第19話
鳥居強右衛門が何故家臣でも無い奥平に肩入れするのかについて語る高坂昌信の言を聞き……。
跡部勝資「高坂の言う事。わからないわけでは無い。今回はこっちが折れる事にする。しかし。」
高坂昌信「このいくさに敗れた時、全ての責を負う覚悟であります。」
武田勝頼「そこまで言わなくて良い。跡部に高坂。意見してくれた事感謝する。ただこれで信長がここにやって来る事が確実な情勢となった。対信長について皆の意見を聞かせて欲しい。」
山県昌景「まずは織田徳川の進軍路であります。織田信長徳川家康共に岡崎から長篠に向かっていますので、陣を構えるのは城の西を流れます寒狭川西方になる事が予想されます。」
馬場信春「となると其方(山県)が陣を張る有海村近辺を信長は狙って来る事になるな?」
山県昌景「そうなります。」
高坂昌信「兵を回した方が良いか?」
山県昌景「そうしていただけると有難いのは確かな事であります。しかし当地は織田徳川と相対す時、背水の場所になります。加えて川の向こうには長篠城。不測の事態が発生した場合の退却が難しい場所にあります。故に皆さまは今の持ち場。陸地から長篠城を。城より高地から長篠城をそれぞれ睨む任を継続してください。」
武田勝頼「しかしそれでは織田徳川の全てを山県が相手しなければならなくなるぞ。」
山県昌景「私が崩れるようでありましたら、即座に退却して下さい。そのための捨て石に使っていただいて構いません。ただ私は負けません。用兵で以て翻弄する所存であります。」
馬場信春「そう言うわけにはいかぬ。」
山県昌景「川を越える事は許しませぬ。」
武田勝頼「う~~~ん。山県の言う川を越える事の危険性はわかった。ただ其方を失うわけにはいかぬ。山県の陣に織田徳川が向かっている事を確認し次第、皆に動員を掛ける。」
皆「わかりました。」
武田勝頼「そして山県も退却する事を忘れてはならぬ。これは厳命する。」
山県昌景「殿の御言葉でありましたら。」
武田勝頼「補給に問題は無いか?」
内藤昌豊「遠江三河共に順調に到着。各陣への配布についても問題ありません。」
これまで同様長篠城に対する備え並びに織田徳川の進出に注視する事を命じ軍議は終了。その頃、織田徳川連合軍は牛久保を経由し北上。
山県昌景「織田信長が我が陣より更に西。連吾川向こうに着陣した模様であります」
武田勝頼「向かってくる様子があったらすぐに連絡する様に。」
山県昌景「わかりました。」
満を持して武田勝頼の前に現れた織田信長。いよいよ両者が激突。……とはいかないようでありまして……。
武藤喜兵衛「山県様より報告が入りました。」
武田勝頼「押し出して来たか?」
武藤喜兵衛「いえ。そうではありません。信長の様子がおかしいと……。」
武田勝頼「どう言う事だ?」
武藤喜兵衛「『とにかく説明に伺いたい。』と。」
武田勝頼「いや。私が行った方が良い。こちらの備え頼むぞ。」
武藤喜兵衛「わかりました。」
山県昌景陣。
山県昌景「殿。御足労申し訳御座いません。」
武田勝頼「いや。今、其方がここを離れては不測の事態に後れを取ってしまう。それに私も様子を伺おうと思って。」
山県昌景「殿。あちらを。」
連吾川対岸を指差す山県昌景。それを見やる武田勝頼。
武田勝頼「確か鳥居は、信長はほぼ全軍を引き連れて向かうと言っていたよな?」
山県昌景「その数。3万を超えるものと。」
武田勝頼「しかしここから見る限りではあるが……。」
山県昌景「とてもその数が居るとは思えませぬ。それに援軍が来た事を城内に知らせるため。こちらに対しては、このまま囲っていたら挟み撃ちに遭いますよ。速やかに撤退して下さい。を知らしめるために援軍は目立つ場所に。それも大兵を率いているように見せるものであります。とりわけ織田の兵数が多い事は皆が知っている事であります。」
武田勝頼「もし今の様子を長篠城内の者共が見たとしたら……。」
山県昌景「落胆する者も出て来るのでは無いかと。」
武田勝頼「大岡から何か情報は入っているか?」
山県昌景「織田の兵の数は3万を超えています。岡崎を出発しています。三河に敵は我らだけでありますので、全ての者があそこに居る事は確かであります。」
武田勝頼「ほかに変わった事は?」
山県昌景「大量の鉄砲と弾薬を持っています。信長はその鉄砲を活用して来る事に間違いありません。」
武田勝頼「家康が用意した物はあるか?」
山県昌景「武器弾薬並びに兵糧については織田から供出されています。ただ……。」
武田勝頼「どうした?」
山県昌景「信長から大量の木の伐り出しと指定された長さへの加工。並びに紐の用意を依頼され、信長の到着前に全ての作業を終えています。」
武田勝頼「それらを活用している様子は?」
山県昌景「何やら作業をしているのは見えます。物見を出しましょうか?」
武田勝頼「いや。敵が何処に潜んでいるかわからぬ中、無闇に動くのは良くない。一度、皆を集める。」
山県昌景「わかりました。しかしここは良くありません。一度本陣に戻りましょう。」
少し戻って小諸。
菅沼正貞「信長は鷹狩と称し、頻繁に徳川領に出入りしていました。」
高坂昌信「長篠も。でありますか?」
菅沼正貞「はい。」
高坂昌信「目的は?」
菅沼正貞「鷹狩でありますので、恐らく徳川領内の様子を探る事及び軍事演習では無いでしょうか。」
高坂昌信「となりますと我らといくさとなった時の迎撃場所も……。」
菅沼正貞「想定していると考えて間違いありません。」
武田勝頼本陣。
馬場信春「3万居るようには見えない?」
山県昌景「はい。」
内藤昌豊「大岡の情報は確かか?」
山県昌景「これまでの事を考えれば間違いありません。」
穴山信君「私の所(山県昌景陣の南に位置する篠場野)からも3万もの軍勢が居るようには見えません。」
長坂釣閑斎「『号して』と言う可能性は無いか?」
跡部勝資「もしそうでありましたら浜松における失態を繰り返す事になってしまいます。」
浜松における失態。三方ヶ原の戦いで勝利を収めた武田信玄が逃げる徳川家康を追い掛け浜松城に達するも、城門が開け放たれている様子を見た武田信玄が
『これは罠に違いない。』
と判断。攻城を止めるも、実際は何の仕掛けも施されていなかった。徳川家康を討ち果たす千載一遇の好機を逃してしまった事が……。
跡部勝資「長篠を奪われる原因になってしまったのでありまするぞ。亡き御館様の判断を間違えさせたのも、『空城の計』なるなまじの知識をひけらかした……。」
内藤昌豊「山県を……。」
山県昌景「いや内藤。跡部の言う通りである。今の現状を産み出したのは全て私の責任。臆病者の誹り。甘んじて受け入れる。」
武田勝頼「ただ山県は最前線の。それも一番槍を受け持つ役割。それだけ危険な場所を担当している。慎重にも慎重を期さなければならない立場にある事を跡部も理解しなければならぬ。」
跡部勝資「申し訳御座いません。」
武田勝頼「それに私も山県の陣から敵の様子を見ている。山県と同じ感想である。」
跡部勝資「しかしこのまま手を拱いているわけにはいきません。ここは敵地であります。時が経つに従い、状況が悪化の一途を辿る事になってしまいます。」
高坂昌信「ならば物見を出しましょう。」
武田勝頼「頼み事が出来るか?」
高坂昌信「えぇ。尤も早道も忍も殿からお預かりしている立場にあります。それに先の鳥居の後、周囲を隈なく調べさせています。」
武田勝頼「お願いする。しかし無理は禁物。深入りしてはならぬ事厳命するように。」
高坂昌信「わかりました。では早速。」
織田信長、徳川家康の陣を探るため出された早道之一番、忍之名人両名が高坂昌信の下に帰還。
高坂昌信「……やはりそうか……。」
武田勝頼本陣。
高坂昌信「申し上げます。織田信長、徳川家康両軍は連吾川左岸の谷底低地に陣を構築していました。」
馬場信春「段丘の上では無いのか?」
高坂昌信「はい。急坂となっている段丘崖を背にしていました。」
少し戻って小諸。
菅沼正貞「奥平貞能は、武田の軍法並びに強みを知り尽くしています。」
高坂昌信「その強みとは?」
菅沼正貞「勿論、馬の活用であります。馬の持つ速さは馬の産地を持たない織田、徳川にとって脅威となっています。これを如何にして封じ込めるか?織田信長は思案しているのでは無いかと。」
高坂昌信「適地となり得る可能性のある場所は?」
菅沼正貞「徳川家康は何処からでも長篠に行く事が出来ます。しかし三方ヶ原以降の奴の話を聞く限り、家康が単独で長篠城の救援にあたる事はあり得ません。となりますと織田信長。信長は岩村経由で入る事も考える事が出来ます。出来ますが、今回は家康の救援が目的であります。加えて武田の障害無しに辿り着く事が出来る岡崎経由。西からの侵入になると見て間違いありません。そうなりますと……。」
武田勝頼本陣。
高坂昌信「織田徳川が陣を構えた場所の東。我らの進行方向にあたる場所は湿地帯であります。そのため我らが通る事の出来る場所は限定される事になります。」
馬場信春「そうなると馬の活用は難しい?」
高坂昌信「通る事が出来ないわけではありません。ありませんが、全軍で以て突撃する事は出来ません。出来るとすれば一隊ずつ交互となります。」
内藤昌豊「中途半端に見えるな。」
高坂昌信「と申されますと?」
内藤昌豊「我らの特徴である馬を封じる事を考えるのであれば、馬を活用する事が不可能な。道すら存在しない深田とか葦の生い茂る場所を進ませるように仕向ける。要は我らの戦意を削ぐ。もしくは無謀な突撃に追い込む所を選ぶのだが。」
高坂昌信「はい。」
内藤昌豊「これでは
『どうぞ。馬ごとこちらへ来て下さい。』
と招き入れているように見える。」
山県昌景「我らを舐めているのか。それとも適当な土地が無かったのか。もしくは内藤の言うように我らを誘い込もうと考えているのか……。」
跡部勝資「敵の数はわかりますか?」
高坂昌信「大岡からの報告の通り。3万を超える軍勢が居る事を確認しています。」
跡部勝資「となりますと、内藤殿のお考えを?」
高坂昌信「信長も採用していると見て間違いありません。」