12 カナリアはゆりかごの上に②
暗いです
暗い森に絶叫が響き渡った。
―――私の!私の子!!
この春生まれたばかりの子供が!
数分前まで愛くるしく野山を駆け回っていた私の子!
それが冷たく横たわり、もう永久に動かない。
母親は取り乱し駆け寄るが、行く手を阻まれ抱き上げることもできない。
―――許さない!許さない!
私の子を返して!
気が狂わんばかりの悲痛な叫びが、再び山野にこだまする。
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生まれ落ちた命は3つだったが、1つは生まれてすぐに死んでしまった。
悲しいことだが仕方がない。厳しい自然の中では、生まれてくることも無事に育ちあがることも簡単なことではない。
死んだ子供は、山の麓のここら一帯を見守る神樹に預けた。神樹がそうしろと言ったのだ。
育つことのなかった子も、大地になり樹木の一部になり、自然に還る。
悲しむ暇はなかった。何せ、食欲旺盛な子供たちに乳をやり、乳を出すために自分が食べなければならない。
秋に十分に栄養を蓄えることのできなかった身体からはすぐに乳が干上がり、雪解けには早い時節だったが外に出なければならない。
好奇心旺盛な子供たちをつれて、自然界のルールと危険を教えながら食べ物を探す。
大変だが、これまで幾度も繰り返してきたことである。
彼女も子供たちも、大きな自然の輪の一部。
だが、今回の子供達とこれまでの子供達とで決定的に異なることがある。人間が彼女の領域の中に住み着いてしまったのだ。
山も川も、人間の臭いと気配と痕跡でいっぱいだ。
どんなに警戒して近づかないようにしていても、子ども達にも近寄らないよう言い聞かせていても。
鈍感な人間たちの方が母子に近づいてくるのだ。
◆◆◆
「うわあっっ」
ヨリは導き石から手を離し、放り投げた。
空中に投げ出されたヨリの石を、オリヴィエルが慌ててキャッチしようとして、「素手はダメ!!」と制止され、先ほど脱いだモコモコの民族衣裳で受け止める。
犬橇で帰路に着き、2人は再び宿に戻ってきていた。
これから「夕礼」にて上司報告するため、制服に着替えるためだ。
本当は風呂にでも入ってさっぱりしたかったのだが、時間がないので諦めた。この部屋にはサウナもついているのだ。
「サウナセット」として、ご亭主の手作りだという天然精油でできた化粧水とマスクシートを女将からもらっている。
報告が済んだらゆっくり過ごすのだ。
グレーウールのロングワンピースに着替え、胸章と、腰に黒革のベルトを身につける。オリヴィエルは同じくグレーウールの詰め襟のジャケットにウールのスラックス。
靴は揃いの黒の革靴を履く。
ロッタ・スヴァルトの制服であり、正装である。
これを身に付けていれば、大抵のところで、身分証明になるそうだ。身分証明として機能するように、各地に伝達と宣伝広報したと叔母が言っていた。保証人は王妃殿下である。
なお、夏場では素材がウールからコットン製になる。
その際うっかりいつもの癖で、導き石を身に付けようと素手で触れてしまい、巨樹が押し込んだトーマニカ村についての記憶が暴れ出てしまったようだ。
(これはまた…ずいぶんと、重たいことで)
想像の10倍は重たかった。
子を奪われた母の怒りと恨み。
子を亡くした親の悲しみ。
重たい、怒りと恨みと悲しみの慟哭。
それらが一挙に迫ってきて、思わず石を放り投げてしまった。オリヴィエルが受け止めてくれて良かった。
導き石に傷が付いたら、悲しいではすまない。
「大丈夫?」
渋面のヨリを心配してオリヴィエルが尋ねる。
「大丈夫だよ。ちょっと驚いただけ。…そろそろ行こうか。叔母様お待たせしても悪いし」
オリヴィエルのことも報告しなければならないのだ。
原点要素は少しでも減らしておきたい。
今日の夕礼はケルミの街の町長室をお借りすることになっている。
到着した日は宿の部屋で報告したのだが、挨拶がしたいとこの地の領主と、ケルミの町長から連絡を受けていた。
お偉いさんが何人で来るのかわからないが、女将さんに確認したところ設備の問題でこの宿ではできないようだった。
では、ということで町長室を貸していただくことになっている。ここから歩いて15分ほどらしい。案内は女将さんがしてくれるとのことだ。
オリヴィエルと共に外套を羽織り、ふと外を見やると窓辺に小人が座り、物珍しそうにこちらを観察していた。
小人達は皆、赤い三角の帽子をかぶっており目立つ。かわいい。
小さく手を振ると見られていると思っていなかったのか、驚いて逃げていってしまった。
着いたときから感じていたのだが、ラップランドは精霊や小人の数がとても多い。
元々の風土と、住んでいる人々が信仰深いのだろう。街のあちらこちらに小さい住人(精霊や小人)が紛れており、故郷を思い出す。
感応力持ち(ヨリたち)の夕礼は、ちょっと方法が特殊なので普段は他処の人々には見せていない。
一昔前までは街や村に1人や2人は必ずいた『視え』る人々が近ごろはめっきり減ってしまっている。
視えないことが普通になった社会では、人々の意識と生活から精霊や小人はいなくなる。
過去には『視え』る人々が異端とされ、迫害や弾圧を受けてきた。魔女狩りなどが良い例だ。
ヨリとオリヴィエルも、そういった人々のようになりかねないため慎重になるのだ。
(まあでも、こんなに精霊や小人がたくさんいるなら大丈夫でしょ。)
「人ではないもの」がたくさんいるということは、それだけ人々の生活と意識に彼らな存在が根付いていると言うことだ。
(会いたいって言ってるのはむこうなんだし。)
驚かれるかもしれないけれど。
良いか!
そう一人納得して、オリヴィエルと共に部屋をあとにした。