婚約を破棄してもらいましょう
私が婚約者に決まったことで、ココが聖女に認定をされてもすぐに王族の婚約者にされることはなくなった。
地味な私がカーチス殿下の婚約者に決まったことに、周囲は様々な反応を見せる。
父たちには事前に伝えていたので特に反応はなかったが、従姉であるジェシカが大騒ぎをしてそれはそれは大変だった。
兄のサイモンと同様に常に私を下に見ていた彼女はこの決定に納得せず、寮の私の部屋まで押しかけては文句を言いにきたが、妃教育で私が多忙になると顔を合わせることもなくなった。
ココも私が婚約者に決まったことに少なからず衝撃を受けていたが、ギルバートは私の意図を正確に読み取っていたようだ。
久しぶりに会った神殿で、血相を変えた彼に私は詰め寄られる。
「ソフィア嬢、どうしてこんなことを……君の犠牲の上に成り立つ幸せなんて……」
絶句し言葉が続かないギルバートの様子に、ココもようやく事情を察した。
「そんな……私のせいで…ソフィアが……」
ぽろぽろと綺麗な涙を流して謝罪するココに、私はにっこりと微笑みかける。
「ココもギルバート様も勘違いをしているよ。婚約はしたけど、私は殿下と結婚する気はさらさらないからね。卒業までには婚約を解消してもらうから、心配しないで!」
「でも、卒業まではあと半年しかない。王族との婚約が簡単には解消できないことは、君もよく知っているよね?」
「ええ、だから……あちらから婚約破棄をしてもらいます!」
堂々と宣言した私を、二人は不安げに見つめていた。
◇
二人にはあんなことを言ったが、私の計画では正式な婚約者になるつもりなど全くなかった。
作戦実行のために妃候補の一員となり裏から別の候補たちを推していく予定だったのに、まさか選ばれてしまい非常に焦ったことは内緒の話。
不出来な第一王子殿下を支える妃は『優秀な頭脳の持ち主でなければならない』ということで、妃候補たちは全員学園での成績優秀者が選ばれていた。
それを知っていた私は間違っても自分が候補者に選ばれないように、しかし、ダンケルク家の名を汚さない程度のギリギリのところを狙って常に成績を調整していたのだ。
それを止めた途端、辺境伯の娘である私もすぐに候補者に名が挙がるが、事前調査で殿下は可愛らしいほんわかした女性が好みと知っているので、正反対の私は彼好みの女ではないと安心していた。
第一関門を突破した私を待ち受けていたのは、一部の妃候補者たちからの嫌がらせ行為だった。
初等科のころに同じようなことを経験済みの私は全て陰で蹴散らしておいたが、周囲に埋没するくらい地味な私と同列なのが、よほど彼女たちの自尊心を傷つけたのだろう。
殿下に気に入られなければ大丈夫だと思っていた私にとって誤算だったのは、王妃殿下だった。
目立たないように息を潜めて地味に過ごしている私を、カーチス殿下に気に入られようと綺麗に着飾る他の候補者たちと比較して『堅実』と褒め称えたのだ。
彼女の強い後押しで婚約者になってしまい、私は作戦の変更を余儀なくされた。
◇
卒業まで残り半年を切り、焦りを感じ始めた私は手段を選ばず賭けに出る。
誰でもいいから、私から婚約者を奪ってもらうよう仕向けることにしたのだ。
正式に婚約者となってからは私はさらに地味に地味に学園生活を送り、もちろんあの眼鏡をカーチス殿下の前では一度も外すことはなかった。
この地道な作戦が功を奏し、私への不満を溜めこんだ殿下へ様々な女性が近づいてきたが、彼女たちにはぜひとも頑張ってもらわなければならないので、念には念を入れて皆へちょこっと魔法の上乗せをしておくことにした。
他人へ魅了魔法や媚薬を使用することはこの国ではもちろん違法で、見つかれば重罪なのだが、自分自身に魔法をかけて見目を良くすること自体は禁止されていない。
たとえば、化粧では隠しきれない荒れた肌を隠すために美肌に見えるようにするとか、目を多少大きく見せるとか、そんな程度のことは皆行っている。
ただし、その状態をずっと維持するには膨大な魔力が必要となるため、簡単に美男美女になることはできないのだ。(入学式には大勢居たはずの美男美女が、数日経つと次々に姿を消していく現象は、もはやその時期の風物詩と言っても過言ではない)
彼女たち自身がかけている『見目を多少可愛らしく見せる魔法』の効果を私が上乗せした結果、思惑通り殿下が動く。
周囲に気づかれないよう逢瀬を重ねる彼を見て、私は作戦の成功を確信したのだった。
◆
「ソフィア・ダンケルク。私はおまえとの婚約を破棄する!」
卒業パーティーの冒頭、カーチス殿下は皆の前で堂々と宣言し一人の女性をエスコートする。
彼にエスコートされるかたちで隣に並んだのはリーゼ。初等科のころ私を魔物呼ばわりし、妃候補になったときは真っ先に嫌がらせを仕掛けてきた公爵家令嬢だ。
勝ち誇ったように私を見る彼女と目が合い、先ほどから震えが止まらない手をきつく握りしめた。
「お、畏れながら……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
心臓がバクバクし声が震えるが、必死に抑える。
「理由は様々あるが、一番は私が真実の愛を見つけたことだ」
殿下はリーゼを抱きよせ彼女と見つめ合う。
「あの、この件は……」
「父上も母上も知らぬ。全て私の独断だ」
「そうですか……(良かった!)。では、さっそく書類に署名をいたします」
「ん? 書類?」
一瞬呆けたカーチス殿下の横からリーゼがスッと用紙とペンを差し出したので、殿下に続いて間髪入れず私も署名をした。もちろん、婚約破棄を覆されないようきちんと魔法契約で縛りのある物か確認済みだ。
(ようやく終わった……)
私の一年半の努力(暗躍)が報われた瞬間に、ホッとして思わず涙が溢れてくる。
王妃にこのことが知られれば彼女が全力で阻止しようとすることはわかっていたので、署名をするまでは本当に気が気ではなかった。
「では、わたくしはこれで失礼いたします」
貴族の令嬢らしく、最後くらいは綺麗なカーテシーをすることにした……が、嬉しさでつい気が緩んだのだろう。大事な眼鏡が顔からずり落ちた。
慌てて手で受け止めたので破損は免れたが、危ないところだったと思う。
「ん? そなた、その顔は……」
「それでは殿下、ごきげんよう。リーゼ様と末永くお幸せに!」
婚約破棄さえしてもらえば作戦終了なので、眼鏡を掴んだまま私は足早に退散しココのもとへ向かった。
「ソフィア……本当にありがとう」
「どういたしまして」
目に涙を浮かべ抱きついてきたココを、私も抱きしめ返す。
周囲から見れば婚約破棄された友人を慰めている図に見えるかもしれないが、私たちが流しているのは別の涙だ。
ココも、今日は眼鏡を外している。
数週間前、聖女の認定と共にギルバートとの婚約許可が正式に下り、学園生活も今日で終わるため、素顔を隠す必要がなくなったのだ。
ギルバートが用意したドレスと装飾品を身にまとったココは、聖女の名に相応しく光り輝いていた。
婚約者にエスコートされ会場に登場したココを見て、彼女を平民と見下していた皆が驚きに目を見張る顔を前に、「私の親友は、誰よりも美人なのよ!」と心の中で自慢していた私だった。
◇
私との婚約を破棄したカーチス殿下は、その後なぜか国王陛下から廃嫡され、王都からはかなり離れた飛び地である領地を与えられることになった。
ただ、リーゼとの結婚は許してもらえたそうなので、その地でこれからも真実の愛を育んでいくのだろう。
王位は、第二王子殿下が継承することが正式に決まった。
彼は不出来な兄を支えるために国王陛下がしっかりと教育されたので、文武両道、仁徳もあり、次期国王として申し分のない人物。
婚約者も身分で人を見下したりしない性格の穏やかな方とのことで、二人は政略結婚ではあるが仲睦まじいのだとか。
そんな二人ならば、この国の将来は安泰だろうと思う。
◆
私は、領地へ戻ってからの出来事をココへ話し終えた。
「……というわけで、ココから教わった加護魔法を父にもかけているんだけど、領内で探知できないのは、なんでだろう?」
「おそらく、結界の外に出てしまっているからじゃないかしら。行方不明の場所から考えると……隣国にいらっしゃるとか?」
「やっぱり、その線が濃厚か……」
加護魔法が切れていないことで父たちの無事はわかっていたし、私が探知できないことである程度の予想はついていたが、念のためココにも意見を仰ぎたかったのだ。
ココと意見が一致したことで、私はますます確証を持った。
隣国へ流れついていたとしても、ナジム王国とメルカトロフ王国の関係は非常に良好なので、今すぐ差し迫った問題はないだろう。
「父だけなら、私が冒険者に扮して入国し連れて帰るだけなんだけど、リンドールおじ様もいるからね。国王陛下が、どう対処されるか……」
王弟殿下なので、おそらく正式な外交ルートを通じての対応になりそうだ。
「あの……もし良かったら、僕の友人が隣国にいるから彼に尋ねてみてもいいかな? きっと力を貸してくれるよ」
「ギルバート様、お願いできますか? この件に関しては、私ではこれ以上の手出しができないので」
「任せておいて! 君には返しきれないくらいの恩があるから、少しでも返せたら嬉しいよ」
ドンと胸を張るギルバートへ「私への恩返しなら、その分ココを幸せにしてくださいね!」と告げ、私は再び転移魔法で家に戻る。
父の件は国へ対応を任せ、私はひとまず領内の案件に注力しようと思う。