辺境伯家の娘として、最低限の義務は果たします
ココの結婚式が一か月後に迫る中、メルカトロフ王国の第二王子殿下の来訪が発表された。
噂では、両国の親善のために、妃をナジム王国内で探すらしい。
国中の年頃の貴族令嬢たちが招集され、歓迎セレモニーという名のお見合いパーティーが開催されることになった。
第二王子殿下こと、エーデルワルド・メルカトロフ殿下は十八歳。
王位は兄である王太子殿下が継ぐことが決まっているが、エーデルワルド殿下はその右腕として執務を補佐されている大変優秀な人物だそう。
一夫多妻制のナジム王国とは違いメルカトロフ王国は一夫一妻制なので、選ばれた者は唯一の妻になれる。それもあり、王都では彼を射止めようと令嬢たちの争いがもうすでに水面下で勃発しているらしい。
私の従姉妹で、サイモンの妹でもあるジェシカもその一人。
海賊騒ぎの一件で、実家は没落寸前。それも父の恩情で何とか存続しているだけなのに、彼女は現状を正しく理解していないようだ。
約束もしていないのに屋敷へやって来て、我が物顔でベンゼルフへお茶を出すように命令し、勝手に話を始めた。
「ソフィアには全く関係のない話だけど、特別に教えてあげるわ」
(私に関係のない話なら、結構です)
もったいぶるジェシカに心の中で呟きつつ、私は無言でお茶を一口飲む。
ジェシカは、私の一つ年上の十七歳。幼い頃から何かにつけて張り合ってくる、非常に面倒くさい人物だ。
性格はともかく見目は悪くないので、在学中はそれなりに人気があった。
男子学生たちに貢がせた物をわざわざ寮の私の部屋まで見せびらかしに来て、鬱陶しいことこの上なかったが。
地味眼鏡姿の私をジェシカはずっと見下していたから、その私が第一王子殿下の婚約者に選ばれたときは大変だった。
「なんで、アンタが!」と毎日毎日、罵詈雑言の嵐。
しかし、婚約破棄された途端「やっぱり、アンタみたいな地味女が選ばれたこと自体がおかしかった。義理の姉になるのは不本意だけど、せいぜい兄の役に立ちなさい!」と、上から目線で言われたことは未だに覚えている。
「エーデルワルド殿下はね、どうやらこの国にお目当ての女性がいるらしいのよ。彼は三年前に王立学園へ留学していたから、きっとその時に見初められたのね。そうなると、お相手は当時の女子学生に限られる。まだ入学もしていなかったアンタは、引き立て役に呼ばれたってこと……フフフ」
可哀想な子を見る目で意地悪く笑い、見初められたのは自分だと信じて疑わないジェシカを眼鏡のレンズ越しに眺めつつ、私は黙々とお茶菓子を食べる。
料理長お手製の焼き菓子は、今日も美味しいなあと思いながら。
私は妃という立場なんて、全く興味はない。そもそも、お見合いパーティーにも参加したくはないのだが、王家から正式な招待状が届いた以上、辺境伯の娘として出席しなければならない。
馬車で時間をかけて王都へ行くつもりは毛頭ないので、転移魔法で移動する。
最低限の社交と義務を終えたら、すぐに帰ってくるつもりだ。
もちろん、相棒の眼鏡は忘れずに掛けていく。
◇
お見合いパーティー当日、侍女頭のマーガレットにドレスを着付けてもらった私は、部屋から魔法を行使し移動した。
人とあまり顔を合わせなくてもいいように、わざと開始時間ギリギリのところを狙って会場入りすると、すぐさま壁際に控える。
今日は婚約者のいるココは参加していないので、終始この辺りかテラスで時間を潰すつもりなのだ。
王族の方々と共に、エーデルワルド殿下が入場される。皆が頭を下げ、最大限の礼を尽くして出迎えた。
国王陛下の挨拶が終わると、いよいよパーティーの開始だ。
令嬢たちが、エーデルワルド殿下のファーストダンスの相手に選ばれようと一斉に彼を取り囲む。その様子を、私は遠くから眺めていた。
眼鏡をかけているので、エーデルワルド殿下がどのような容姿をしているのかほとんど見えない。彼女たちの様子を見る限り、さぞかし見目麗しい人物なのだろう。
とりあえず、渇いた喉を潤すべく飲み物を取りに行き、そのまま人混みを避けテラスへと出た。
飲み終わったグラスを手摺りに置きボーっと星空を眺めていると、後ろで人の気配がした。
「お飲み物のおかわりはいかがですか?」
「ありがとうございます」
給仕かと思い後ろを振り返ると、そこにいたのはにこやかな笑みを浮かべたエドだった。
「フィーは、ここに居たのか。ずいぶん捜したよ」
「えっ? 何でエドがここに……あっ、第二王子殿下に随行してきたのね。貴族としてのお勤め、ご苦労様です」
エドは高位の貴族らしいから、今回の随行員に選ばれたのだろう。
私が一人で納得していると、エドがクスッと笑った。
「久しぶりだね。公の場では、いつもそのような眼鏡をかけているのか。君の綺麗な瞳が拝見できないのは、非常に残念だけど……」
「ご無沙汰しております。エドは冒険者の恰好より、こちらの方がよくお似合いですね」
エドが男性貴族らしく女性を褒め称える言葉を口にしたので、私も貴族令嬢らしくカーテシーで挨拶をしたあと、礼儀として世辞を返した。
エドが恭しく手を差し出す。
「ソフィア嬢、私と一曲踊っていただけるかな?」
「わたくしでよろしければ、喜んで」
私がエドの手を取ると、悲鳴に近い声が上がった。
ふと気づくと、遠巻きに大勢の人が私たちを見ている。
( ん? 一体何事???)
首をかしげながらエドにエスコートされ広間に進み出ると、人波が道を開けるように左右に分かれていく。
明るい場所で向き合うと、エドの豪華な衣装がよく見えた。
周囲の中でも一際煌びやかな装いの彼に、すぐに違和感を覚える。
ダンスが始まると、彼へ小声で話しかけた。
「ねえ……エド、主より目立つ恰好をして大丈夫なの?」
「ああ、全く問題はない。だって、第二王子のエーデルワルド殿下は……私のことだからね」
「はあ!?」
淑女らしからぬ声を上げた私を、エドは目を細め楽しげに見つめる。
「私の本当の名は、エーデルワルド・メルカトロフという」
「……なぜ、一国の王子殿下ともあろうお方が冒険者の真似事をされていたのか、お尋ねしてもよろしいですか?」
「フフッ、半分は趣味で、もう半分は、国内外に埋もれている優秀な人材を我が国へ勧誘するためかな? 特に、『フィー』のような有能な冒険者をね」
綺麗な水色の瞳を細めながら微笑んだエドが、パチッとウインクをした。
魔物の討伐作戦中に彼がしつこいくらい何度も「主に仕える気はあるのか?」と尋ねてきたのは、そんな思惑があったからのようだ。
(たしかに、こんな自由人の下でなら、のびのびと活動ができそうだわ……)
弟のマルクが学園を卒業する頃には、私は家を出るつもりでいる。いつまでも実家に居座り、弟夫婦に迷惑をかけたくはない。
さすがに第二王子殿下であるエドの下で働く気はないが、王子の人脈で誰か紹介してもらうくらいはお願いできないだろうか。
気の進まない相手と堅苦しい貴族の生活をするくらいなら、いっそのこと平民になり、冒険者として他国で気ままに生活するのも悪くはないと思い始めていた。
私が真剣に将来計画を考えていると、エドが先ほどまでの笑顔を消し去り、真面目な顔つきになった。
「……ところで、君が今日この場にいるということは、『このパーティーの趣旨を理解した上で、自分の意思で参加している』と受け取っていいのかな?」
「趣旨は理解しておりますが、参加はわたくしの意思ではございません」
「あはは…やっぱり、そうなのか。その眼鏡をかけている時点で、そうじゃないかと思っていたよ」
エドが苦笑いを浮かべたところで、ダンスが終了した。
エスコートされ壁際に戻るが、エドはなかなか手を離してくれない。
周囲の視線……特に令嬢たちの魔物のように恐ろしい形相が、眼鏡のレンズ越しに雰囲気だけで伝わってくる。
「メルカトロフ殿下、皆が待っておりますので、お手を離し──」
「私のことは『エーデルワルド』と呼んでほしい。それから……」
エドが顔を寄せ、耳元で囁く。
「……人目のないところでは、今まで通り『エド』と」
「かしこまりました……エーデルワルド殿下」
「私はしばらくこちらへ滞在するので、またお会いできる日を楽しみにしております……ソフィア嬢」
手の甲に口付けを落とすと、エドはようやく私を解放した。
彼を迎えにきた側近の中に、トムの姿もあった。私に目礼した彼の騎士服は、この国の近衛騎士によく似ている。
(なるほど、トムは筆頭の近衛騎士様だったのね……)
いろいろなことに納得したところで、さて義務も果たしたしそろそろ帰ろうか……と思っていた私の腕をグッと掴んできた人物がいた。
「ちょっと! 何でアンタが……」
(しまった! 捕まる前に逃げようと思っていたのに……)
魔物どころか、物語に登場する悪魔のような怒りに震えた目つきで目の前に立ちふさがるジェシカを、私はうんざりしながら見つめたのだった。