プロローグ ~また、暗躍することになりました
「ソフィア・ダンケルク。私はおまえとの婚約を破棄する!」
卒業パーティーの冒頭、婚約者は皆の前で堂々と宣言し、いつものように私へ冷ややかな視線を送る。
彼が後ろへ顔を向けると、一人の女性が前に進み出てきた。
エスコートされるかたちで隣に並んだ彼女は、目が合うと勝ち誇ったように微笑む。
衆目を集める中、私は先ほどから震えが止まらない手をきつく握りしめた。
決して俯かず、堂々と胸を張り、傾いた眼鏡を指でくいっと直してから前を向く。
「お、畏れながら、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「理由は様々あるが、一番は私が真実の愛を見つけたからだ」
婚約者は女性を抱きよせ、二人は見つめ合う。
「あの、この件は──」
「父上も母上も知らぬ。すべて、私の独断だ」
「そうですか……」
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「……様、ソフィアお嬢様」
ゆさゆさと揺り起こされ、目を覚ます。うつらうつらした間に、先日の夢を見ていたようだ。
狭い馬車の中で、両腕をグッと上にあげ体を伸ばす。
貴族の令嬢らしからぬ大きな欠伸をした私に御者が苦笑しているが、今だけは見なかったことにしてもらいたい。
「やっと着いたのね」
長い長い道のりを終え、ようやく家に帰り着くことができた。
王都から馬車に揺られること数日、領地へ戻るにはその間に何泊かする約一週間の長旅だ。
本当はこんな時間のかかる馬車を使用しなくても、転移魔法で自分の部屋まであっという間に移動はできる。しかし、それは『自分』と『身に着けている・手に持つことができる物』だけ。
持ち帰る荷物はたくさんある。大きくて重い物は私一人ではどうにもならなかったので、仕方なくこの面倒な方法を選んで帰ってきた。
大きな荷物は御者へ任せ、手荷物だけを持って降りる。
もちろん、膝の上に置いた大事な瓶底眼鏡も忘れない。
◇
半年ぶりに見上げる我が家は、潮風による塩害で相変わらず古びている。が、嫌いではない。
この佇まいこそ、ナジム王国を代々守ってきた名門家の証。
ダンケルク家には、『辺境伯』という大層ご立派な称号が付いている。まあ、今となっては過去の栄光だけれど。
世界情勢の安定と共に、祖父の代から隣国との関係はすこぶる良好だ。
それに伴い、国境・国土防衛を担ってきた役目は終わりを迎えつつある(というか、すでに終わっている)。
事実、現在の一番の脅威は国境を越えてやって来る魔物。
人の脅威といえば他国の軍ではなく、海を越えて攻め入ってくる異民族の海賊くらいだろうか。私は、一度も見たことはないけど。
やはり、国内が平和であることが一番。
錆付いた取っ手に手をかけると、息を大きく吸い込んだ。
「ただいま!」
勢いよく扉を開け挨拶をしたが、勢ぞろいし恭しく出迎えてくれる従者は誰もいない。
全寮制の王立学園を無事に卒業し領地へ帰ってきた娘に対し、この仕打ちは酷い……とは思わない。うちは、昔からいつもこうなのだ。
王都内に大邸宅を構えた貴族とは違い、うちは家族と従者たちの距離が近く堅苦しさのない、貴族らしからぬ貴族である。
長時間馬車に乗っていたせいで節々が痛む体をほぐしながら、皆がいるであろう居室へ向かう。
母のイザベルと弟のマルク、その二人を取り囲むように従者たちが集まり何やら騒いでいる。
誰も、私の存在に気づいてはいない。
「ねえ、何かあったの? また魔物が出た? それとも、海から海賊でも攻めてきた?」
ダンケルク領内には、港湾の街がある。
大海を挟んだ向こう側には別の大陸があり、海上は大型船でなければ航行はできない。
過去には何度か海賊の襲来を受けたこともあるようだが、父レイモンドの代になってからは一度もなかった。
「お嬢様、大変でございます。旦那様が……」
長年我が家に仕える執事のベンゼルフが、悲壮感を漂わせている。他の者も、一斉にこちらへ顔を向けた。
「ソフィア、レイモンドが行方不明になったらしいの。わたくしは、これからどうすればいいのかしら」
さめざめと泣く母を慰め、不安そうな表情を見せるマルクの頭を優しく撫でて落ち着かせる。
椅子に腰を下ろし、詳しい話を聞くことにした。
父レイモンドは、数日前からダンケルク領を訪れていた友人であるリンドール王弟殿下と昨夜海へ船釣りに出掛けたまま戻らなかった。
皆が心配して捜索したところ、船体の一部だけが見つかり騒動となったようだ。
引き続き捜索は続けているが、今日は風が強く海上は荒れているようで、生存は絶望視されているとのこと。
お忍びで訪れていたため、王弟殿下の従者はごく僅かしかいなかった。
捜索はこちらに任せ、内密に兄である国王陛下へ急ぎ知らせを持って先ほど発ったばかりだという。
これまでも領内で従者を連れずに二人だけで出かけることは何度もあったが、特に問題は起きていなかった。その油断が、今回の出来事に繋がったのだろうか。
「皆に心配をかけて、本当にごめんなさい。でも、安心して。父様もリンドールおじ様も無事だから」
「おまえさ~、何を根拠に断言しているんだ? 海で行方不明なんだぞ!」
私に異議を唱えたのは若い従者。一つ年上の幼なじみで、ダンケルク騎士団団長の嫡男ガイエルだ。
ガイエルは昨年学園を卒業したあと様々な誘いを蹴ってこちらに戻り、父親の後を継ぐべく騎士団で修行中の身である。
「根拠はないけど……私が大丈夫だって言ったら、大丈夫なの!」
何とも無茶苦茶な理由だが、それしか言えないのだ───今は。
「ガイエル君、レイモンドを心配してくれてありがとう。でも、昔からソフィアが『大丈夫』って言う時は本当に大丈夫だったから、わたくしはそれを信じるわ」
「奥様、旦那様は屈強な方です。必ずご無事で戻られると、俺も信じて待つことにします」
どうやら、ガイエルも納得したようで一安心。
心配する皆を早く安心させるためにも、即行動を起こさなければならない。
(今夜、こっそり屋敷を抜け出して──)
「……お取込み中のところ、失礼いたします」
行方不明の二人を捜索する算段を立てていた私の思考を遮ったのは、招かれざる客だった。
◇
ぞろぞろと従者を引き連れてやってきたのは、父の異母兄ルモンド・ダンケルク。隣には息子のサイモン、さらに妹ジェシカの姿もあった。
応接室で応対するのは、眼鏡を掛けた私と執事のベンゼルフのみ。母と弟は別室で待機だ。
「ご無沙汰しております、ルモンド伯父様。それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「レイモンドが行方不明になったと聞いて、慌てて駆けつけてきたのだ。生存は絶望的だと聞いておるが、これからどうするつもりだ?」
「どうするつもり、とは?」
「『辺境伯』は国の要職だ。それをいつまでも空けておくわけにはいかんからの、儂が力を貸してやろう」
ニヤニヤと下種な笑みを浮かべている伯父の顔を見ただけで、ろくでもない提案であることがわかる。
伯父はダンケルク家の長男に生まれたが、辺境伯としての実力が足りぬと祖父に判断され跡目を継げなかった。にもかかわらず、未だに家督を異母弟である父に盗られたと思い込んでいる残念な人。
そんな彼が、まともな提案など持ってくるはずがない。
私は軽い頭痛を覚えながら、先を促した。
「すぐにおまえとサイモンを婚約させ、辺境伯を継がせる。これで我がダンケルク家も安泰だな」
「申し訳ございませんが、お断りさせていただきます。辺境伯を継ぐのは、弟のマルクですから」
間髪入れず、ここはきっぱりと断りの意思を伝える。
そもそも、なぜサイモンと結婚しなければならないのか。私にだって、結婚相手を選ぶ権利くらいはある。
「マルクはまだ九歳だぞ。それまで、誰が国境を守っていくのだ?」
「わたくしです。それに我が家には頼もしい従者が大勢おりますので、伯父様のお手を煩わせることは一切ございません」
「ははは! おまえがレイモンド叔父に代わるだと。冗談は、その眼鏡だけにしてくれよ」
これまで黙って二人のやり取りを眺めていたサイモンが、腹を抱え笑い出した。
「それに、先日の卒業パーティーでおまえは婚約を破棄されたそうじゃないか。そんな傷物のおまえを俺が娶ってやろうと言っているんだ。有り難く思え」
「アンタみたいな地味女が、婚約者に選ばれたこと自体がおかしかったのよ。義理の姉になるのは不本意だけど、せいぜい兄の役に立ちなさい!」
兄妹揃って悪態をつき人を小馬鹿にしたような言動は、昔から変わらない。
呆れすぎて、眼鏡までずり落ちそうになってしまった。
「婚約破棄の件と、今回の件とは全く関係がございません。要は、わたくしが中継ぎとして使命を果たせるのか証明すればよろしいのですよね? まあ、父は死んでおりませんので、本来はその必要もないのですが」
「そこまで言うのであれば、まずはおまえのお手並み拝見といくか。助けてくれと泣きついてきても、儂は知らんからな」
「貰い手のなくなったおまえを、この俺が引き受けてやると言ってるんだ。有り難く受ければよいものを」
「皆の前で婚約破棄された女が、今後まともな結婚ができると思っているのかしら?」
彼らは、私の学園での様子についても聞き及んでいるのだろう。できるわけがないと確信している目だった。
◇
散々な言われようにさすがに少々腹が立ったので、お茶もお茶菓子の一つも出さず三人にはお帰りいただいた。
ベンゼルフに「今回のことは、私一人で対処する」と告げると、彼は「それならば、間違いございませんね」と安堵の表情を浮かべている。
こちらに戻ってきたら穏やかな日常が送れると思っていたのに、人生とは思い通りにはいかないもの。
ため息が出るが、それでも、また頑張るしかない。
『やるからには、全力で!』が、私の信条なのだから。
眼鏡を外しテーブルの上に置くと、周りの景色がはっきりと見え視界が広がった。
瓶底と言われる分厚いレンズが二つもついた眼鏡は、地味な容姿に不釣り合いな目力を隠すために、王都内で毎日欠かさず掛けていた大事な相棒だ。
『オレたちにはできないことが、なぜおまえだけができる? どうせ、不正でもしているんだ!』
『あの子、人間離れしていてなんかブキミよね~』
『もしかして……マモノが化けているんじゃない? アハハ!』
心無い言動を幼い私に向けてきた初等科の同級生には、今は感謝している。
ある意味、彼らのおかげで現在の私があるのだから。
大切なものたちを守るため、私は再び立ち上がる決意を固めたのだった。