑は、僕の自制心への重大な挑戦ですよ」
ギュンターは顔を背けながらも、その声には抗いようのない熱が混じっていた。
「なら、挑戦を受けておくれよ。私の全力を、君に受け止めてほしいんだ」
焚き火に代わる魔光に照らされた石造りの浴室で、二人の距離が限界まで縮まっていく。森の深部、アースベアの領域で、二人の関係は戦友としての境界線を越え、新たな段階へと踏み出そうとしていた。
深い森の朝は、葉を叩く露の音と、微かに漂うハーブの香りで幕を開けた。
ギュンターは早起きし、昨日作り上げた石造りの調理場で手際よく朝食の準備を進める。マジックバッグから取り出したアースベアの肉を、熟練の職人のように薄く切り分け、新鮮な野菜と共に鍋へ投入した。少量の水と塩、胡椒、そして数種類のハーブを加え、土魔法の微細な振動で熱を通していく。
「おはようございます、セーラさん。よく眠れましたか?」
浴室から出てきたセーラに、ギュンターは努めて平静を装いながら声をかけた。昨夜の甘いやり取りの余韻がまだ空気に混じっているようだったが、彼はいつもの丁寧な敬語を崩さない。蒸し上がった肉と野菜を香ばしいパンにたっぷりと挟み込み、熱いハーブティーと共に差し出した。
「ありがとう、ギュンター。……本当に、君の作る料理はどれも絶品だね」
抜群のプロポーションをしなやかに躍動させ、セーラはサンドイッチを頬張った。アースベアの力強い旨味をハーブが上品に引き立て、薄切りの肉は口の中で驚くほど柔らかく解けていく。ハーブティーで腹を満たした二人の間に、心地よい充足感が漂う。
しかし、ギュンターの瞳はすぐに実戦的な鋭さを取り戻した。
「さて、セーラさん。今日は出発前に、あなたのバレットをすべて確認させてもらいます。昨日教えた水属性の三種に加え、先ほど僕が構築した土属性の新魔法も授けますね」
二人は昨日アースベアを殲滅した広場へと移動した。ギュンターはセーラの肩に手を置き、自ら解析した土の理を彼女の魔力回路へと流し込む。
「まずは『ストーンバレット』。魔力で凝縮した岩石の弾丸を放ちます。衝撃力に特化させてください。そしてもう一つが『ソイルバレット』です。これは着弾時に細かな土砂を高速で飛散させ、敵の視界を奪うだけでなく、やすりのように標的の表面を削り取る魔法です」
セーラは教えられた術式を即座に咀嚼し、次々と魔法を放った。
「『ストーンバレット』!」
放たれた岩石の弾丸が、前方の大岩を粉々に砕く。続けて放たれた『ソイルバレット』は、着弾と同時に激しい土煙を巻き上げた。それはただの煙ではなく、魔力を帯びた硬い土粒子が猛烈な勢いで吹き荒れる死の礫だ。標的となった木々は、一瞬にして表面の皮を削り取られ、白く剥き出しになった。
既存の『ウォーター』『アイス』『ボイル』『スチーム』に加え、この土属性の二種。セーラは今や、あらゆる距離と状況に対応できる万能の魔法戦士へと変貌を遂げていた。
「素晴らしいです、セーラさん。魔力の収束速度も、僕の予想を超えています。これなら、僕のサーチと合わせて、どんな隠れた敵も逃しません」
ギュンターは満足げに頷き、自らの長剣を構え直した。20歳の少年らしい純粋な期待を瞳に宿しながらも、その振る舞いは誰よりも頼もしい。
「準備はいいですか? 今日は、この森のさらに奥、アースベアさえ近寄らない聖域を目指します」
「ああ。君が隣にいてくれるなら、どんな場所だって恐くないよ」
戦女神のような美しさを湛えたセーラが、力強く応える。朝日に照らされた二人は、未踏の深淵へとその一歩を踏み出した。
深淵への道中、ギュンターは歩みを止め、セーラに向き直った。その瞳には、常に効率と合理性を追求する彼らしい、冷徹なまでの探求心が宿っている。
「セーラさん、新しい術式を構築しました。今度は『攻撃』ではなく『封殺』の魔法です」
ギュンターは彼女の手を取り、再び魔力の波動を通じて理を授ける。それは、対象の頭部を魔力の膜で完全に密閉し、呼吸を奪う術――『マスク』シリーズだった。
「生物は呼吸を止められれば、どんなに強靭な肉体を持っていても窒息死します。外殻が硬すぎて刃が通らない敵や、毛皮や素材を傷つけずに回収したい場合には、これが最も有効な手段になります」
水で覆う『ウォーターマスク』、それを凍結させ固定する『アイスマスク』、そして湿った土で鼻腔と口腔を塞ぎ、やすりのような粒子で抵抗を封じる『ソイルマスク』。セーラはその恐るべき合理性に戦慄しつつも、深い敬意を持ってそれを受け取った。
その術を試す機会は、すぐに訪れた。前方から、はぐれもののグレーウルフが3体、低い唸り声を上げて姿を現したのだ。
「僕がやります。セーラさんは見ていてください」
ギュンターは静かに手をかざした。
「『ウォーターマスク』」
先頭の1体の頭部が、瞬時に巨大な水の球体に包み込まれた。狼は激しく首を振り、前足で顔を掻きむしるが、魔力で固定された水球は離れない。
続けて、左右から迫る個体にも術を放つ。
「『ソイルマスク』。そして『アイスマスク』」
右側の1体は、鼻と口を粘土質の土に完全に塞がれ、もがくほどに土が肺へと吸い込まれていく。左側の1体は、顔面を覆った水が瞬時に白濁した氷へと変わり、悲鳴を上げる隙さえ与えられずに完全な沈黙を強要された。
数分後。激しく地面を掻いていた狼たちの四肢から力が抜け、やがて森に静寂が戻った。外傷は一切ない。ただ、窒息という生物学的な限界によって、彼らの命は摘み取られたのだ。
「……恐ろしい魔法だね、ギュンター。でも、これなら確かに素材は完璧な状態で手に入る」
セーラは横たわる狼たちを見つめ、少し複雑な、それでいて彼の底知れぬ才覚に改めて惚れ直したような吐息を漏らした。
「効率的であることは、慈悲でもあります。苦しむ時間は短いですから」
ギュンターは淡々と答え、指先一つで『解体魔法』を起動した。傷一つない極上の毛皮が、魔法の刃によって鮮やかに剥がされていく。20歳の少年の顔には、残酷さではなく、ただ一分の隙もない職人のような真摯さだけがあった。
「さあ、行きましょう。この先には、これまでの魔法が通用しないほどの『硬い』主が待っているはずです」
二人は無傷の素材をマジックバッグに収め、さらに深い、光の届かぬ聖域の深淵へと足を踏み入れた。
聖域の奥深く、湿り気を帯びた空気が重く沈む一角で、ギュンターの『ウォーターサーチ』が激しい振動を捉えました。
「セーラさん、来ます。足元……いえ、周囲の壁面すべてです」
直後、岩陰や木々の隙間から、赤黒い金属光沢を放つ巨大な軍団が姿を現しました。アーミーアント。その一体一体が小型の馬ほどもあり、鋼鉄をも噛み切る大顎を備えています。群れの中心には、さらに巨大で、深紅の甲殻に覆われたクイーンアントが鎮座していました。
「……っ、この硬さ、並の斬撃じゃ弾かれるよ!」
セーラが鋭く警告します。アーミーアントの甲殻は、土属性の魔力が極限まで凝縮された天然の装甲。物理的な破壊は困難を極めますが、ギュンターは冷静に指先を動かしました。
「ええ、ですから『マスク』が最適なんです。どれほど硬い鎧を纏っていても、呼吸口まで鋼鉄でできているわけではありません」
ギュンターとセーラは、示し合わせたように同時に術を展開しました。
「『ウォーターマスク』! 『ソイルマスク』!」
空中を舞う魔力の奔流が、30体以上のアーミーアントの頭部を次々と包み込んでいきます。水球が、そして粘土質の重い土が、彼らの呼吸孔を完璧に密閉しました。強靭な脚で地面を砕き、狂ったように暴れ回る軍隊蟻たちでしたが、酸素を失えばその剛力も無意味です。
最後に残ったクイーンアントが、怒りに狂って突進してきました。ギュンターはその巨大な頭部を見据え、魔力を一点に集中させます。
「『アイスマスク』」
クイーンの顔面を覆った水膜が、瞬時に絶対零度の氷塊へと変貌しました。叫び声すら上げられず、巨大な女王は酸欠と凍結の苦しみの中に沈み、数分後、その巨?は静かに崩れ落ちました。
「……36体。ふぅ、全滅ですね。セーラさん、解体を始めましょう。素材を傷つけずに仕留めたので、甲殻の価値も跳ね上がりますよ」
二人はさっそく『解体魔法』を起動しました。鋼鉄よりも硬いはずの甲殻が、ギュンターの精密な魔力によって節ごとに切り離されていきます。そして、その体内から現れたものに、二人は言葉を失いました。
「……これ、見てください。アーミーアントの魔石が、すべて拳大もあります」
昨日アースベアから手に入れた「主級」の魔石が、ここでは兵隊蟻の一体一体に備わっていたのです。さらに、クイーンアントの腹部から取り出された魔石に至っては、もはや石というよりは巨大な結晶塊――キャベツ玉ほどの大きさがあり、周囲の空気を歪めるほどの膨大な魔力を放っていました。
「金貨100枚どころじゃないね……。一生、贅沢して暮らせるレベルだよ、これは」
セーラが呆れたように、しかし誇らしげに笑いました。洗練された彼女の美貌が、巨大な魔石の深紅の輝きに照らされ、妖艶に浮き上がります。
「贅沢もいいですが、まずはこの魔石を解析して、さらなる魔法の糧にしましょう。マジックバッグがなければ、これを持って帰るだけで一苦労でしたね」
ギュンターは丁寧な敬語で答えながら、規格外の収穫を次々とバッグへ収めていきました。聖域の深淵は、その危険に比例して、二人に想像を絶する富と力を与えようとしていました。




