第11話
跡部勝資。上杉謙信との会談を終え、帰国。
武田勝頼「越後との折衝。感謝する。」
跡部勝資「与えられた仕事をしているだけであります。」
武田勝頼「そう言わんと。ところで謙信の様子はどうであった?」
跡部勝資「帰りの途中。海津の高坂殿に会いまして、事の次第を話しました。高坂殿は高坂殿で普段から越後の情勢を収集しています故、表に出ていない情報があるやもしれませんので。」
高坂昌信「それならば、一緒に殿の所に行きましょう。と今回、殿の下を訪れた次第であります。」
武田勝頼「留守にして問題無いか?」
高坂昌信「謙信は約束は守りますし、ここ(躑躅ヶ崎)でありましたらすぐに情報が届く手筈になっていますので。」
武田勝頼「わかった。では改めて謙信はどう見ている?」
跡部勝資「一言『信用はしていません。』と……。」
武田勝頼「うちの事か?それとも氏政の事か?それとも両方か?」
跡部勝資「両方である事は確かであります。ただうちの方がマシでは無いかと。」
武田勝頼「何故?」
高坂昌信「御館様が逝去されたからであります。もし亡き御館様が健在であった場合、謙信が今回の和睦を受け入れる事はあり得ません。理由は述べるまでもありません。将軍様の斡旋を利用するような御館様でありましたので。」
武田勝頼「全ては私に掛かっている?」
高坂昌信「はい。越後との関係正常化を心の底から願い、実行するか否かであります。越後との国境については問題ありません。私が管轄していますので。越中につきましても将軍様を介し、上杉と本願寺の和睦が成立しました。これを馬場様も認めました。後残るのが上野であります。」
跡部勝資「これにつきまして謙信は、『現状の境目で構わない。』との言質を取っています。利根川が境となります。内藤、真田共に不本意な所があるとは思われますが……。」
高坂昌信「ここに来る前に当人に伝え、了承を取り付けています。」
武田勝頼「何から何まで申し訳ない。」
跡部勝資「しかしそれだけでは上野の問題は解決しません。そうです。北条氏政であります。」
高坂昌信「氏政はうちと縁を切って謙信と手を結んだ数年後に、うちと復縁をした上で謙信との縁を切っています。それも自分の弟を越後に送ったままで。を実行に移した人物であります。その当事者であり、被害であるのが上杉謙信であります。あれからまだ4年しか経っていません。謙信は今回の和睦について殿の顔を立てるために応じたのであって、状況が落ち着けば氏政は和睦を破棄すると考えています。」
武田勝頼「謙信の考えは、氏政を亡き者にしたい?」
跡部勝資「いえ。そうは考えていません。今の状況。織田信長とのいくさを想定した場合、南の安全は必要不可欠であります。そのためにはうちと北条が揺らぐ。滅亡すると言う事を謙信は望んでいません。ただ謙信はいずれうちと北条とのいくさが再開する事も忘れていません。そのきっかけとなるのが三者の内の誰かが目的を達成した時であります。うちと上杉は織田信長を倒した時。北条は関東を掌握した時であります。」
武田勝頼「最初に到達するのは氏政と見ている?」
跡部勝資「間違いありません。」
武田勝頼「つまり謙信は、氏政に勝たせるわけにはいかない。かと言って滅びてしまうのも良くない。氏政がずっと関東の東でのいくさに明け暮れなければならない状況に追い込む必要がある。」
跡部勝資「はい。」
武田勝頼「しかし謙信自らが関東に入る術を絶ってしまったため、氏政の膨張を自らの手で封じ込める事は出来なくなってしまった。」
跡部勝資「はい。」
武田勝頼「となると……。」
高坂昌信「うちが里見に対して行っている事を謙信も考えています。」
安房の里見は北条と上杉が和睦した際、新たな提携先を求めたのが北条と袂を分かった武田信玄。その後、武田と北条の関係が復活するも連絡体制は継続中。
武田勝頼「しかしうちが里見に出来る事は何も無いぞ。」
跡部勝資「はい。氏政の話を聞いていますと、
『里見を滅ぼすまでは考えていない。現実問題難しい。同じ事は下総にも下野にも言える。常陸の小田同様傘下に収める施策を考えている。』と。」
高坂昌信「あとは養子を送り込んで家臣もろとも北条家臣団に組み込んでいくものと思われます。」
武田勝頼「里見がそれに従うかどうか……。謙信は里見についてどう考えているんだ?」
跡部勝資「氏政と同じでありましょう。
『その都度その都度相手を変えて保身に奔る者を嫌う人物でありますので。』」
高坂昌信「元を辿れば謙信が北条と手を携えたからでありますが。」
武田勝頼「これにうちも加わったとなれば、北条を牽制出来る勢力は居なくなる。」
跡部勝資「里見が北条の軍門に降るのは時間の問題では無いかと。」
武田勝頼「謙信はそれを望んでは居ない?」
跡部勝資「はい。」
武田勝頼「しかし里見を軍事支援する事はもはや出来ない。」
跡部勝資「はい。故に謙信は里見との関係を復活させる事はありません。」
武田勝頼「そうなると……。」
跡部勝資「はい。謙信が頼みとしているのが常陸の佐竹義重であります。佐竹義重は同じ常陸の小田氏治を破り常陸の大半を手中に収めたばかりでなく、陸奥にまで勢力を拡げています。加えて義重は下妻、多功において北条氏政自身が出馬したいくさに二度に渡り勝利した人物であります。」
高坂昌信「上杉謙信が佐竹義重に期待するのはそれだけではありません。先程跡部が述べたように義重は陸奥に勢力を伸ばしています。相手は蘆名であります。蘆名の本拠地は会津。謙信の本拠地である越後の東に位置しています。」
武田勝頼「佐竹と蘆名を戦わせることによって、会津からの脅威を取り除こうとも考えている?」
跡部勝資「はい。」
武田勝頼「義重が氏政を追い払った時期は?」
跡部勝資「元亀2年の事であります。」
武田勝頼「その時、北条と上杉の関係は?」
跡部勝資「下妻の時はまだ氏康が存命中でありましたので、同盟関係は続いていました。しかし多功の時は微妙な時期にあたります。」
武田勝頼「2つのいくさに際し、謙信は兵を出していない?」
跡部勝資「ありません。」
武田勝頼「義重は謙信の事をどう思っている?」
高坂昌信「北条が関宿を囲った時、謙信は兵を進める事はありませんでした。理由は
『関東の諸将が動かなかったから。』
でありますが、それに対する義重の考えが伝わっています。」
武田勝頼「教えてくれ。」
跡部勝資「『お前(上杉謙信)が動けば勝手について来る。』」
高坂昌信「『要は(謙信は)北条と戦いたくは無いのであろう。』
と。その後、謙信は義重との面会を求めて来ました。これに対する義重の本心は?と言いますと。」
跡部勝資「『持ち上げておきさえすればそれで良い。どうせあいつが後生大事にするのは都の位だけしか無いのだから。』」
高坂昌信「このように申していたとの事であります。」
武田勝頼「そんなこと言って大丈夫なのか?」
跡部勝資「『今、義重を亡き者にしたら誰が北条の暴走を止める事が出来るのか?西を目指す謙信の背後の安全。蘆名の目を西に向けさせないようにする事が出来るのは誰であるのか?それを知った上で、成敗するならして下さい。』
であります。」
高坂昌信「勿論、謙信とのいくさを義重は望んではいません。いませんが、謙信が二度と関東に入る事が無い事も義重は知っています。謙信の関心は北陸にありますし、上杉と北条が同盟を結んでいますので。それにも関わらず
『北条を牽制してくれ。』
と言うのでありましたら、それ相応の支援を約束して下さい。佐竹が欲しているものと言えば勿論、鉄砲と弾薬であります。」
武田勝頼「佐竹義重の要請に対し、謙信はどう答えている?」
跡部勝資「『売る物があれば幾らでも。』と。」
武田勝頼「常陸に名物はあるのか?」
跡部勝資「絹があります。」
武田勝頼「絹は越後には……。」
高坂昌信「あそこは青苧。麻の原料が特産品でありますので、越後とぶつかる事はありません。ただ……。」
武田勝頼「ただ?」
高坂昌信「絹は信長の特産品でありますので、京で捌く事が出来るかどうか定かではありません。更に常陸から上野、越後までの道のりは途中の下野が北条に脅かされているなど安全ではありません。とは言え、謙信からすれば京に持って行く事の出来る品が増える事には反対していない模様であります。」
武田勝頼「しかし絹だけでは北条と戦うだけの鉄砲、弾薬を手に入れる事は難しいのでは?」
跡部勝資「常陸にはもう1つ特産品があります。それは金です。金があれば、鉄砲の大量保有も可能になるのでは無いかと。」
武田勝頼「さっきから気になっていたけど。」
跡部勝資「何でありましょうか?」
武田勝頼「謙信って、そんな簡単に鉄砲を手に入れる事が出来るの?」
高坂昌信「あそこは自前の船を持っていますし、越後の船は出雲石見にも出入りしています。その先には唐があります。故に堺。信長を介す事無く鉄砲と弾薬を手に入れる事が出来る体制にあります。」
武田勝頼「越後を通せば、うちも鉄砲を手に入れる事が……。」
高坂昌信「可能になるかと。」
武田勝頼「吹っ掛けたりは?」
高坂昌信「我が領内の名産に麻織物があります。その原料となるのが青苧。仕入れ先は越後であります。その越後とは長年いくさが絶える事がありませんでした。しかしその間も供給の制限を加えられたり、入値を上げられた事はありません。」
跡部勝資「尤も鉄砲と弾薬は、越後が脅かされる恐れがある品であります。敵対する勢力に売る事はありません。しかし今は違います。勿論無償ではありませんが、うちが越後から弾薬を手に入れる事は可能であります。
加えて甲斐、信濃は耕作に不向きな土地でありますので、換金作物を多数取り揃えています。そして何より金があります。」
高坂昌信「本来であればここに駿河や高天神の海。船を用いる事が出来れば更に良いのではありますが、現状。西への道は閉ざされています。」
武田勝頼「徳川織田を打ち破れば?」
高坂昌信「はい。ただ忘れてはならない事があります。それは鉄砲と弾薬を自給する事が出来ない事。誰かの手を介さなければ手に入れる事が出来ない事であります。けっして浪費するようないくさをしてはなりません。」




