4 高鳴れバイヤン軽やかに
( 機嫌悪いなあ。)
ヨリは肩を怒らせて突き進む連れに気づかれないよう、そっとため息をつく。
先ほどから、どす黒い怒気のオーラに怯えた風や雪の精と森の小人たちがオリヴィエルを避けていくので、道程が非常に進みやすいものとなっている。
なんだこれは。
過去に海を割ったという聖人か。
理由は想像がつくのだけど。
オリヴィエルは子供扱いされるのと、女の子に間違われるのを何よりも嫌っている。
少し前までは、里帰りの度にヨリの母親のエミリーによって、着せ替え人形のごとく散々飾り立てられてもにこにこしていたのに。
今となっては実家に飾ってある大量の絵姿 (ほぼ女装)を蛇蝎のごとく嫌っていて、見つけては破壊しようとするので全て外して倉庫に隠されている。
思春期男子とは難儀なものだ。
天使と見紛う相貌の美しく弧を描く唇は、基本身内以外には口も心も開かれない。(開いたところで悪態ばかりなのだが)
オリヴィエルの未だ細く華奢な体格も合間って、絶世の美少女に間違えられがちなのは、仕方のないことだと思うのだ。
今朝宿屋で貸してもらった北方地域の防寒衣装も、とてもとても可愛いらしく、本当に良く似合っている。
貸してくださった女将さんと、目があった際に無言でガッツポーズを交わしてしまったくらいだ。
豪快なVサインで返してくれた。
カラフルなキルトの上着に、トナカイの皮製の帽子、靴も同じくトナカイ毛皮で作られているもので、靴の先端部分は上向きに尖っている。
この尖った先に、スノーシューと呼ばれる雪上を歩くための用具を引っ掛けて固定するのだそうだ。
スノーシューは北欧地域で使われている雪路用の走行補助具なのだが、似た用途のものは他地域にも多数存在している。
ヨリの生まれ育った谷にも形の違うものがあり、今回も持ってきていた。
ヨリが持ってきたのは、U字に曲げた木の枝を上下に輪にして固定し、間に滑り止めの爪を挟み込んだものだ。
挟み込んだ爪の左右から、側面に橋を渡すように紐を渡し、そこに足を固定して雪道を歩く。
足の接地面を増やし、浮力をつけることで雪に沈みづらくするのだ。
故郷の谷での一般的な越冬用品で、冬になる前に皆で材料を集め、谷に住む者総出でひと冬分を作っていた。
固定用の蔓草を編むのは子供たちの仕事である。
集めて乾燥させた蔓草を強度が出るように何本も集めて寄り合わせるのは一苦労だった。
いかにしてさぼろうかと仮病を試みては、見抜かれ怒られて…。
子供時代の冬の思い出である。
しかしラップランドの積雪量は北方地域の中でもトップクラス。持ち込みの輪状の底面では雪に沈みきってしまうそうだ。
試しに山道に入る前、持ってきた方を着けて進んでみると、瞬く間に腰まで埋まり歩くどころではなくなった。
もはや雪の中全身でもがいている状態。
もがく間に足元はさらに深く雪に埋まり、その間上からも絶え間なく積雪し…「生き埋め」の4文字がよぎる恐怖体験だった。
そこからは素直に貸していただいたスノーシューを着用して進んでいる。
底面が1枚の面状になっているので、積もったばかりの軽い雪にも埋もれることなく進んで行ける。
さらには「傾斜のついた斜面を下るなら」と、スノーシューを細長く引き伸ばしたような、スキーという用具まで貸してもらえた。
スノーシューの3倍ほどの長さがあり、先端はトナカイ製の靴ほどではないが上向きに反っている。
そしてこれが、とても素晴らしかった。
なだらかな起伏の丘陵が続く山道がスキーの威力を発揮するのに最適なのだ。
初めは滑走しているときにバランスをとるのに苦労したが、幸運なことにこのスキー、素材の木が良かったのか作り手が良かったのか、渋い声の物霊となっていた。
『重心は前にかけるんだお嬢さん。』
『目線は下げないで、体を起こして。』
的確なアドバイスと渋イイ声に終始励まされての大変気分良く習得することができ、予定の半分の時間で行程のほとんどを進んでしまった。
帰ったら稟議をあげて、是が非でも備品に加えてもらおう。
(あ、ずるい)
ふと隣を見ると、オリヴィエルは風と雪を『使って』、走行の補助をさせているようだ。
すいすいと進みながらも不機嫌きわまりない顔つきを見て、声をかけるのをやめた。
藪はつつかないし、寝た子は起こさない主義なのだ。
谷伝統の冬型走行補助具の名前は「カンジ・キー」