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1.身元不詳の女性

 国家都市日本。

 遠い過去、まだこの地下都市が繫栄していた頃の名前。

 どれだけの時間が経ったのか今はもう知る術がない。

 とにかく、私はここに帰ってきた。

 それも一人じゃなくて、よりによって出会ったばかりの青年と。

 

「着きました。どうすればいいですか?」

「おそーい。もうくたびれちゃったよ」

「ただ台車に乗ってただけじゃないですか……」

 青年はそうぼやくとため息をつく。

 青年とは偶然出会った。彼は地上に出たいらしいけれど、同時にこの世界のコトを何も知らない様子だった。

 どうして彼と行動しているのかを突き詰めると私が彼を脅したからという至極単純な理由に行き当たる。

 とは言っても、私が無理矢理従わせているわけじゃない。例えるならビジネスパートナーだ。近くもなければ遠くもない関係。発端こそ私の脅迫だとしても今の私たちにそんな上下関係はない。

 つい先日聞いた話だと彼には名前がないらしい。旅をしていて人と出会うこともほとんどない上に、出会っても長い関係になることはほとんどないみたいだ。確かにそれならば名前がなくとも不便はないだろう。私はそんな彼の事を青年くんと呼ぶことにした。

「それじゃ、とりあえず休めるように場所つくってよ! お願いね」

 私は可愛い子ぶって彼にお願いする。

 不満げな表情をするくせに頼むと断らない。……初対面で必要以上に脅し過ぎたのかもしれない。

 それにしてもお人好しが過ぎると思うけど。時代が違えば詐欺のカモだったんじゃないだろうか。

 彼は渋々といった様子ではあるけれど今回も野営の設置をしてくれる。私はそれを台車の上からじっと見つめる。

 テキパキと荷物を広げる彼の姿がどうしても哀しく思えてしまう。それは人と過ごす温かさを知らなかった彼に対する同情。

  ――私がいなくなった後、彼はどうなるんだろう。

 こうして人と生きる事を知った彼が再び一人で生きていけるのだろうか。

 がらくたに火が付く。

 彼が行こうとしている場所はとても生物が生存できる環境じゃない。仮に彼が目的地に辿り着いたとしても待ち受けているのは確実な死だけ。

 それは果たして彼が思い描く終着点なのか。

 だからこそ、彼の望みを叶えることが本当に正しいことなのか私にはわからない。

「あのー……、ユキさん?」

「ん? どーした青年くん」

 いつの間にか野営の準備は整っていた。

「もし『心残り』を終えたとして、その後は、どうするんですか」

 それは私にとって忌避すべき質問。

 きっとこの質問は言葉通りの意味じゃない。

「どうするんだろーな。まだ考えてないからわからないや」

 だから私は答えをはぐらかす。もしも彼が本当の事を知ってしまえばきっと私に協力してくれない。

「あと少しで『心残り』も終わるから、それから考えよっかなー」

 つまりそれは彼との旅路も終わりに近づいているということで、どうしてか心細くなってしまう。

 そんな感情、もう私には残っていないと思っていたのに。

「望みを叶えてくれるって約束、僕はまだ忘れてないですからね」

 風が焚火を揺らす。

「だいじょうぶ、わたしもちゃーんと覚えてるよ」

 見上げてもそこに星はない。

「そういえばさ、青年くんは高いところ苦手なの?」

 ほんの雑談のつもりで口にしただけだったけれどその反応は思っていたものとは違った。

「…………えっと、どういう」

 明らかに動揺している。

「どういうって、そのまんまの意味だよ?」

 私が言うのも変だけど、本当に意地の悪い返し方だと思う。

「次に行く場所が高いところとか? そういうこと?」

 珍しく彼が取り乱している。

「高いところ、もしかして苦手?」

 私がそう聞くと彼は言葉を詰まらせる。

 もしかして隠しているつもりだったのかな。それにしてはわかりやすかったけれど。

 焚火は私たちの間で静かに揺れている。

「あまり、好きじゃない」

 そう答える表情はとても切なげで私まで苦しくなる。

「そっか」

 私は彼の過去に触れることなく、彼もその過去を話すことなく深い眠りに落ちた。

 決して埋まらないその距離が私には心地よかった。



 最後の会話から約七時間。

 もはや定位置になってしまった台車の上でゆっくり揺られていた。

「ねーえ、青年くん」

 私はいつものように彼に話しかける。

「どうしたんですか?」

 彼もこの二ヵ月で私とのかかわり方もかなり慣れてきている。

「すーっごく、暗いね!」

「そうですね」

 彼の反応は相変わらず薄い。

「光がなくて見えるの?」

 出会った時は懐中電灯を持っていたはずなのに、ここしばらくは使っているところを見ていない。

「目が慣れればなんとか……。でも見えにくいです」

「でもほら、懐中電灯とか持ってなかったっけ?」

 彼が私を見つけた日は確か懐中電灯を握っていたはず。

「……あの光る筒のことですか?」

「そうそう、あれ使えばいいのに」

「……もう光らないんです」

 どうやら電力切れらしい。そういえば彼が持っていたのは充電式の旧型品だった。

「それは残念」

「ユキさんは、明るいほうがいいですか?」

 自然を意識した口調。

「私はただ座ってるだけだから」

 そう言うと彼は再び口を閉ざす。

 どこか遠くから聞こえる機械音。人の手を離れた都市制御は半永久的にゆるやかに続く。人の為に作られた都市は、今や存続の為だけに機能し続けている。かつて栄華を極めた国家都市だったとしても今となっては単なるオブジェ。

 本当に、温かみのない場所。

「次は、ここですか」

 取り留めもない思考の渦にいた私を彼が引き戻す。

「うん。ここだね」

 都市の中心に位置する巨大な建築物。国家都市日本に残る最後の発電所。

 やっと、終わりが近い。

「すごい、広いですね」

 国家都市日本で確か一番大きい建造物だったはずだ。

 さすがの私もここに立ち入ったことはない。

「今回はわたしも行くから。連れて行って」

「え?」

 彼は露骨に驚いた顔をする。

「でも、ユキさん歩けないですよね……」

「だから連れて行って。言うまでもないけどこの発電所ちょー広いもん」

 突然の申し出に彼は動揺している様子だった。

「いや、でも危ないですよ」

「当然、青年くんが守ってくれるでしょ?」

 これまでは彼が一人で潜り込み、私が外から彼に指示を出す形だった。自由に動き回れない私に代わって彼が単独で侵入するのは確かに合理的だったと思う。

  ――けれど、今回は。

「それに通信用のイヤリングなくしちゃった」

「……何やってるんですか?」

 そんなコト言われても私には答えられない。

「ごめん!」

 私は両手を合わせて彼に頭を下げる。

「…………今度はすぐ教えてくださいね」

 彼はそれだけ言うと台車に手をかける。

 その不器用な温かさが私に向けられているコトに胸がつぶれる心地がした。

 

  ――きっと、昔だったら新鮮な気持ちでこの場所を歩けたのに。

 ふとした時にセンチメンタルな気分になってしまう

私ってこんなに感傷的だったかな。

 どうも今になって昔のコトを思い出しているらしい。彼と出会ってから――いや、正確には彼と一緒に清算を始めてからだ。

 一方で彼はとても楽しそうな様子だった。

「初めて明るい通路を歩いた気がします」

 初めておもちゃを手にした子どもの様な表情。

 本当、馬鹿みたいだ。

 灯りに心を躍らせている彼を見ると無性に苛立つ。

 何も知らないくせに、って。

 この光だって、私にとっては消したくても消えない戦争の傷跡なのに。

「これなら懐中電灯もいらないですね!」

 そう言って笑う彼に、私はなにも言えない。

「ユキさんの事も初めてちゃんと見えました」

 その一言が私の心を突き刺す。

「…………ッ」

 思わず吐き出しそうになる激情を必死に押しとどめる。

 彼の目には私に対する同情や友好を超えたモノが映っている。

  ――もうやめて!

 きっと彼は私に対する感情をまだ知らない。

  ――これ以上、私を見ないで!

 もうすぐにでも彼から逃げたい。

 どうでもいい相手から向けられる好意がいちばん迷惑だって、そんなコト。

 彼の目を見ながら言えるはずがない――――

 ――

 

「ユキさん……?」

 発電所はとんでもなく広い。

「ユキさん!」

  ――もう私に話しかけないで。

 地図があれば楽に制御室まで行けるだろうに。

「どうしたんですか? 急に黙り込んじゃうし様子もなんだかおかし……」

「うるさい!」

 彼はぴくりと立ち止まる。

 彼の腕が小刻みに震えている。

 彼を傷つけたいわけじゃない。

 否定したわけでもない。

  ――違う、君は悪くない。傷つけるつもりはなかったの、ごめん私が全部悪いの。

 そうやって何もかも白状出来たらどれほど楽になれるのかな。

 心の中では分かっているのに。

 全部、私がまいた種なのに。

「ごめん、少し頭が痛くなっちゃった。ちょっと静かにしてくれると嬉しいな」

 彼からどうすればいいのか分からないという雰囲気を感じた。

「ここに置いて行って」

 目的地はすぐそこだ。

 見なくても彼が困惑している姿が頭に浮かぶ。

「これまでと同じように動かしてくれればいい」

 重い沈黙が降りる。

「行って」

 何も、言い返してこない。

彼は台車から手を離すと静かに横を通り過ぎた。

その横顔を見る勇気もなくて、私は静かに俯いていた。

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