陸軍飛行兵
…
『1943・ラバウル』
「敵機は50ほど、海軍と協力し全機を叩き落せ」
ラバウル航空隊とは、一般的には
海軍による最強の零戦隊と言われている
たしかにここの海軍航空隊は半端な強さではなかった
しかし、陸軍も戦っていた事を忘れてはならない
この話は、海軍の影に隠れてしまった陸軍航空隊のとある人物の物語である
(ちっ、海軍と一緒か)
不満げであったこの男、八神辰郎大尉
彼は30歳だが長い事実部隊に配備されている
彼の総撃墜数は実に40を越えておりその技術はまさに神業的と
味方からも称されるほどであった
彼は愛機『隼』に乗る
隼とは日本陸軍の一式戦闘機の愛称
彼の乗る二型は最高速度515Km/h、武装12.7mm2門、航続距離は増槽があれば
零戦に匹敵する3000kmであった
速度、武装では劣るものの加速力、上昇力、運動性能に優れ
また、これを含む陸軍機は海軍機と違いある程度の防弾が施されていた
この機の活躍では加藤隼戦闘隊は有名で映画にも登場するものの
戦後の日本では零戦のほうが有名になりその影に隠れてしまった戦闘機である
彼は1942年からこの機体に乗っている
それまでの九七式戦闘機に比べると高性能なのは明らかで
今ではどの機よりも信頼できるという
飛行戦隊の隊長を勤める彼は手で合図
隼6機、屠龍4機(定数は12機、残り2機はパイロット負傷、機体損傷)で出撃
今回出撃した上條大尉率いる海軍305飛行隊の8機を越す数である
「前方に海軍機」
「合流するぞ」
「お?陸軍さんだ」
「やれやれ、敵の数が多いだけにありがたい」
海軍も陸軍の増援を喜んだ
決して仲がいいわけではないものの
こういう場合、味方がくるというのは嬉しい以外のなにものでもない
(2時の方向に敵機…雲に入り逆落としをかけるか)
八神は手で味方機についてくるよう命令した
日本軍にも無線は一応あるが雑音がひどく
使い物にならなかったと言う
一気にに上昇し雲の合間から見えるP-38とグラマンの編隊を
上空から奇襲する、日本軍にとって格闘戦こそ最大の攻撃なのは
決してかわる事ではない、しかし一撃離脱という戦法ももちろんある
機銃のレバーを引いたら2門の12.7mm機銃がふたりまえのように火を噴く
隼の武装ははっきり言って貧弱ではあった、しかし飛行機を撃墜する
分なら文句はない程度であるしなにしろ八神は大ベテランであった
搭乗員の練度は空戦の勝敗をわける原因の一つ、どんな高性能機でも
腕がへっぽこであれば格下の飛行機でも勝てる
陸軍にとってもやはり一番の敵はグラマンだろう
P-38は早いだけだが奴らは運動性能もいい
それだけにP-38よりもグラマンのほうを片付けたかった
そして八神はその通りグラマンを標的とした
うまく操縦席を狙った攻撃は成功しキャノピーが血に染まるのが見えた
八神は撃墜した機にたった1秒でも敬礼を欠かさなかった
敵も称える人間であった
八神はふと後ろをみた
海軍の零戦が火を噴いて高度をさげていった
だがそれに気をとられていたのが彼の命を救ったのかもしれない
うしろから突然グラマンがやってくるのを見えた
とてつもなくよい運動性能をふんだんに活用し敵の後ろに回りこむ
ダダダ…
(硬い…)
グラマン鉄工所とあだ名それるほど
グラマン戦闘機は硬かった
しかもF6Fはその気になれば格闘戦でも零戦と戦える機であった
撃墜された零戦のうち半分以上はこいつがやったそうである
しかしいくら丈夫とはいえ絶対に落ちない飛行機はこの世に存在しない
煙を噴いてグラマンも高度を下げた
(不確実撃墜1)
そのときだ、光が見えた
(まずい)
(P-38…メザシか)
P-38はヨーロッパでは双胴の悪魔とドイツ軍に
恐れられていたのだがこちらではメザシやペロハチと馬鹿にされていた
決して性能の低い機ではないが
低空での格闘戦を得意とする零戦や隼に低空に誘い込まれ撃墜された
しかし四式戦闘機「疾風」とは互角の勝負を繰り広げておりある
また日本の戦闘機は低速であった為ヨーロッパではP-47やP-51に
その座を譲るも太平洋では最後まで活躍した
しかし今回は低空での戦闘だった
隼の運動性能についていけないP-38
その後ろにつくことは容易であった
そして…
ダダダ…
エンジンに火がついたP-38は
立て直すことができない、海に墜落しかない
確実に撃墜したのであった
「敵は去ったか…帰投しよう」
この日の戦闘では海軍航空隊よりも陸軍航空隊の
活躍のほうが目だったという
基地に帰ると整備兵や残った飛行兵達が笑顔で歓迎してくれた
今日の損失は4機であった
「…」
…
…
「…はっ!?」
気がついたら自分の部屋である和室
「…随分懐かしい夢をみたものだ…」
66年後、2009年現在も彼は存命中であった
96歳という高齢ながらまだ元気で近所では
「超人八神」とあだ名されていた
「…」
しばらく黙り込むが
彼はこう呟いた
「まったく、なぜ今ラバウルは海軍ばっかりなんだ」
「俺のがんばりはなんだったんだ」
終戦までに63機を撃墜し、戦後航空自衛隊に入り2佐まで登りつめた
彼も今やたんなる老人、だが、誇りは持っていた
「…一度でいいから…死ぬ前にもう一度飛行機を操縦してみたいなぁ…」
ピンポーン
「ん?」
はいはいと出て見ると、なんと
外務省の人が訪れていた
「アメリカが君を探しておられる」
「…アメリカが?」
なんの用事だろう?
八神にはわからない
なんでも彼にどうしても会いたい人物がアメリカにいるという
そして来てくれればおそらく望んでいるだろう事を実現してやる…という
彼はアメリカへ行った
とある飛行場に降りたがその人物はそこに立っていた
「oh…ようこそミスター八神」
「…」
かなり年老いた老人であった
しかし八神は彼とは面識がない
「…ど…どちら様で?」
「ははは、1943年に君の隼に撃墜された者ですよ」
「…そうでありますか?機種は?」
「たしか…P-38だった気がしますね」
その時八神はとある記憶が
頭をよぎった
今日見た夢…最後に撃墜した飛行機はP-38であった
まさかそのパイロットではと思った
そういえば辛うじて飛んでいる時に隣にならんで敬礼した
もしかして…
「ははは、私は貴方にずっと会いたくて、記憶を元にわざわざ
隼にかいてあったマークや番号を教えて大使館まで利用したよ」
「…そうでありますか」
そのとき八神は日米友好の証として自分が持っていた
お守りを渡し、彼と握手した
その後老人は食事をさせしばらく休んだあと飛行場の奥へ
八神を誘導した、そこにあったものは…
「…こいつは?」
「P-51戦闘機、戦争末期私が乗っていました」
「家族の方に話を聞いてくれましてそれで知ったのです
貴方は死ぬ前にもう一度飛行機を操縦したいと」
「…」
「あ…ありがとうございます!!」
八神の最後の戦闘は8月15日午前、F6Fとシコルスキーを迎撃する為に
出撃した、64年ぶりのフライトである
「でも、大丈夫ですかい?」
「ええ、まだ若いものより強い自信ありますよ」
そういって彼は離陸していった
96歳にして、戦闘機を操縦したのであった
アクロバットをやろうとしたが流石に体にむりがあったという
しかしただ飛んだだけでも彼にとっては満足であった
その後、老人とその家族の家でパーティーが行われ
翌日帰国した
この時彼はP-51を日本のどの機よりも優れていると言っていた
だが、帰国3日後、突然彼は息をひきとった…
しかもその屍は笑顔だった…
まるで…飛行機に乗れてよかったという表情…
八神さんはもちろん架空の人物です。
また彼の訪米とP-51の操縦の元ネタは
坂井氏と藤田氏です。