男の視点
ある日の夕方、風に吹かれて美しい歌声が聞こえてきた。私は持ち前の好奇心から、さっそくその歌声の場所へ向かうことを決意した。
さほど高くはない山の頂上に、鳥居もない小さな神社があった。社へ続く山道の一本道も、石段に向かう途中の山道も随分と荒れていた。が、社だけは綺麗に手入れされていたのを覚えている。
その石段の中程に、2人の少女が座って歌を歌っていた。いや、「歌う」というよりかは「口遊んでいた」の方が適切かもしれない。途切れるようで途切れずに、ゆったりと、それでいて抑揚のある透き通った歌声だった。まるで、脳内に直接送り込まれているかの様な感覚に陥った。一度聞いただけで私はすっかり、その歌声と姉妹の虜になっていた。
夕方、私が石段に行くと必ず2人はいて、歌を口遊んでいた。何度か聴きに通ううちに2人と会話をする事も増えてきた。聞けば、2人は2歳差の姉妹だそうだ。幼いころからこの境内で遊んでいるから、時々社の掃除もしているらしい。
色々な事を話していくうちに、口遊んでいる歌も教えてもらった。その時の私は凄く喜んだが、2人の前で歌う事は決して無かった。むしろ、2人の前では歌わないように、と心に固く決めていた。2人の口遊むのは、私が歌うのなんかよりもずっと美しく、あたたかく、心地よかった。そこに私が足を踏み入れる事で、私がその聖域を侵してしまうような気がしたのだ。
それでも、家に帰ると時々、無意識のうちに歌っている事もあった。その度にハッとするのだが、同時にあの歌の心地よさを感じていた。
2人に初めて会った時から2週間は経っただろうか。その頃には私は毎日石段に通い、1日中入り浸るようになっていた。あの姉妹の歌を聴くために、あの2人に会うために、惜しげもなく毎日通った。2人と一緒にいる時間が、私には甘美でとても輝いていた。もう、元の生活には戻るには遅すぎた。
ところがある日、急に2人が石段に来なくなった。初めは石段周辺も探してみたのだが、見当たらなかった。1日中待った日もあったが、2人は来なかった。それからも私は待ち続けた。
社はどんどん荒れていった。
その後どうしても気になった私は、2人の行方を調べることにした。昼夜を問わず調べに調べた。そうしたら、2人は遠くへ越していた事が分かった。そして、越してきた数日後に死亡していたことも分かった。正確な死因までは分からなかったが、噂に聞くところ自殺らしい。2人で首を吊って死んだそうだ。死の瞬間まで、最期の一時まで一緒にいた姉妹。私にはそれがなんとも美しく思えたのである。
あれから数か月経った。2人が生きていれば姉は18歳、妹は16歳だろう。2人のいなくなった社はすっかり朽ちてしまった。1人で座る石段は木漏れ日に照らされて、ほんのり暖かい。思い出の石段。記憶が引き出してくるこの心地よさ。ここに座っている時、私はとても穏やかな気持ちに沈み込むことが出来る。
私はあの2人の歌を口遊みながら、静かに微笑んだ。