第5話
山県昌景「我らの援軍の到着を待たずに降伏。開城してしまいました。」
馬場信春「そこで不可解な事が発生したんだよな?」
山県昌景「はい。城主の菅沼正貞は無事でありました。そして我らに合流しました。」
武田勝頼「城の脱出に成功した?」
山県昌景「いえ。そうではありません。家康に助命されたばかりでなく、そのまま我らの所にやって来ました。」
武田勝頼「何事もなく。と解釈する方が無理な注文か……。」
山県昌景「その通りであります。故に彼に対し身体検査を行いました。まず最初に問うたのは、うちの援軍の存在についてであります。長篠城包囲の報を受けた我らは武田信豊様を中核に据えた後詰め部隊を編成。既に三河に入り、家康の部隊を攻める段取りに着手していた所でありました。勿論、その事は長篠の菅沼正貞にも連絡していました。しかし彼は……。」
「そのような報告は受けていません。」
山県昌景「我らの連絡網でそのような事はあり得ません。人が駄目なら煙があります。幾度となく
『援軍来る。』
を長篠目掛け発信し続けました。もっと言えば……。」
「実際に伝令も戻っています。」
武田勝頼「……どちらかが嘘をついている事になるか……。ただ頻繁に狼煙を上げたら敵に気付かれないか?」
内藤昌豊「いえ。むしろ気付かれた方が良いです。今の家康は我らを恐れていますので。」
山県昌景「『援軍が来ないのであれば。』
と菅沼正貞は降伏。開城してしまいました。疑念はそれだけではありません。」
何故菅沼正貞は、無傷で武田に合流する事が出来たのか?
山県昌景「であります。長篠の菅沼正貞は奥平同様我らが三河へ進出する前は徳川に仕えていました。当然、家康との繋がりはあります。しかし彼は家康を一度裏切りました。家康としては絶対に許す事が出来ない存在であります。その人物が降伏して来ました。もし殿が家康でありましたら彼をどのように処遇しますか?因みに野田の菅沼定盈は徹頭徹尾徳川方を貫いています。」
武田勝頼「助命もしくは帰参を求めるのであれば、それ相応の手土産が必要になるな……。」
山県昌景「仰る通りであります。そうでも無ければ城主本人はおろか彼の持つ兵も含め、家康が手放すはずがありません。ただ……。」
証拠を挙げるまでには至らなかった。
山県昌景「そこに来ての奥平の寝返りであります。」
内藤昌豊「今、山家三方衆の全てが家康と通じていると見ています。故に元長篠城主菅沼正貞を三河から遠く離れた小諸に移しています。」
武田勝頼「(出来る事であれば、長篠攻めは避けなければならない。しかし山県の願いも無碍にする事も出来ないし、その長篠に奥平の息子が入っているとなればなおの事。このまま放置するわけにはいかない。家康に舐められるばかりか、領内の者共への示しもつかない。
しかしあそこにわざわざ奥平の息子を配置している。と言う事は家康がこちらに対し、
『攻めて来い。』
と言っているようなもの。攻めて来た場合の備えは施されていると見て間違いないし、あそこは高天神とは異なり美濃からも近い。それに今、織田領内に兵を動かす事の出来る勢力は他に存在しない。間違いなく信長はやって来る。某かの用意した上で。いや既に長篠城内への仕掛けが完成しているかもしれない。山県だけで攻め込ませるには不確定要素が多過ぎる。
なら山県が準備して来た大岡弥四郎の叛乱を発動させるか?岡崎を奪う事が出来れば家康は長篠どころの騒ぎでは無くなるし、信長との連絡を遮断する事も出来る。
『岡崎を奪う!』
となれば総力戦に打って出る事も可能となる。ただ彼らの話を聞いている内に、実現は難しいとの結論が導き出されている。今動かしても密告者によって潰される事が目に見えている。残念ながら大岡には岡崎を凌駕するだけの手勢を持っていない。彼が頼みとしているのはうちの兵。ほぼ間違いなく失敗に終わる事になる。ならば彼の持つ徳川家康と信康との関係性をより深いものにする事。自らの協力者を増やす事。そして徳川における彼の地位を高める事に尽力してもらう方が、うちにとって得策である。いくさをするしないは別にして。
ん!?長篠だけとなれば難しいが、ここから野田牛久保までとなれば大兵を率いる事も可能となるか……。野田は落とした経験があるし、牛久保は簡単では無いが吉田や浜松に比べれば。しかし無理は禁物。禁物ではあるが何も得る事が出来ずに撤退するわけにはいかない。最低でも長篠を落とさなければならない。そのためには織田信長とのいくさを避ける事は出来ない。そのためには高坂も含め総力戦に打って出るしかない。高坂も連れて行くためには……。)
皆の者。少し宜しいか?」
高坂昌信「『上杉との講和を考えている。』との事でありますか?」
武田勝頼「そうだ。」
馬場信春「しかし殿。上杉は我らとは不倶戴天の敵であり、織田とは同盟関係。その信長の要請により信濃を伺っている情勢にあります。」
内藤昌豊「それを防ぐべく馬場殿が飛騨越中を奔走し、謙信の動きを封じ込めている最中であります。」
武田勝頼「織田信長の勢力を考えた場合、敵対する相手を1つに集中した方が良いのは確かであろう。」
山県昌景「それは間違いありません。」
武田勝頼「喜兵衛居るか?」
武藤喜兵衛「はい。」
武田勝頼「将軍からの書状。持って来てくれ。」
武藤喜兵衛「わかりました。」
武田勝頼「将軍がこのようなものを書いて来よった。」
将軍足利義昭が武田勝頼に送って来た書状。そこに記されていた内容は……。
馬場信春「謙信に対し、『うちと北条。更には一向宗と和睦した上、上洛せよ。』でありますか。」
武田勝頼「そう言う事だ。」
高坂昌信「謙信の性格を考えれば断る事はありません。」
馬場信春「間違いない。」
高坂昌信「謙信が上洛する。と言う事はそのまま信長と敵対する事を意味します。そうなれば信長がうちに集中する事が出来なくなります。」
馬場信春「今、うちの優先事項とも合致する。」
内藤昌豊「そのための障害となっているのがうちと北条。そして一向宗。」
馬場信春「殿は将軍様の要請に依存は無い?」
武田勝頼「故にここに提示している。」
馬場信春「そうなると私の番か……。」
武田勝頼「越中の情勢をどう見ている?」
馬場信春「越中の国人衆及び一揆衆だけでは嫌がらせをするのが手一杯でありますし、私としましても領有化を考えている土地ではありません。」
武田勝頼「和睦の障害となる物は?」
馬場信春「一向宗の事でありますね。彼らは自らの権益を保護されれば敵対する事はありません。加えて越前に織田信長が入りました。今は一揆衆が持っていますが、いずれ長島同様攻め込んで来る事は確実な情勢下にあります。その時、越前の一揆衆が信長に勝つ事は難しいと言わざるを得ません。越前が信長に奪われたら次は加賀。そして越中へと兵を進める事になります。もしその時、織田と上杉が同盟を結んでいた場合彼らの待つ運命は1つしかありません。そうなるぐらいなら……辺りから話を持って行く事は可能であります。うちとしましても今一向宗の持っている権益を利用する事が出来れば善しであります。」
武田勝頼「謙信と和睦しても問題無い?」
馬場信春「御意。」
武田勝頼「そうなると次は……。」