10 今宵はじまる楽しい宴
どおんっ
物理的な音に続いて感じるのは、圧倒的な圧力。
びぃぃぃぃぃん!
ずぃぃぃぃぃん!
脳の中に直接働きかけるような超重低音。
聴こえなくても理解る、骨が、組織が、全細胞が震える大音量。
耳を押さえようと、目を瞑ろうとお構いなしに入ってきて響き渡る。
耳鳴りがする。目が回る。
立っていられなくなり、ヨリはその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
オリヴィエルが抱え込むように支えてくれる。
そのオリヴィエルの顔も不快に酷く歪んでいる。
『大丈夫かい?お嬢さん。もうすぐ終わるから、我慢だよ。そこの少年はまだ平気そうだ。ああ、だめだめ』使う』のはだめだよ。』
スキー氏が励ましてくれるついでに、オリヴィエルに何か注意している。
脳がわんわん鳴っていて、耳の奥がガンガンしていて、聞こえてはいるが全く頭に入ってこない。
そのままその場で耐えること数分。
…もしかしたら数十秒だったのかもしれない。
体感的には遥かに長く感じられた時間、耳を押さえて蹲っていたのだが、ふと気がつくと、耳鳴りも頭鳴りも止んでいた。
地面に縫い獲られているような圧力もすっかり消えており、辺りはまたしんしんと雪の降る他は静寂に包まれている。
『さあさあ、終わったよ!お嬢さんの石に、基木の記憶をインプットしたからね。基データが大きいので圧縮する必要があった分、力こもっちゃったみたいだねぇ!』
溢れないうちにお持ち帰りよ!
上機嫌なスキー氏がイイ声で促してくる。
見えないけどきっと笑顔も渋イイのだろう。
見えないけど。
ヨリは力の入らない足腰に号令をかけながら立ち上がり、木の洞からそっと導き石を回収した。
そのまま身に付けるとすぐに再生が始まってしまうそうなので、入れてきた革袋で厳重にグルグル巻きにしてしまいこんだ。
「今聞かないの?」
オリヴィエルが不思議そうに尋ねる。
耳にまだ違和感があるのだろう。指を入れてみたり、頭を振ったりしている。
かわいい。天使がおる。
「うん。町に戻ってからにする。もうすぐ報告の時間だし、一緒に見てもらう方が早いかなって…え、これ『再生』するときにもさっきみたいなことになります?」
先ほどの物理攻撃(?)で既に満身創痍なのだ。
もう一回とか、絶対に無理。
慌てて巨樹を振り返り尋ねると、ぶおおおん・・・と申し訳なさそうな声が返ってきた。
(えっどっち?!)
青くなってスキー氏に通訳を求める。
大丈夫とのこと。
ほっと胸をなでおろした。
安心したところで、帰り道のことを考えなければならない。
トーマニカは沢沿いに開拓された村だ。
馬車道からここに至るまで、なだらかな下り坂が続いていた。
だからこそスキー氏が大活躍し、想定の半分の時間でたどり着くことができたのだ。帰りも同じ道のりを辿って戻るとなると、今度はずっと上っていかなければならない。
(いや、それはちょっと‥勘弁だわね)
どうしたものかと思案していると、巨樹の後ろの山肌に小人が集まり何やら指さしている。
近づいてみると、斜面に沿って蔓草で編んだロープが張られ簡易な階段が作られていた。
小人たちが代わるがわる、ロープを掴んで上る仕草とスキーで滑走する仕草を繰り返している。
なるほど。
ロープを伝って山を登り、高度を稼ごうというわけか。傾斜があれば馬車道までスキーを使って滑り降りることができる。
一番の問題は、今だにふるふると笑っているこの膝で、登り切れるかどうかというところか。
「よし、女は気合よ。オリヴィエル、ここから上に登って、スキーで滑り降りよう。急げば叔母さまへの報告に間に合うかも」
ヨリたち国家職員は、派遣要請での遠征中、日に1度、上司である担当官に報告することが義務づけられている。
「夕礼」と呼ばれており、調査の進捗や今後の方針を上司と共有するためである。
ヨリの担当官は、推薦人でもある叔母だ。
「おばさまって、ノーリッツ先生??わあい。僕会うの久しぶり!」
オリヴィエルがきらきらとした笑顔で振り返る。
ここで、はたと違和感に気がついた。
先ほどからオリヴィエルがやけに素直じゃないか。
ここ数年ヨリを悩ませていた、思春期特有の尖ったナイフ感が全く感じられない。
一人称が、ぼく。
…嫌な予感がする。
「オリヴィエル・・って今、何歳だっけ?」
「僕?9歳だよ!」
恐る恐る尋ねるヨリに、元気いっぱいに答えが返ってくる。
おっふ。
(いつの間に『使って』しまったの?!)
よく見ると身体も一回り小さくなっている。
もこもこの防寒具で気がつかなかった!
周囲の「力」のあるものから、その力を引き出すことのできる『使い』手。
大抵は熟練した職人などが、物作りの過程で『使い』手としての力を発露させ、本人の意志や意図に関わらず魔法の道具を生み出すものだが。
稀に何をも作ることなく、周囲の「力」を従わせることのできる者がいる。
オリヴィエルは強力な『使い』手で、強力かつ従順に、周囲の「力」を従わせることができた。
原石があれば、原石の「力」を。
小人や精霊がいれば、彼らを自らの「力」に変えてしまう。
では「力」のないところでは、『使う』ことができないのか?
否。自分の生命のエネルギー、成長に必要なエネルギーを『使って』しまうのだ。
その結果、無理に「力」を使うとオリヴィエルは幼子に戻ってしまうのだ。今回は3年分の「力」を消費してしまったらしい。
いつだ。先ほどの巨樹の歌の時か。
ちなみに分別のつかない子供の方が、加減がわからず無茶しやすかったため、オリヴィエルの幼少期は逆行との戦いでなかなか成長しなかった。
9歳ならまだ…「力」の使い方と加減を覚えた頃か。
叔母様への報告がひとつ増えた。
「…とりあえず、街に帰ろうか」
オリヴィエルや小人達に手伝って貰いながら、ロープ伝いに山肌を登りきることができた。ここからはスキー氏の出番である。
12歳のオリヴィエルと違って、9歳のオリヴィエルはスキーには乗れないようだった。
少し進んではぺしょっと転ぶ様子を見て、背中に負ぶさって行かないかと提案すると、「ええー?」と、恥ずかしがりながらもオリヴィエル(思春期前)は了承してくれた。
ヨリにはスキー氏という強い見方がいるのだ。
背中に乗ってくれれば進みが早い。
なお、帰りの乗合馬車も犬橇だった。
体力的にも精神的にもすでに瀕死のヨリはぐったりだったが、オリヴィエルはきゃあきゃあと喜んだ。
御者は行きと同じ、宿屋の赤毛の次男である。
オリヴィエルの変わりように首を傾げていた。
雪はまだ、しんしんと降り続いている。