第8話
跡部勝資。上杉謙信との交渉を終え帰国。
跡部勝資「殿。戻りました。」
武田勝頼「お疲れ様に御座います。無事に帰国。何よりであります。」
跡部勝資「すみません。私は部下でありますが。勿体無いお言葉。感謝申し上げます。」
武田勝頼「早速だが順を追って教えてくれ。」
跡部勝資「はい。此度の上杉との和睦にあたり、真っ先に同意を得なければならなかったのが我らと同盟関係にあり。共に上杉と相対して来ました北条氏政であります。仮に氏政を無視してうちと上杉が和睦。同盟を締結した場合、当然氏政はうちとの縁を切る事になってしまいます。うちは今、遠江に三河と言いました東海道筋を主戦場にしています。そのためには東の安全は北方の上杉以上に大事であります。ここまで宜しいでしょうか?」
武田勝頼「続けてくれ。」
跡部勝資「後で確認の試験をしても宜しいでしょうか?」
武田勝頼「……構わぬ。」
跡部勝資「わかりました。実際に氏政との交渉を行いました。その結果を先に申し上げますと、
『武田と上杉との和睦を認める。』
と言うものでありました。」
武田勝頼「それは良かった。」
跡部勝資「話はそれだけに留まりません。氏政はうちに対し、お願いをして来ました。」
武田勝頼「と言うと?」
跡部勝資「はい。氏政は
『将軍様からの要請でもある上杉謙信との講和を斡旋して欲しい。』
と申し出て来ました。」
武田勝頼「うちとしては願ったり叶ったりであるが、氏政がわざわざ将軍方を鮮明にする必要は無いであろうに。何故そのような事を言って来たのだ?」
跡部勝資「関東情勢であります。」
武田勝頼「関東は今。北条優位な情勢下にあると聞いているが?」
跡部勝資「はい。関宿城を奪った事により、北関東進出の道が開けた所であります。」
武田勝頼「ならば別に謙信の事は放っておいても構わないのでは無いのか?」
跡部勝資「脅威としては小さなものになっているのは事実であります。ありますが、氏政が求めているのは影響力の大小ではありません。彼が望んでいるのは……。」
上杉謙信が関東に入る事は二度と無い。
跡部勝資「と言う事実であります。関東には安房の里見に常陸の佐竹など北条と渡り合う事の出来る勢力が存在しています。しかし彼らが単独で北条の勢力圏を脅かす事は出来ません。某かの助けが必要であります。ただ残念ながら関東の中で氏政を釘付けに出来る勢力は存在しません。外から関東に入る勢力があって初めて彼らは北条と戦う事が出来るのであります。そんな彼らが期待している人物は独りしか居ません。それが上杉謙信であります。」
北条氏政の同意を取り付ける事に成功した跡部勝資。続いて向かったのが……。
跡部勝資「今まさに上杉謙信と戦っている一向宗であります。尤も彼らを焚き付けているのはうちでありますので、うちが支援を止めれば全て終わると言えばそれまでの話なのではありますが。」
武田勝頼「あまりに無責任過ぎるわな。」
跡部勝資「はい。ただ越中の一向宗に話をしても
『はい。わかりました。』
とは絶対になりませんし、恐らく別の支援者を探す事になるのは目に見えています。場合によっては将軍様の仲介により謙信と手を結び、飛騨を通って深志に押し寄せる危険性も零ではありません。それは避けなければなりません。そこで目を付けましたのが……。」
総本山石山本願寺。
跡部勝資「であります。石山本願寺は今、苦境に立たされています。本願寺のある一向宗の大きな収入源となっているのが近江に越前。加賀に越中からの収益であります。そこからの上がりを石山に運ぶ事により本願寺は成り立っていました。いました。と過去形になっているのには理由があります。そうです。近江は本願寺と対立する織田信長が押さえていますし、そこから石山までの間も同様であります。つまり石山本願寺は北陸からの人と物。そして金銭の流れを断たれた状態にあります。唯一残されたのが紀伊だけであります。
しかも石山の周辺で信長と敵対している勢力は実質本願寺だけであります。信長は長島を制圧しました。越前に兵を進めるのも時間の問題。そして石山も……。本願寺も将軍様同様、信長と戦ってくれる勢力を求めている最中にあります。出来る事であるのなら北陸から石山までの動線を解放してくれる勢力を。」
武田勝頼「打ってつけの人物が1人居る?」
跡部勝資「はい。それが過去二度に渡り上洛を果たし、将軍様のためにのみ働く人物が越後に居ます。彼はこれまで一向宗と対立して来ました。実際に軍事衝突に発展し、幾度となく一向宗側を蹴散らして来ました。にも関わらず彼は『現状維持』で事を収め、越後へ帰って行きました。」
武田勝頼「全てうちが原因なんだけどな……。」
跡部勝資「それを言ってはなりません。」
武田勝頼「申し訳ない。気を付ける。」
跡部勝資「この辺りから話を進めました。勿論これまでのうちとの関係もありまして、無事謙信との和睦に同意していただく事が出来ました。」
武田勝頼「うちに対する要望は?」
跡部勝資「『長島そして三河における無念を晴らして欲しい。』
であります。」
上杉との和睦について北条氏政と本願寺顕如の同意を取り付けた跡部勝資。ここからが本番であり、最難関とも言える上杉謙信との交渉に臨んだのでありましたが……。
跡部勝資「良い報せと悪い報せがあります。まず良い方から報告させていただきます。うちと上杉との和睦が謙信に認められました。」
武田勝頼「本当に!?」
跡部勝資「悪い方があるのですから、良い方で嘘を言っても仕方無いでしょう。」
武田勝頼「お見事。としか言えないのであるが。」
跡部勝資「ありがとうございます。」
武田勝頼「これまでのうちと上杉との事を考えたら、将軍の仲介があるにせよ。正直難しいと思っていたのだが。何かやったのか?」
跡部勝資「正直に申して宜しいでしょうか?」
武田勝頼「構わない。」
跡部勝資「私が一番驚いています。それだけ拍子抜けするぐらいあっさり認めていただく事が出来ました。」
武田勝頼「要因は何であったと考える?」
跡部勝資「将軍様からの指示があった事が切っ掛けであったのは事実であります。これが無ければ謙信を動かす事は出来なかったと思われます。」
武田勝頼「うちに対する憎しみは変わっていない?」
跡部勝資「いえ。応対を見る限り、そのような事はありませんでした。ただ殿の事を
『手強い相手になるであろう。』
と見ていました。」
武田勝頼「そんな警戒している人物が頭を下げて来た方が不自然だよな……。」
跡部勝資「はい。謙信も
『そちらの方から訪ねて来るとは思っていなかった。』
と述べていました。」
武田勝頼「それで交渉については?」
跡部勝資「うちと上杉との和睦については問題無く合意する事が出来ました。」
武田勝頼「上杉内で変化があったのか……。」
跡部勝資「恐らくでありますが、村上義清の死が関係していると思われます。謙信は越後以外については基本。現地からの要請に応じる形で兵を動かしています。関東然り。越中然り。そして北信濃然りであります。村上義清は北信濃の国人。彼が持っていた権益を回復させるべく謙信は兵を信濃に入れ、うちと幾度となく刃を交える事になりました。その村上義清がこの世を去りました。」
武田勝頼「息子が居るだろ?」
跡部勝資「はい。しかし彼は上杉の一族である山浦家を継ぎ、既に越後において基盤を築いています。彼にとって北信濃は父程の思い入れは正直ありませんし、これまで奪還する事が出来なかった事実も見ています。」
武田勝頼「謙信に北信濃出兵を要請する人物が居なくなった事が、うちとの和睦に繋がった?」
跡部勝資「はい。最も大きな要因であると見ています。」
武田勝頼「良い方の話はわかった。感謝します。」
跡部勝資「ありがとうございます。」
武田勝頼「それで悪い方の話はどのような?」
跡部勝資「これは皆を集めた方が宜しいかと……。」
武田勝頼「(話を聞いて)そうだな。しかし皆を集めても解決しない問題かもしれないな。」
跡部勝資「はい。」
躑躅ヶ崎館に常駐する長坂釣閑斎に跡部勝資。それに領内各地を管轄する馬場信春に山県昌景。同じく内藤昌豊に高坂昌信。そして今回は信濃国上田及び上野国吾妻の真田信綱も招集した武田勝頼は、跡部勝資の働きにより上杉との和睦が結ばれる運びになった事。将軍足利義昭を救うべく上杉謙信自らが京に向け兵を進める事を伝えた後……。
武田勝頼「『上杉謙信は関東を棄てる事は出来ない。』
と言って来よった。」
内藤昌豊「上杉はうちとの和睦に同意しているのでありますね?」
跡部勝資「先程殿が仰った通りであります。」
内藤昌豊「北陸を進み上洛を目指す事も表明したのでありますよね?」
跡部勝資「はい。」
内藤昌豊「その交換条件に関東を差し出したのではありませんよね?」
真田信綱「確か上杉と北条の同盟が崩れた原因の1つが土地の問題であったと記憶していますが……。」
武田信玄が駿河を侵攻した際、武田家に同盟破棄を突き付けた北条氏康は上杉謙信と接近。同盟を締結するも上杉謙信による
『山内上杉の領土(主に武蔵地域)を返還せよ。』
の要求に対し、既に領国化を完成していた氏康はこれを拒絶。同盟は機能する事無く終焉を迎えたのでありました。
跡部勝資「もしそうでありましたら和議の話を進める事はありません。その前に持ち帰り、殿に皆様の招集を願い出た上で協議します。」
武田勝頼「同じ事は高坂の北信濃並びに馬場の飛騨越中も同様である。」
馬場信春「……そうなりますと謙信と共闘している佐竹や佐野。更には里見の事を気にしているのか?」
跡部勝資「全く無いとは言えないと思います。今、謙信が関東を放棄した瞬間。氏政がどのような行動に打って出るか目に見えていますので。」
内藤昌豊「しかし現実問題。ここ数年、謙信は上野。入っても下野の入口にある唐沢山までしか兵を動かす事が出来てはおらぬ。」
長坂釣閑斎「安房の里見に至っては、うちと北条の同盟が復活してからも里見はうちと手切れをする事が出来ない状況にある。」
真田信綱「謙信が関東を意識しているとは到底思えませぬ。」
山県昌景「試しに沼田を狙ってみるか?」
真田信綱「流石に(越後からの入口にある)あそこを狙ったら謙信も許さないでしょう。」
高坂昌信「其方ら謙信と和睦する事を忘れてはいないだろうな?そうなりますと……。」
上杉謙信が関東を諦めない理由それは……。
高坂昌信「北条氏政の事でありますね?」
跡部勝資「その通りであります。」
高坂昌信「私は長年。対上杉の最前線を担当しています。謙信とは幾度となく睨み合い。更にはいくさも経験しました。その間気付いた事があります。それは
『謙信は領土欲のために動いているのでは無い。彼を突き動かしているのは筋目である。』
と言う事であります。」
武田勝頼「それが誉め言葉だったら、私の立場は……。」
高坂昌信「いえ。殿やここに居る方々が普通であります。自らの命を危険に晒してまで戦うのでありますから。見返りを求めて当然でありますし、そうで無ければおかしいです。」
内藤昌豊「そう言えば、謙信が関東に入るのは決まって誰かの要請があってからだな……。」
馬場信春「越中も同様であります。」
高坂昌信「私の管轄地につきましてもここ10年。上杉の兵と諍いになっていません。恐らくでありますが、村上義清から国清に代替わりした事。その国清が山浦家を継ぎ上杉の一門になった事。それに伴い越後に基盤が出来た事。そして義清が亡くなった事が影響しているものと思われます。此度の和睦が成立に向かった要因の1つでは無かったかと。」
跡部勝資「高坂の仰る通りであります。」
高坂昌信「私が話した方が角が立たないかな?」
跡部勝資「そうですね。」
高坂昌信「この論理から逸脱している人物が1人居ます。それが先程述べました北条氏政であります。北条はうちと仲違いをした際、謙信との同盟を打診。これに対し、困っている者は見捨てない謙信はこれを受託。以降関東における謙信の活動は、対武田に関するものばかりとなりました。
しかしうちとのいくさで苦境に立たされた氏政は父氏康が亡くなるや否や、うちとの復縁を願ったばかりか上杉との同盟を破棄してしまいました。謙信からすれば
『手前の都合で何勝手な事やっているんだ!』
となるのが自然では無いかと。
氏政に情状酌量の余地はあります。うちと手切れをし、謙信に接近したのは氏政の父である氏康でありましたので。
……とはならないのであります。」
長坂釣閑斎「『実質的な当主は氏康であっても氏康は隠居の身。本来の当主である氏政も当然了解しての事であろう。』」
高坂昌信「良くも悪くも謙信は筋目を重要視する人物であります。故に氏政が、父氏康の事に触れようものなら謙信の心象を更に悪くする事になってしまいます。」
武田勝頼「で。ここからが今日の本題となる。」