3 オリヴィエルという少年
どこまで行っても真っ白な視界に、道なき道。
北欧の森の春は遅く、頼りない陽の光は厚い雲に覆われて一欠片も地上に届かない。
あとからあとからと舞い落ちる大粒の雪は、森の音と生き物の気配を閉じ込めて、より一層静かでほの暗い雰囲気を作り出している。
と、そのなかを、降り積もる雪を蹴散らしながらものすごい早さで疾走するカラフルな人影2つ。
ヨリとオリヴィエルである。
オリヴィエルは美しい眉間にぐっと皺を寄せ、これ以上ないというくらいに不機嫌だった。
こんなに機嫌が悪いのは、寄宿学校で身の程を知らないアホたちに絡まれたとき以来だ。
オリヴィエルの見た目の華奢さに油断して、故郷と、同郷のヨリのことを声高に馬鹿にしてきた輩がいたのだ。
ヨリはとっくに卒業していたが、研究員として学校に残っているので時たま教授陣の手伝いで教壇に立つ。
小柄で童顔なヨリは、良く言えば親しみやすく、はっきり言えば舐められやすい。
その時も、応用力学の厳しいドミトリー教授の代講で入ってきたのがヨリだったから、一瞬で空気がだれたものにかわり、私語多め・雑談多めの緩い雰囲気のまま講義が始まった。
「なんだー、ヨリちゃんかよー」
「ドミトリー教授どうしたのー?」
「突然ごめんねえ。ドミトリー先生、今朝寝違えちゃったらしくって」
「え、寝違えただけで休んでんの?俺けっこう寝違えるんだけど、今度から休んでもいい?」
「だめー。ドミトリー先生は、寝違えちゃったから変な体勢で起き上がろうとしたら腰を捻っちゃったらしくって。ぎっくり腰でお休みです」
「うわあ」
正直に言えば、ヨリが他の生徒に名前で呼ばれているのも、馴れ馴れしく話しかけられているのにも、苛つくばかりだ
俺を見つけて、嬉しそうな顔をしたあと、ひらひらっと手を振ってくれたのを見て心が浮き上がったが、次の瞬間には余計いらいらしていた。
だからそのいらいらを、ヨリを軽くみて馬鹿にした奴に全部ぶつけてやった。
全員、完膚なきまでに叩き潰してやった。
いつだってオリヴィエルは好戦的で、やられる前にやるを信条にしているというのに。
(くっそ。どうしてこうなった。)
心の中で何度目かわからない悪態をつきながら、溢れ出る怒りのオーラに怯えて避けていく精霊や小人たちに舌打ちをする。
遡ること数刻前。
昨晩宿泊した宿屋の前で、犬橇の準備が整うのを装備品を整えながら何とはなしに眺めていたところに、犬 (とおそらくオリヴィエルたちの様子)を見に宿屋の女亭主が外に出てきた。
そして俺たちの格好を一瞥し、苦笑しながら言うのだ。
曰く『そんなのじゃ雪に埋まって動けなくなる』と。
そして建物内に呼び戻され、この地域の伝統的な防寒衣装というやつを半ば無理やり渡された。
そう。それがこの、今現在2人が着ている、原色のみで構成されたド派手な『防寒具』である。
キルトの上着にキルトのスカート。
中に着ているシャツとズボンは中綿入り。
トナカイの毛皮のショールを纏い、同じくトナカイ毛皮の帽子とミトンとブーツを身に付けると確かにとても暖かい。
素材の特徴なのか、どれだけ雪が舞散ろうとトナカイ毛皮に雪が付くことはなく、少しはらうだけでほろほろと離れていく。
縁取りにはところ狭しと刺繍やビーズ飾りが施されている。
この刺繍の図案や飾り模様は、集落ごとに異なるのだと事前資料に記載されていた。
模様の形・着ける位置・飾りの特徴を見ることで、どこの集落のどんな地位の者なのか、既婚か未婚か、跡取りかそうでないのかが読み取れるという。
ヨリの着ているものとオリヴィエルの着ているものには同じ模様の装飾が使われているので、宿屋一家の家族情報が詰まった飾り模様なのだろう。
ヨリの着ているものは青と黄色が地色のキルトに、白地に赤いビーズと刺繍が施されたチロリアンテープで縁取られており、帽子の端飾りやチロリアンテープの縁飾りは白のタッセルで統一されている。童顔のヨリに良く似合っていると密かに思う。
…派手だが。
問題は自分の着ているものだ。
同じく青と黄色が地色のキルトは、ヨリのものより数段明るいトーン…とゆうかパステル色で。
そこにビーズと刺繍とチロルテープがそれはもう盛大に、ふんだんに、盛り盛りに使われている。
帽子の頭口には幾重にも重なる幅広のチロル飾りが、耳まで隠れるトナカイ革の耳あての先には毛糸でできたふわふわの玉飾りが。
頭部は4枚の布を継いで星形のような形がとられていて、その全ての角にも丸い玉飾りがついている。
ヨリが着ているものはサーミの成人女性の一般的な冬歩きの装束なのだそうだ。
ではオリヴィエルが着ているものはなんだ。
間違いなく子供用だ。女児の。
宿屋の女将が衣装を出した時、オリヴィエルをまじまじと見た後ため息をついて「・・女の子がね。欲しかったんだよあたしは。」と呟いたのを聞き逃さなかった。
しかも一針一針大事に宿屋の女主人が縫いあげた代物で、時間が経ってこの衣装、物霊になりかけているらしい。
先ほどから『やっと着てもらえた!』だの、『こんな可愛い子に着てもらえて嬉しい!』だの、きゃきゃうふふと浮き足立っている衣装の声が聞こえ、余計に癇に障る。
「……っ!!女じゃねえって言ってんだろーがっっ!!」
オリヴィエルの本日何度目かわからない怒りに任せた悪態は、絶え間なく降り積もる雪にむなしく吸い込まれていった。