19 黄色いのは月なのかびわの実なのか②
繰り返す言葉は精霊となり、思いや祈りは祀りとなる。そして、数は重ねると意味を持つ。
向こうの山での子育てを終え、戻ってきた彼女は自分の領域が一変していることを知る。
巨樹の見守る彼女の山に、人間が住み着いていた。
これがトーマニカ村だった。
春に柔らかな芽を付ける木々は切られ、村の建材となった。
夏に食べる虫の子や蜂の巣は、人々の手で取り除かれて激減していた。
秋に良い実をつける木も、鮭の狩場も、人間たちに踏み荒らされていた。
サーミの人々にとって熊は山の守り神。
肥沃な里村に人々が住まうのならば、山野は人ではないものたちの領域とされ、むやみに立ち入ってこない。
これまで何十年と尊重されて来た彼女は知らなかった。
そうではない人間がいることに。
帝国の人々の信じる神は、帝国国教会が認める唯一神のみ。
熊はおろか、動物も、植物も、火も水も風も。
彼らの前では神ではない。
そんな折、彼女は自身がまた仔を孕んでいることに気がついた。
ここに戻ってくる間に出会った雄の仔だろう。
彼女は自分が仔を産むにはかなりの高齢で、最後の仔になること、この腹の仔を育て上げることでおそらく動物としての生が終わるだろうと解っていた。
そのために巨樹のもとへと帰ってきたのだ。
これまで冬眠していた巣穴は、人間の気配が充満していた。
新たな巣穴での出産は、3つの命のうち1つは産まれてすぐに消えてしまったが、2匹の仔は無事に育った。
秋口に栄養を蓄えきれなかった身体は乳の出が不充分で、本格的な雪解け前に仔を連れて巣穴を出ることになった。
仔どもたちは初めて触れる世界全てに興味津々で、どんなに警戒していても人間たちから姿を隠すのは難しかった。
日に日に大きく、たくさん食べるようになっていく仔らが満足する程の食料を、雪解け前の季節に確保するのは苦労した。
人間の匂いのついた食べ物が川沿いや山野に置かれていることが度々あり、それらを分け与え食糧不足を凌いでいた。
そして、ある夜。
仔の片方が箱罠にかかる。
明るく月の輝く夜だった。
人間の匂いのついた食べ物に慣れた仔らが、罠餌に誘われてしまったのだ。
一瞬目を離した隙の出来事だった。
パニックを起こして泣き叫ぶ仔のもとに駆けつけたが、全ては遅かった。
助け出すことも檻を壊すことも、どんなに攻撃しても叶わない。
彼女は必死だった。
人間が集まってきて彼女の邪魔をするので薙ぎ倒した。
もはや1人2人程度で倒される彼女ではないのだ。
だが人間たちはどんどん集まってきて、あちらこちらから攻撃してくる。
矢が何本刺さろうと、槍で何度突かれようと、倒れるわけにはいかない。だって仔が自分を呼んでいるのだから。
いつの間にか、彼女を呼ぶ仔の声がなくなっていることに気がついた。
檻の中で蹲る彼女の仔は、流れ矢に当たって傷つき、絶命していた。
夜に、月に、山に、森に、響き渡る絶叫。
『あああああああああああああ!!!!』
憎い、憎い、憎い、憎い。
山を、森を、川を奪った人間が憎い。
置き餌で人間の匂いに慣れるように仕向けた人間が憎い。
彼女から仔を奪っていく人間が憎い!
いくつもの矢と槍を受けた彼女はとうとう倒れこみ、動かなくなった。
憎しみを滾らせたまま、怨みを募らせたまま。
いつの間にか振りだした雪が、彼女の上に降り積もっていく。
騒ぎの間どこに隠れていたのか、仔のもう片方が茂みから出てきて、動かない母親と兄弟に擦り寄る。
仔は自分が母親と兄弟を失ったことを知っていた。
そして、母親なくして自身がこの先厳しい自然の中を生き抜くことができないということも。
悲しげに一声泣いて、また茂みに消えていった。
母親と兄弟熊の遺骸も、跡形もなく消えていた。




