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イースト・ヤードの魔法使い  作者: さびお
走れトロイカ編
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7 あの森越えて黒い瞳が待っている②

兆候は、秋口頃からあった。


長い冬を迎える前の冬支度。

狩や漁がこれまで以上に活発になり、本格的な冬を前に少しでも多くの蓄えを作るため、山も川も、罠と仕掛けでいっぱいにした。


そんなトーマニカ村の周囲で、一匹の雌熊が度々目撃されるようになっていた。


それは、産卵で遡上してきたサーモンを捕るための仕掛けの程近くだったり、海猟用の舟がある波止場近くだったり、狩った獣の肉や皮を吊るした干場に続く道であったり。


単純に大きい個体なのか、腹に仔がいるのか。

肉付きがよく、仕留められれば冬の大きな備蓄になると勇んだ者もおり、狩の腕に覚えのある男たちが交代で夜番をして機会を探ったが、射程距離内には決して近づかず、遠くからじっとこちらの様子を窺っているような賢い雌だった。


狩猟も近隣のサーミの村への行商も男達が出る。

日中村を預かり、保存食作りをしているのは女子供である。


冬場の大切な蓄えの周囲に大型の肉食獣の気配。

トーマニカの村はどこかひりついた緊張感を持ちながら、冬を迎えていった。


オセ・グレインは隣国の帝国生まれだ。

父親のヤコブ・グレインはトーマニカ村の村長で、帝国からの移住の際、中心となった人物だ。

ラップランドの街に難民としてやってきたのが約10年前、トーマニカの村を興して7年目の冬だった。

渡ってきた際には子供だったオセも、今では2児の父。春には3人目が生まれる予定だ。


秋に村を騒がせた熊も、冬眠に入ったのかぱたりと姿を見せなくなっていた。

身重の妻と幼子を持つオセとしては、大型の熊などと関わり合いたくもなく、影が遠退いたことにほっとしていた。


ラップランドは 多神教で、自然や動物を含め、身のまわりの多くの物に神が宿っていると信じられている。

食べるため、生きるため以外の殺生は忌避され、中でも山の神の使いだとされている熊はとりわけ大事にされていた。


実際に、行商の際にサーミの町の警ら隊に相談をした時には、山に熊がいるのは当然だろう、敬意を持つように、と諭されてしまう始末。実害がないのに討伐対象にはとてもならないのだ。

帝国に生まれ、帝国語で教育を受けたオセにとって、神は帝国国教会の認める唯一神のみ。

山の神とされる熊の敬い方は、オセにはわからなかった。


そうこうしているうちに、秋が深まり冬になり、雪解けにはまだ早いが春の兆しが薄らと辺りに感じられるようになった頃。

(くだん)の雌熊が再び村の周りに姿を現すようになったのだ。


冬眠中に出産したらしい。2匹の仔を連れていた。

仔連れで警戒しているのか、秋口ほどは頻繁に姿を見せなかったが、仔熊たちは好奇心旺盛なようで野山のあちらこちらで仲良くじゃれ合っている様子を見かけた。


春近しとはいえ、まだまだ山間(やまあい)は根深く雪が残っている時節。

冬眠明けの腹を空かせた親子熊が満足できるほど、十分な食べ物を確保出来ているのだろうか。

オセの疑問に答えるかのように、時おり村の備蓄食料が荒らされる、という事態が起こるようになった。


最初に気がついたのは、行商を担っているオセだった。

オセは、移住してきた際にまだ子供だった事が功を奏し、村で最もサーミ語を話すことができた。

サーミの街での前回の行商時に頼まれていた、秋に捕ったサーモンの身を干した保存食。さばいた半身を皮付きのまま縦に細長く切り、海水で洗って潮風に当て、カチカチになるまで干したものだ。そのため塩辛く、身は石のように硬いのだが、炙って酒のつまみにしてもスープにしても旨い。

その備蓄が倉庫からごっそり減っているのだ。


また別の日には、冬の漁で獲ってきた加工前の魚や蟹が、桶ごとなくなっていた。魚の加工や下処理は女たちの仕事で、オセの身重の妻からの報告だった。


子を持つ親として、オセは熊の親子に同情的だった。

村に、特に父である村長に知られると大事になる。

行商の帰りにサービスで多くもらった分をわざと獣道に置いたり、下処理で出る魚の(あら)などを密かにもらい、村外れの広場にある大木の影に置いたりしていた。

備蓄食料への直接の手出しをやめてくれれば良いと願っての事だった。


だが、熊親子、特に仔熊が備蓄庫の回りを徘徊していた、扉を引っ掻いていた、雪室を壊し中からシャーベット状の肉や魚を持ち去ったと、目撃談は増え続け、遂には村全体の知るところとなってしまった。


これに腹を立てたのが父親世代の男たちである。

父親のヤコブを含め、帝国の貧しい村を脱して命からがら王国(フィンランディア)へと移住してきた者たちだ。

彼らにとって食べ物とは、生死を分ける糧であるのだ。

食料を野生動物と分かち合うなどと、とんでもなかった。


男達を中心に、熊親子への反感が高まっていったある日。

森に仕掛けていた箱罠に、仔熊の片方がかかった。

オセがこの冬最後の行商に出掛けていた間の出来事だった。


母熊は子を助けだそうと、罠を壊そうと大暴れしたそうだ。

騒ぎを聞きつけ集まってきた村の男達が2人、重傷を負った。

猟に出ていた男衆も呼び戻し、総掛かりで駆除にあたり、母熊と罠にかかった仔熊が討伐された。

半狂乱になった母熊は手強く、反撃を受けて負傷した者、重傷を負った者を多く出してしまった。後味の悪い決着となったことにヤコブは渋面だったらしい


そしてその夜。

トーマニカ村は壊滅する。

双頭の小熊を連れた、空を覆うほどの巨熊によって。

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