11 カナリアはゆりかごの上に①
ヤルウィは3つのランタンに火を灯すと、部屋の各々のスタンドに吊るしていった。
サイドボードの水差しを取り替え、籠に入った果物と常温のワインをテーブルに置く。
(この時期に客とは珍しいなあ)
ラップランドの南西都市、ケルミ。
海岸沿いに興った、北方地方では比較的大きな街である。
ここで曾祖父の代から宿屋を営んでいる一家の赤毛の次男、ヤルウィは首をかしげた。
数刻前に、宿の女将である彼の母親から、最上階の一番良い部屋を調えるよう呼び出された。
3階の南向きに大きく窓をとった室内はメゾネットになっていて、1階にリビングとバスルーム、2階にはベッドルームとサウナを備えている。
ガラス張りのバルコニーに面したベッドルームからは、降るような星空を一望でき、ウィンターシーズンには気象条件が整えば、ここからオーロラを観ることができる。
間違いなく宿で1番良い部屋だ。
(客は貴族か金持ちか)
ベッドルームを調え、サウナ横にベリーの果汁入りの氷水とマッサージストーン、オリーブの石鹸を置いていく。
石鹸は宿屋の亭主の手作りで、昔ながらの製法を使って1か月以上ゆっくり時間をかけて作りあげているものだ。
素材が持つ美肌や保湿などの薬効成分がしっかり石鹸の中に残っているとして評判になっている宿の名物でもある。
もともと植物の研究を趣味としていた副産物だったが、最近は趣味の域を越えて本業になりつつあり、宿のほうは女将に任せきり。植物学者と石鹸職人への道を邁進中である。
ラップランドは8つの季節と、沈まぬ太陽と明けない夜を持つ神秘の土地。その神秘的な風土から、ハイシーズンの旅行客はとても多い。
しかし今は明けない夜が終わったばかりの、長く厳しい冬の暗さ、寒さがようやく弛んできた初春の季節。
一日中ぼんやりと薄暗いこの時期の客入りは、珍しい風土や気候の研究者や観測隊を除けば、閑古鳥である。
そんな閑散期の街にふらりと現れた2人組は、色々な意味でとても目立っていた。
2人とも、灰褐色の控えめに見ても上質であろうロングコートで全身を覆い、フードを目深く被っている。
まあこれは、ここ数日降りやまない雪避けのためかもしれないが。
ふらりと宿にやって来て、母親である女将と二言三言何か話したかと思うと、またふらりと出ていった。
その後ヤルウィが呼ばれ、現在に至る。
1階に戻ると、例の二人組が戻ってきていた。
女将がエントランスホールで2人のコートについた雪を落とし、脱いだコートを受け取っている。
(まずいっ出遅れた)
女将に怒られるっと内心焦りながら部屋への案内を買って出て、その時初めてこの謎めいた客と正面から対面し瞠目する。
(女性防衛軍だ!)
グレーのロングワンピースに白い襟、薔薇と星の胸章。紛れもなく、ロッタ・スヴァルトの制服だ。
先の戦争で国防の一躍を担ったロッタ・スヴァルトの活躍は、このラップランドに置いても知らないものはいないほど有名だった。
北方地帯が直接の戦地になることはなかったが、防衛訓練や、非常時の炊出し演習などをここケルミの街で行っていて、その際に宿泊場所として提供もした。
皆、見事なまでに女性ばかりだったが、民事組織とはいえ軍隊だからと威圧的なところがひとつもなく、礼儀正しく凛々しい婦人たちだったため、ラップランドにはファンも多くできた。ヤルウィもその一人だった。
戦争は終わったが、王妃殿下の直属軍として再任用されると聞いている。
(若い女と…子供?)
黒髪黒目、薄い肩に細い手足。
18、19歳に見える目の前の彼女が。
胸章の星は、半分以上が金色である。
地位が高くなれば高いほど、星の金色の割合が高くなるはすだ。
果たして彼女の地位はどれほどなのか。
なんとも言えずヤルウィが瞠目していると、今まで後ろに控えていたもう一人が庇うように前に出る。
こちらは背格好から恐らく10歳前後。
顎のあたりで切り揃えた白金髪の下から、剣呑な目付きでこちらを睨んでくる。恐ろしく美しい、子供。
奇妙な組み合わせに、好奇心がむくむくと沸き上がるが、この宿屋を経営している一家の次男である自分が言うべきことはひとつ。
ヤルウィはにっこり笑って口を開いた。
「ようこそ、ケルミの街へ。そして『赤い狐亭』へ」