アーデルハイト・リヴェ・バルザック侯爵令嬢の昔話
ーー滅びあれ。
私がこの世に生まれ落ちた時、初めに聞いた言葉である。其れは常に私の傍にあり、夜となく昼となく囁くのだ。ーーこの国を滅ぼせ、と。
生来早熟であった私は早々に悟った。私、アーデルハイトはこの国を滅ぼす為に使わされた「傾国」であると。
歴史書を紐解けばその存在は亡国の影に必ず現れる。曰く微笑み一つで国を滅ぼした、曰く天下に名だたる名君を愚王に堕とした、曰く一騎当千の勇者を籠絡し口先一つで国を蹂躙した等々。
己が役目を理解すると不思議な程しっくりきた。幸い私は侯爵家の生まれであるし、父は財務大臣、さらにこの国でも有数の資産家だ。王族の婚約者となるに申し分の無い家柄である。
婚約者として王宮に潜り込み、無知蒙昧な凡百共を籠絡し内部から腐らせる。あぁ、時期を見計らい他国に攻め入らせるのも良い。人の嘆きに怒号に怨嗟。さぞかし甘美な響きだろう。
…などと思っていたのだが。
「何だお前。こっちにくるな、このヘビ女!」
第二王子の婚約者を選定するお茶会。とはいえ、結果はほぼ私に決まっている様なものだ。英邁の誉れ高い兄に比べて凡庸な弟。出来損ないと嘯く者もいる。孤独な心に付け入るのはさぞ簡単だろう。先ずはこの凡夫を傀儡にして第二王子派閥を掌握する。
破滅の算段を微塵も感じさせない、優しげな笑顔で挨拶をしようとした私をエドワード王子はいきなり罵倒した。
蛇!蛇と言ったか、この男。
私は大声でゲラゲラと笑い出しそうになるのを必死に堪えた。何故なら、常に私に纏わり付き滅びの呪詛を呟いているモノもまた蛇の形を取っているからだ。
周りの女官たちは王子の暴言に目を剥いて、何とか収めようとしている。
この男、おそらく相手の本質を見抜く力を持っている。成程、終末装置があるのなら救済装置もあって然るべきだ。此奴は私を止める為にいるのだ。
嗚呼、これ程面白い事があるだろうか!
皆に出来損ないと蔑まれ憐れまれる王子が、ただ一人この国の脅威を見抜いている。
気に入ったぞ、エドワード・アル・トーリス。私をこの世で唯一脅威と見做すお前!
終末装置と救済装置、どちらの性能が上か勝負といこう。
そうと決まれば生物学上の父にも根回しをして、この婚約が滞りなく結ばれるよう手配させなければならない。
ひとまずは不審に思われぬ様、此奴に合わせて無能の振りをするか。
ニコニコとこの世の悪意など何も知らないおっとりとした顔を貼り付けつつ、これからの事に胸を躍らせながら私は嗤った。
アーデルハイト
バルザック侯爵家令嬢。後トーリス王国王妃。
国を滅ぼす為に生まれた終末装置「傾国」。
初対面でエドワードに正体を暴かれ、逆に気に入りそのままごり押しで婚約者になった。
たった一人で滅びに抗ってみろとばかりに、エドワードを揶揄ったり偶に助言を与えたりしながら遊んでいる。面白い玩具扱い。
世界から(滅びに特化した)人の身に余る才能を与えられた彼女にとって、自分以外の人間は虫ケラか駒にしか見えない。唯一の例外がエドワード。
トーリスを滅ぼすきっかけは自分でなければならないと認識しているので、アウギュステの工作を潰し、障害を排除した。その後も何かと理由を付けてお気に入りの玩具を揶揄いつつ補佐していく。
その内、玩具じゃなくて人間に見える日が来るし、エドワードが亡くなる頃には彼の愛した国を滅ぼせ無くなっている。救済装置は己が役目を立派に果たした。
エドワード
トーリス王国第二王子。後第十三代国王。
国を守る為に生まれた救済装置(本人に自覚は無い)。終末装置に対する世界の抑止力の様なもの。
相対した者の本質を見抜く事が出来る特別な「眼」を持っている。幼い頃から周りの人間が人では無い何かに見える事があった(彼に対して悪意を持っている者)。アーデルハイトには無闇に口にするなと忠告されている。
基本蛇にしか見えないアーデルハイトが苦手。でも偶に人間に見える時がある(彼女が人として真っ当な助言をしている時。こんな所で潰れてはつまらんからな、とはアーデルハイト談)。
即位してからは何故か協力的なアーデルハイトにビビりながら、賢王として良政を敷く。
年を経るにつれ蛇から人間でいる事が多くなったアーデルハイトとは結局幼馴染以上夫婦未満だったけど、嫌いじゃなかった。最期に見た紫水晶は涙に濡れていて、似合わない姿に思わず笑いながら眠りについた。