8 トーマニカ村の惨状
スキーに憑いていた物霊のおかげもあって、予定よりもずっと早くトーマニカに着くことができた。
村の入り口から出口まで100歩程の小さな村。
数日前まではここに、帝国からの移民とその近親縁者が暮らしていた……はずだ。
「…ひっでーな。」
「…本当にね。」
壊れた戸口に崩れた屋根。藁葺きの木造住宅の多くは良くて半壊、中には全壊しているものも多く、その上に降り積もる雪でより一層の荒廃感をもたらしている。
「…これは俺でもわかるぞ。ここの連中は一体何やらかしたんだよ。」
オリヴィエルが顔をしかめて呟く。
先程まで怒り心頭だったのはすっかり忘れているらしい。
13世帯27名の暮らす村が巨大な熊に襲われた。
死者9名、行方不明者5名。村の生存者の半分は行商や漁などで村を離れていた者で、もう半分は惨劇のなか生き残った者である。
被害の規模の大小はあれど、獣害自体はこの時代珍しいものではない。だがしかし、今回に関しては目撃証言が異質だった。
『双頭の子熊を連れた、三つ目の巨大な熊に襲われた』
近隣の街に保護された生存者が、口を揃えて言うのである。
ラップランドは精霊信仰が深い。
自身の館で寝ていたこの地方の領主は、信心深いサーミの族長に叩き起こされ、着の身着のままトナカイ馬車に放り込まれ、中央政府まで連れていかれたらしい。
そのまま国へ報告があがり、ただの獣害か否かを判断するため、ヨリたち『視え』手に調査命令が下る運びとなった。
この間3日。中央政府までの距離と交通の便とを考えると、驚くべき速さである。
実際に、村を目の前にしたヨリの感想は「うわあ」だ。
これは、間違いなく、明らかに『良くないもの』の仕業である。
雪によって大分沈静化されているが、辺りに漂う混乱・恐怖・悲しみの気配。
そして禍々しいほどの怒りのエネルギーが渦を巻いて村全体を覆っている。
「何があったかわかるか」
周囲を見回っていたオリヴィエルが戻ってきた。
「うーん。ものすごく怒ってるってこと以外は、ここからは何とも。誰か残っていれば聞けるかと思ったんだけど…。これだけ降ってると、皆さん雪で浄化されて、昇って行ってしまったみたいね。」
雪には浄化の力がある。
白さと冷たさと儚さとで、悪いものを吸収し鎮めてくれる。
苦しかったり悲しかったり辛かったりという思いは、その場に残りやすい。
残った思いは天に昇る枷になる。
負の思いが多く溜まった土地には、良くないものたちが集まり、良くないことが起こる。
この世での命が終わったあと、無事に、直ちに天に昇ることができたというのはとても喜ばしいことなのだ。
「ちっ」
喜ばしいのだから、舌打ちはやめていただきたい。
とはいえ、雪による浄化作用を上回るほどに「何か」を怒らせた理由があるはず。それがわからないことには、ここいら一帯が他の『良くないもの』を呼び込んでしまい、村は復興できないし、ヨリの仕事も終わらない。
そして、今のヨリにはこんなエネルギッシュな『悪意ある何か』と面と向かって戦うための装備も体力も持ち合わせていないので、できるだけ早くこの場から退散したいというのが本音である。
「話できるやついねーのかよ」
「まともな小人や精霊はこうゆうとこには近づかないのよ。・・雪の精に聞けないこともないけど・・この子達は、ねえ」
人でも物でも精霊でも、生まれたては赤子なのだ。
年月を経たものほど知恵をもち賢い。
雪の精のように、生まれては消え、消えては生まれて、の短いサイクルを廻っている子達は、周囲の出来事に全く興味がない上ーーーそろって幼く会話が難しい。
試しに話しかけてみるが、
「こんにちわ。白く淡い雪の皆さん、ちょっとお話ししま」
『あーい!きゃははははは』
『なーにー!きゃははははは』
『よんだのー!きゃははははは』
「ここの場所を襲ったのは誰か、見た子は」
『きゃははははは!こわいのよー!』
『きゃははははは!おこってるのよー!』
「何に怒ってるのかおし」
『もういなーい!ないなーい!』
『ばいばいしたー!ばいばーい!』
…うん。だめだこりゃ。
精神がごりごり削られる。
ヨリは早々に諦めて他の手を考えることにする。
彼らのように短い生命を楽しむことに全力を費やしている精達は、彼らが話したいことを話すだけ。
こちらが聞きたいことを教えてくれるわけではないのだ。
話しかけられて大喜びな雪の子たちが我先にとヨリに集まって、頭も体も雪だらけになってしまったのをそっと払いながら、さてどうしたものかと考えていると。
『話しがしたいのかい。お嬢さん』
この渋イイ声はスキー氏である。
『私の基になった樹がこの奥にいるようだ。話がしたいなら案内しよう』
「!!!」
持つべきものは、イイ声の、イイ感じに年月を経た物霊である。