カレーライフに花束を(仮題)
仕事人間 紫条工一
彼が読んだ、物語は一体何だったのだろうか。
「カレーライスに花束を」をもう一度、工一氏と共に読み飛ばせ!
私は紫条工一。アストロノーツ達の支援をする技術職だ。
私は、先日葬儀を終えた父のノートを読み、これが一体何なのか分からなくなり、混乱している。
私は、老いた父を認知症だと思っていた。医師の診断もそれを裏付けていた。
ノートに書かれていたのは、小説のようにも見えたが、父が見せた意味不明の言動とも重なり、これが父の見ていた現実だったのかもしれないとも思えた。
最初のチャットは、思考の衰えを自ら感じ、生成AIを使うようになっていったのと、一致している。
仮想男は、兄、理想男は私のようだ。
無論、兄は犯罪など犯していないし、私にも娘はいない。父の妄想か、フィクションか定かではない。兄は父と性格がよく似ていた。優秀なのにお人好しで世渡り下手で、当時の友人の裏切りで失職して以来、何度も転職している。
何より、兄は実家で父の面倒をみてくれていたので、私は感謝しかない。
相続争いは、私の妻の実家の話を、聞いての事かもしれない。
三分の一ほど読んで、私は兄に呼ばれ、風呂に入った。
ここ数年は、私より妻や息子の蒼真の方が父といた時間が長い。蒼真は学校の長期休みの度にこの私の実家で過ごしていた。
再び私は、父のノートに目を落とす。
旅行に行こうと計画する話。
トモダチ君は、おそらく兄。実際旅行にいったのは、兄と蒼真だ。多忙な私に代わって兄が蒼真を連れ出してくれていた。
父のそばで計画していたのだろう。
蒼真によると当時の父は「トモダチ君が」が口癖だったと聞いている。
当時は意味が分からなかったが、今ならよくわかる。
「地獄の健康法」は訪問リハビリと配食サービスの事なのは容易に分かった。
兄と蒼真が旅行に行っている間、担当の人たちに父は随分お世話になった筈だ。
なのに、全く登場してこないのはなぜだろう。父の世界に、父が顔を知らない人は存在できないのかもしれない。
2つの化粧箱とは、兄と私の妻だろう。
リハビリの成果で、動けるようになった父が一人で外出してしまい、
私の妻と兄で父を探した挙句、やっとの思いで連れ帰った事があった。
私は、相変わらず仕事で実家には帰ってない。
フルマニュアル調理ロボット。兄と蒼真、もしかしたら私も合体していたのかもしれない。キレ者の兄は包丁ユニット、本体は蒼真、鍋やフライパンが私。この時のトモダチ君は、私の妻だろう。妻は何かと花束を用意するから。
私は、父が、見たもの、感じた事を持ち前の想像力で失われた記憶を補完し、最後まで理性的であり続けようとしていたのだろうと結論付けた。
「加齢ライフに花束を。」と、この手記の表紙に書き込んだ。
私は、父ほどのセンスが無いらしい。
ノートから一枚のページが落ちた。
「彼とカレーは動けない」
何だこれは?
私は落ちたページの内容を読み終えると、言葉を失った。
これは、「カレーライスに花束を」と題された父の話の裏返しだった。
おそらく兄の視点からのものだろう。兄の人生までモチーフにしている。
父がなぜ、こんなものが書けるのだ?
そして、
その最後。自由になった兄の心情描写。
これは父の介護の終わり。つまり、父の死を意味している。
そこに気が付いた私は涙を流した。死を予感して、それが兄の開放になると喜んでいたとさえ思える。
父さんは、現実の解釈が違ったとしても、全部分かってたのかもしれない。
自分の異常な症状さえ利用して、妄想と現実の狭間の世界で、ずっと楽しんでいたに違いない。
なんと、大胆で華麗な生き様。
父は、最後まで私にとって偉大な「男」だった。私は蒼真に同じように思われる生き方ができているだろうか。
「華麗ライフに花束を。」
表紙に私は、綴りなおした。
そして、
父の遺影は笑わない。
—-
紫条主任、起きてください。
その声に私は、目を覚ました。ここは職場のデスクだ。
なんという夢を見たのだろう。
「カレーライスに花束を」「彼とカレーはうごかない」は昨日読んだWeb小説だ。
私に兄はいないし、父は健在で認知症でもない。
頭の使いすぎで私は、おかしくなってしまったのだろうか。
部下が、ご家族からです と「花束」デスクに持ってきた。
「お父さん、無理しないでね。今度会えるの楽しみにしている。」
花束には、蒼真からのメッセージカードが添えられていた。
紫条工一は、笑えない。