聖女様の結婚式にて(後編)
「エドは卑怯よ。隣国の王子殿下であるあなたからの申し出を、一介の貴族でしかない父と私が断れるはずがないじゃない」
「私だって、こんな形での求婚は不本意なんだ。本当は、この国に滞在している間に時間をかけて口説くつもりだったが、君は私を異性として全く意識してくれない。おまけに、己の魅力についての自覚も皆無だしな……」
立ち上がり私の隣に席を移動したエドが、ぶつぶつと文句を言っている。
これまで異性として見たことのなかった彼を、改めて観察してみることにした。
彼の見目は周囲の女性が騒ぐのも納得の麗しさで、性格は明るく真面目で努力家。身分に関係なく人の意見に素直に耳を傾ける姿勢は見ていて好ましく、高位の貴族によくある傲慢さもない。
年齢の割に少し子供っぽいところもあるが、それも彼の魅力の一つとも言える。
「前にも言ったけど、私はこの国の王子殿下から婚約破棄をされているのよ? そんな女を妃に迎えたら、エドの評判に傷が付いてしまうわ」
「たとえ婚約破棄をされても、王子殿下の婚約者に選ばれたという事実は、それだけ有能な人物だという証でもあるのさ。この国ではどうか知らないが、我が国ではなんの瑕疵にもならない」
きっぱりと言い切ったエドが、言葉を続ける。
「特に、君の元婚約者の元第一王子殿下は、婚約解消後すぐに王位継承権を剝奪され僻地へ飛ばされた。明らかに、彼側に責があったという証拠だ。それに、私と結婚しなかったら、君の将来は、この国の第二王子殿下か第三王子殿下の第一夫人という二つの選択肢しか残されていないと思うが……」
「噓。だって、殿下たちは二人ともかなり年下よ。それに、第二王子殿下にはもうすでに婚約者が……」
第二王子は四つ。第三王子にいたっては、六つも年が離れている。これは、王族の結婚ではあり得ないことだ。
「ナジム王国は我が国と違い一夫多妻制だから、今の婚約者が繰り下がって第二夫人になるだけのことだ」
第二王子殿下と婚約者は、政略結婚とはいえ仲睦まじいと聞いている。そんな二人の間に自分が割って入る……想像しただけでゾッとした。
「君がギルバートたちの幸せのために策を講じたことは、私も知っている。ただ、優秀な人材だと認知されてしまったために、ナジム王家はどうしても君を一族に取り込みたいらしい。それも、なりふり構わずに」
まあ、その気持ちはわからないでもないが、とエドは苦笑した。
「卒業パーティーのときにも、一度眼鏡を外した姿を皆の前で披露したのだろう? 周りの男性貴族の目の色が変わったって、実際にその場にいたギルバートも驚いたらしい。それでも、ダンケルク家へ次の婚約話が持ち込まれなかったのは、裏で王家が圧力をかけていたからだ。私のお見合いパーティーの招待状を君へ送ることも、最後まで渋っていたし。だから、君には少々頼りない男かもしれないが、私で手を打っておくことをお勧めする。それに、『仕事』とか『契約婚』だとか言ったが……」
私の手を取り、エドは熱を孕んだ水色の瞳で見つめる。
『ソフィア』に対しこのような視線を送ってきた男性は、彼が初めてだ。
「私は、君を心から愛している。一目惚れだったんだ……『ソフィア』と『フィー』の二人に」
「…………」
自国にはもっと彼に相応しい、王家に嫁ぐに値する貴族令嬢が大勢いる中で、エドは私の貴族令嬢らしからぬ姿も含めて、私がよいと言ってくれる。
私の本当の姿を知っても態度は変わらず、可愛げのない性格をしたこんな変わり者の娘と結婚したいだなんて、エドもかなりの変わり者なのだろう。
貴族らしくない者同士、これからも仲良くやっていけそうだと思った。
「……わかりました。このように不束者ではございますが、末永くよろしくお願いいたします」
「ありがとう! 絶対に幸せにするよ!!」
パアッと顔を輝かせ、ギュッと抱きしめてきたエドの鼓動が、早鐘のように脈を打っているのがわかる。
王子殿下らしく取り澄ました表情をしていたけれど、私の返事を聞くまではエドも不安でいっぱいだったのだろうか。
そんなことを思ったら、なんだか可愛らしいなと不敬にも思ってしまった。
◇
馬車で連れてこられた先は、エドが滞在しているナジム王城内にある離宮。そこで待ち構えていた侍女たちによって、私は強制的に着替えをさせられた。
誰がどう見ても婚約者としか思われないようなエドの衣装と色目の合ったドレスに、彼の独占欲丸出しの水色の宝飾品をこれでもかと着けられて。
いつの間にこんな物を用意していたのか?と尋ねると、「(私と)国境で別れた後」と耳を疑うような返事が。
エドが、「ここまでくるのが、本当に大変だったな……」としみじみと呟いていたが、国で一体何があったのだろうか。
知らないほうが良いことだと雰囲気で感じ取った私は、聞こえなかったふりをしたのだった。
◇
披露パーティー中もエドは片時も私の傍を離れず、挨拶も二人で一緒にするなど他の男性貴族を一切私に近づけないよう徹底していた。
パーティーに参加していた第二・第三王子殿下とその側近たちは、その様子に全てを察したようだ。
見ていて気の毒になるくらい、青ざめた顔と引きつった笑顔が印象的だった。
主役の二人からは「おめでとう! 二人の結婚式にはぜひ出席するよ」と逆に祝福されてしまい、リンドールおじ様からは「あのソフィアちゃんが、ついに……」と涙ぐまれてしまった。
元々、リンドールおじ様は出来の悪い第一王子殿下との婚約には反対していたから、どうやらエドは御眼鏡に適ったようだ。
二人が親しげに話をしている様子から、メルカトロフ王国に滞在している間にエドが抜かりなく根回しをしていたことがわかる。
この様子だと、すでに父も攻略済みなのだろう。エドがあの試練に打ち勝ったことに、私は驚きを隠せない。
◇
私たちの婚約話は、とんとん拍子に進んだ。
よく考えればわかることだが、相手側の関係者への根回しが完璧だったエドが、自身の関係者についても疎かにするはずがないのだ。
メルカトロフ王国の国王陛下と王妃殿下であるエドのご両親と王太子殿下の兄に、こんな私が受け入れられるのか正直不安だったが、そんな杞憂はどこへやら。
緊張しながら謁見に臨んだ私は、よくぞ息子(弟)を選んでくれた!と言わんばかりの大歓迎を受けた。
「だから、ソフィアなら大丈夫だって言っただろう?」と私の隣で小声で囁いたエドは、嬉しそうに頷いていた。
◇
正式にエドの婚約者となり、あとは結婚式を待つだけとなった私のもとに、また約束もしていないジェシカがやって来た。
執事のベンゼルフは「お嬢様にはお会いにならないほうが、あなたにとっても最善かと」とやんわりと断りをいれたそうだが、ジェシカが聞き入れなかったとのこと。
この国に残る家族のためにも、隣国へ行く前に彼女と一度きちんと話をしておこうと思っていた私は、応接室でジェシカと向き合う。
私に何かあればエドへ顔向けができないと言い張るベンゼルフも、同席することになった。
「ねえ、どうしてソフィアだけ、いつもいつも選ばれるの? たしかに、学園の成績だけは多少は良かったかもしれないけど」
(多少じゃなくて、ジェシカとはかなり差があったはずだけど……)
余計なことを口にすれば火に油を注ぐことになるので、私はいつものように何も言わずお茶を一口飲む。
「エーデルワルド殿下にはお目当ての人がいるという噂だったのに、あのお見合いパーティーで一番最初に踊ったソフィアを見初めたと仰った。こんな眼鏡をかけた、地味な女のどこが良かったのかしら……」
今日のジェシカは相変わらず私に対して口撃的だが、顔はやつれていつもの威勢のよさは無いように見える。
父は罪人となり、母は離縁して実家へ戻り、兄のサイモンは家に見切りをつけ子爵家の跡取り娘をつかまえてちゃっかり婿におさまっていた。
家には自分一人しかおらず、給金が払えないため従者は最低限の人数しかいない。そんな生活に疲れているのだろう。
「あっ、そうか! ソフィアが自国と国境を挟んだ領地の娘だったから、ただ繋がりを持っておきたかっただけなのよ。それなら、アンタじゃなくたっていいわけね」
ニヤリと伯父に似た下種な笑みを浮かべたジェシカが、スッと立ち上がった。
「ソフィア……結婚式には、眼鏡では隠しきれないほど顔に傷を負ってしまうアンタの代わりに、この美しいわたくしが出てあげるから、心配しないで!」
私へかざした両手から、魔力を感じる。
たしか、ジェシカは火魔法の使い手だったなと思いながら、彼女が火球を放つ前に両手ごと氷魔法で凍らせた。
私が氷魔法の使い手だとは知らなかったジェシカは、返り討ちに遭い呆然としている。
手が凍傷になると騒ぎ始めた彼女を無視して、私はおもむろに眼鏡を外し真っすぐに見据えた。
「ジェシカ、この際だからはっきり言っておく。エーデルワルド殿下に選ばれたのは『ソフィア・ダンケルク』……つまり、この私なの。たとえ私を亡き者にしたとしても、あなたが代わりに選ばれることは永遠にない。それだけは覚えておいて」
目力が強すぎると散々言われてきた瞳で一睨みしただけで、ジェシカは震え上がり、その場に座り込んでしまった。
(これくらい言っておけば、さすがにもう絡んではこないわね……)
両手の氷を溶かしてあげると、ジェシカは逃げるように去っていった。
私としては、この件はこれで終わりにするつもりだったのだが……
◇
その後、王都の屋敷に滞在していたジェシカは、王家が差し向けた騎士団によって捕縛された。
罪状は、『エーデルワルド殿下の婚約者に対する傷害未遂』。
私がジェシカから害されそうになったと聞きつけたエドが、ナジム王家へ厳罰に処するよう圧力をかけたらしい。
大事にしたくなかった私はエドへ何も伝えていないので、彼へわざわざ報告した人物がいるようだ。そして、その者は一人しかいない。
それとなく尋ねたところ、「お嬢様に関することは、逐一報告するようにと申し付けられております」と彼は悪びれずに答えた。
他国の元間者だった我が家の優秀な執事は、知らないうちに隣国の間者となっていたのだった。