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村上陽一郎「科学・技術の歴史の中での社会」 やさしいまとめ

作者:

◆p92~94・4行目(ページ数は、数研出版「論理国語」のもの)


この文章は、「技術」と「科学」が人間社会の成り立ちと深く関わっていることを語っている。


〇農耕技術は社会の初め

社会と農耕技術は同時に始まった。


畑や水田で穀物を育てるには、ただ種をまくだけじゃなくて、

土を耕す道具

水を引く灌漑技術

暦を作る天文学的知識

穀物を保存する方法

火を使った調理技術

食料を守るための防衛技術

…など、たくさんの知識と工夫が必要だった。


こうした技術を使いこなすことで、専門家や権力者、階級といった社会の構造が生まれていった。 つまり、技術はただの道具じゃなくて、人間が「社会的存在」になることと直接つながる。


〇科学と技術の境界はあいまい?

次に出てくるのが「科学」の話。 科学をもっと広く捉えると、、「自然を体系的に理解しようとする営み」であり、「技術」と同じく「人類発祥とほとんど同時であったと言える」。


たとえば、暦を作るための天文学は、技術でもあり、自然を探究する科学でもある。 このように、技術と科学は人類の歴史の中で重なり合って育ってきた。


〇ノウハウとエスノサイエンス

こうした知識は「ノウハウ」とも呼ばれるし、民族・文化ごとに蓄積された自然の知識は「エスノサイエンス(民族科学)」とも言われる。 つまり、科学は西洋だけじゃなくて、世界中で育ててきた。


〇まとめ

・技術の歴史は、人間社会の歴史そのもの。

・農耕技術は、社会構造や権力の誕生に深く関わっている。

・科学と技術は、人類の営みの中で重なり合いながら育ってきた。

・各文化が持つ自然の知識も、広い意味での「科学」と言える。


◆p94・5京目~p95・9行目

〇「科学・技術」の意味が変わってきた?

この文章では、昔の広い意味での「科学・技術」から、近現代のもっと狭い意味への変化が語られる。


昔は、農耕や暦づくりなども「技術」や「科学」と呼ばれていたが、 今では「科学・技術」と言うと、もっと専門的で制度化されたものを指すのが普通になっている。


〇「科学者」が生まれたのは19世紀

この狭い意味での「科学」は、19世紀半ばのヨーロッパで始まった。 それまでは、ガリレオやニュートンのような人も「科学者」とは呼ばれていなかった。 実際、「scientist(科学者)」という言葉が生まれたのもこの時期。


〇専門分野と共同体の誕生

この新しい「科学者」たちは、物理学・地質学・植物学などの専門分野を持っていて、 同じ分野の研究者同士が集まって「共同体」を作るようになった。


つまり、科学は個人の探究ではなく、制度や組織の中で成り立つものになったってこと。 ガリレオやニュートンの時代には、こうした制度はまだ存在していなかった。


〇まとめ

・昔の「科学・技術」は広い意味で、人類の知恵全体を指していた。

・近代以降は、専門分野を持つ「科学者」が登場し、科学は制度化された。

・科学は、個人の好奇心だけでなく、社会的な仕組みの中で育つものになった。


◆p95・10行目~p97・11行目

この文章は、近代科学がどのように社会と関係を持たずに発展してきたか、そして技術との距離について語っている。


〇科学者の共同体は「社会から切り離された世界」

19世紀に登場した「科学者」は、自分たちの専門分野に集中して、同じ専門家同士だけで成果を共有するようになった。 その成果を評価するのも、使うのも、同じ共同体の仲間だけ。 つまり、科学は「内輪の世界」で自己完結するようになった。


たとえば、「マクスウェルの方程式」みたいに、自分の名前が理論に残ることが、科学者にとっての名誉だった。


〇科学と社会の距離

このような科学のあり方は、社会と直接つながっていない。科学者たちは、自分たちの好奇心や興味に従って研究を進めていて、 その成果がすぐに社会に役立つとは限らなかった。


だから、科学は芸術や文学のように「直接的な社会的利得を追求しない(求めない)営み」として存在していたとも言える。


〇技術との関係は?

同じ19世紀には、近代工業技術も発展していたけど、科学とは別の流れだった。 工業技術を生み出した起業家たちは、ほとんど高等教育を受けていなかったし、 科学的知識を使って技術革新を起こしたわけではなかった。


つまり、当時は「科学」と「技術」がまだ連携していなかった。 科学の知識が社会に活用されるルートは、まだできていなかった。


〇まとめ

・近代科学は、専門家の共同体の中で自己完結する知的営みとして発展した。

・科学者たちは社会と距離を置き、仲間内で成果を共有・評価していた。

・一方、工業技術は科学とは別のルートで発展していて、両者はまだ連携していなかった。

・科学は、芸術のように「社会的効用の外」に置かれた存在だった。


◆p97・11行目~最後

この文章は、科学が社会とどう関わるようになったか、そしてその責任について語っている。


〇科学が「社会とつながるようになった」きっかけ

もともと科学は、専門家同士の共同体の中で完結していて、社会とは距離を置いていたんだ。 でも第一次世界大戦の頃から、科学の知識が軍事や産業に利用可能だと気づかれ始めた。


・ナイロンの開発(1935年):アメリカの化学者カロザースが人工繊維を発明し、産業に大きな影響を与えた。

・核物理学の応用(第二次世界大戦):科学者たちが蓄えていた知識が、原爆という巨大な戦力に変わった。


このように、科学は社会の外にいた存在から、「社会に役立つ知識」として引き込まれていった。


〇国家と科学の絆

科学が「金の卵」として認識されるようになり、国家は研究に資金を投じるようになった。 たとえば、

・アメリカの NSF(全米科学基金)

・日本の 科学技術基本法


こうした制度が、科学を社会の中に位置づける仕組みになった。


〇科学者の「自由」と「責任」

科学者は、社会から資金を得る代わりに、研究の成果が「社会的利得」に還元される可能性を示すことで、心理的な負い目を感じずに済むようになった。 でもその分、社会に対する責任も重くなった。


かつては仲間内だけに責任を持てばよかったけど、今では研究の影響が社会全体に及ぶ可能性がある。 だから、科学者は社会に対しても責任を負わなければならない。


〇21世紀の科学は「国家の道具」

今では、科学は「国際的競争力」を高めるための手段としても使われている。 それは、科学が国家に奉仕する「道具」として扱われるようになっているということ。


この状況をどう受け止めるべきか――それが、現代の科学者にとっての大きな問い。


〇まとめ

・科学はかつて社会と距離を置いていたが、戦争や産業を通じて社会と強く結びついた。

・国家は科学に資金を投じ、科学者はその対価として社会的責任を負うようになった。

・現代では、科学は国家の競争力を支える「道具」としての側面も持っている。

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