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作文
おれか小学生だった頃
担任の女性教師に
おれが書いた作文を
同じ教室の
みんなの前で
たびたび披露して貰った
おれは学校の勉強は
キライだったが
詩や作文だけは
得意だった
それは中学生に
なってからも
相変わらずで
国語の授業を
受け持っていた
先生に
よく自作の作文や
短歌を
学校の文集に
載せて貰った
同じく中学校の
修学旅行に
行った後
その感想を
俳句か短歌にして
創りなさいと
言われたので
おれは3篇ほど書いて
それを国語の先生の
ところまで
持って行った
最初の2篇は
軽く否されたが
最後の作を読んで
急にニコニコしながら
「これは良いんじゃ
ないですか?」と
言われた
「法隆寺 阿修羅の中に 我を見る」
という作品だった
それを書いた
理由を
尋ねられたので
おれはこう言った
「今は苦しくても
そのうちラクに
なる時が
必ず来る
という気持ちで
書きました」
そう言うと
先生は納得した顔をして
後日文集に
その作品を
載せてくれた
今から思うと
小学生
中学生の頃が
今のおれの
原点だった




